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はじめに

 「ラテンアメリカの現在」は、ラテンアメリカ・カリブ海地域での民衆の社会運動を軸に、その背景となる政治・経済的なニュースをピックアップして紹介するページです。

 2000年代以降、この地域では、新自由主義的グローバリゼーションに抗する社会運動の活発化と連動した「左派・進歩派政権」が台頭してきました。しかし2010年代になって次第に、左派政権の政策面での行き詰まりや右派勢力の巻き返しなどが起こり、ラテンアメリカ社会自身がいろいろな意味で分岐してきています。
 とりわけ、米国ではトランプ政権による介入主義的な対応が強まり、各国内でも権威主義的な政治の傾向が顕著になっています。

 こうした情勢の複雑な変化を踏まえつつ、ラテンアメリカ社会が現在から未来にわたってどう変化していこうとしているのかをできるだけ事実を踏まえ、読み解きながら考えていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

【記事一覧】
キューバ 経済状況の悪化と社会的不満の高まり(2024年3月26日)
チリ 昨年12月の憲法改正国民投票の結果について(2024年2月29日)
アルゼンチン ゼネストに立ち上がる労働者(2024年1月30日)
アルゼンチン ウルトラ・リベラリズム政権の始まり(2023年12月12日)
チリ 新憲法案が抱えるジレンマ(2023年11月17日)
アルゼンチン 大統領選挙は決選投票へ(2023年10月25日)
チリ 軍事クーデターから50年の今(2023年9月23日)
キューバ 国会で報告された最近の経済状況(2023年8月11日)
ブラジル ボルソナーロ前大統領に被選挙権停止の判決(2023年7月22日)
チリ 軍事クーデターから50年、人々の評価(2023年6月27日)
チリ 憲法審議会選挙と右派の優位(2023年5月29日)
キューバ 国会選挙と第二期ディアスカネル政権の成立(2023年4月27日)
キューバ 今年の経済見通し(2023年3月29日)
ペルー 継続する抗議行動(2023年2月26日)
チリ 新憲法制定のための改正法が成立(2023年1月28日)
チリ 憲法改正へ向けて再始動(2022年12月20日)
ペルー 大統領の罷免と「政治的危機」(2022年12月12日)
ブラジル 大統領選と民主主義の再生(2022年11月22日)
キューバ 改正家族法の成立(2022年10月24日)
チリ 新憲法案否認についての左派の見方(2022年9月28日)
チリ 新憲法案を否決(2022年9月13日)
コロンビア ペトロ左派政権の始まり(2022年8月17日)
チリ 新しい憲法案について(2022年7月13日)
コロンビア 史上初の左派政権の誕生へ(2022年6月22日)
コロンビア 大統領選の行方(2022年6月9日)
〈ロシア軍によるウクライナ侵攻〉中南米各国政府の見解(2022年5月29日)
ペルー 高まる政治的・社会的危機の中で(2022年4月28日)
チリ ボリッチ大統領の初演説(2022年3月28日)
キューバ 家族法の改正へ向けて(2022年2月27日)
チリ 新しい政権の顔ぶれ(2022年1月31日)
チリ 大統領選での左派候補の勝利(2021年12月30日)
チリ 大統領選が映す社会の実像(2021年11月30日)
人工妊娠中絶合法化への動き(2021年10月31日)
メキシコ 人工中絶を罰するのは「違憲」(2021年9月30日)
コロンビア 「全国スト」の継続した闘い(2021年8月31日)
キューバ 抗議行動の社会的背景を考える(2)(2021年8月21日)
チリ 憲法制定議会が始まる(2021年7月29日)
キューバ 抗議行動の社会的背景を考える(1)(2021年7月20日)
チリ フェミニズム運動がもたらしたこと(2021年6月30日)
チリ ジェンダー平等からみた制憲議会(2021年6月20日)
チリ 制憲議会選挙とジェンダー平等(2021年5月29日)
キューバ 経済的苦境の中の党大会(2021年5月18日)
ペルー 大統領選挙から見た政治的課題(2021年4月29日)
エクアドル 大統領選の結果と今後(2021年4月20日)
キューバ 通貨・為替の整備について(2021年3月22日)
エクアドル 大統領選挙の行方(2021年3月7日)
コロンビア くり返される労働組合員・社会活動家への暴力(2021年2月2日)
ベネズエラ マドゥーロ大統領の年次報告(2021年1月20日)
キューバ 来年1月から通貨・為替レートの統合を開始(2020年12月16日)
ペルー 大統領の辞職と政治的危機の構図(2020年12月1日)
チリ 憲法議会選挙をめぐって(2020年11月26日)
ボリビア 新大統領の就任演説(2020年11月18日)
チリ、憲法改正の是非を問う国民投票(2020年10月31日)
ボリビアの総選挙について(2)最終結果の公表(2020年10月25日)
ボリビアの総選挙について、左派勢力の勝利へ(2020年10月23日)
キューバの「二重通貨問題」について(2020年10月15日)
キューバの労働事情(賃金編)(2020年9月29日)
キューバの労働事情(就労編)(2020年9月27日)
コロナ禍のキューバ社会(2020年9月16日)
コロナ禍、債務問題に苦しむアルゼンチン(2020年8月31日)
コロナ禍のラテンアメリカ・カリブ地域(2020年8月18日)
〈危機〉の中のベネズエラ(2020年8月4日)
ベネズエラ、増加する感染者と経済状況(2020年7月27日)
スペインの最低生活所得とベーシックインカム(2020年7月21日)
メキシコ、感染症対策と「新しい日常」、サパティスタの声明(2020年7月6日)
キューバ、感染症対策と経済活動の再開(2020年6月26日)
ペルー、感染拡大から見える社会の矛盾(2020年6月19日)
ブラジルの緊急援助とベーシックインカム(2020年6月12日)
感染拡大が続くブラジル(2020年6月4日)
「コロナ禍」のラテンアメリカ(2020年5月28日)
キューバ、感染症と国際連帯(2020年5月18日)
ボリビアの行方とパンデミック(2020年5月11日)
キューバ、憲法改正から1年(2020年5月4日)
抗議するチリ、そしてパンデミック(2020年4月27日)

(雑誌『アジェンダ』でも「ラテンアメリカの現在―分岐する世界の中で―」というタイトルの連載記事を書いています。)

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キューバ 経済状況の悪化と社会的不満の高まり

近年、継続的にキューバ経済の悪化が伝えられています。23年の国内総生産(GDP)は、政府が公表している数値では最大でマイナス約2%(速報値)。もともと政府は昨年のGDP成長率について、プラス3%を提起していました。

ここ数年の数字を見ると、コロナ禍の2020年はマイナス10.9%、21年はプラス1.3%、22年はプラス1.8%でしたので、昨年は再び悪くなっています。

とくに食料供給、電力供給を始め、医薬品の入手にも悪影響が出ており、食料・燃料・交通分野での物価高が市民の生活を圧迫しています。停電も繰り返し発生するなどエネルギー危機も報じられています。さらに今年3月から燃料価格を値上げすることがアナウンスされていました。

また、2021年から通貨・為替の統合化措置が開始されましたが、これも想定したようにはうまく機能しておらず、国内通貨であるペソの価値は下落し続けていて、そのために輸入物価が上昇し続けています。

インフォーマル市場ではキューバ・ペソは1米ドルに対して200ペソ以上で取引されていると報道されています。公式の推計によると、23年のインフレ率は30%に達しています。22年の39%よりも低いとは言え、依然として高い数値が続いています。

そうした最中、3月18日に東部のサンティアゴ・デ・キューバ、エル・コブレ、グランマ県バヤモなどで人々が街頭に集まって不満の声を表明する動きが発生しました。

サンティアゴでは二つの通りに人々が集まり(海外の報道では数百人規模)、「電気と食料」を求める声が上がりました。他にもマタンサス県のサンタ・マルタ、ロス・マンゴスでも小規模の同じような行動があったことが確認されています。

当日の報道では、「衝突や暴力行為、弾圧などは起こっていない」ことが伝えられました。サンティアゴではベアトリス・ジョンソン・ウルティア共産党県第一書記らが現場に駆けつけて、抗議に参加した人々と対話するなどの対応に当たったことも報じられています。

キューバのミゲル・ディアス-カネル大統領は、自らのXアカウントで「様々な人々が電力供給や食料配給の状況に不満を表明している」と認めた上で、「革命の敵が、社会を不安定化させるためにこの状況を利用しようとしている」と非難するコメントを出しました。

「我々を窒息させようとする経済封鎖の真っただ中で、我々はこの状況から抜け出すために平和的に取り組み続けていく」とのコメントも発信しています。

今回の記事では、現在のキューバ経済の動向をどう見るのか、その問題点を主に国内の要因にポイントをおいてまとめてみます。まとめるに当たって、BBCのオンライン記事(3月19日付)にあるキューバ人経済学者の意見を参照しています。

南米コロンビアのハベリアナ大学カリ校に在籍するパベル・ビダル経済学部教授の意見は以下のとおりです。

・現在のキューバ経済の状況については、1990年代初めの頃と似ている。

※90年代初めの時期は、ソ連と東欧諸国の「社会主義経済圏」が崩壊した直後であり、1959年にキューバ革命が成功して以降、キューバの人々が遭遇した最も困難な時期になります。

この時キューバ政府は「平和時の非常時」と宣言しました(1990年8月)。国内総生産(GDP)は35%縮小し、非常に厳しい経済危機に陥ったと報じられています。

・その時と比較して、最近の経済危機について言えば、コロナ禍(20年)ではGDPが約11%マイナスになったものの、現在はそこからは少しずつ回復してきている。

・一方で、インフレ率は両方の時期で同じように上昇しているが、90年代の時は財政赤字がGDP比30%までになった。今回はそれほど上昇していないが、長期間にわたり高止まりしている。

・経済構造の相違については、現在は経済が以前より多様化していると思うので、状況がより悪いとは言えない。以前は海外からの送金も観光業もなく、今の方が収入源としての選択肢が増えている。

・「憂慮すべき」点としては、新たな選択肢にコミットできない人々の貧困問題がある。現在の状況では、社会の中で送金を受け取っていたり、新しく起業している民間セクターと結びついている層は、それ以外の社会的グループよりも比較的この経済危機に対処できていると考えられる。

「インフレ調整がなされていない名目のペソの固定収入に依存している年金受給者や国家職員」についての貧困率については、公式のデータはないものの「憂慮すべきものだと思う」と述べています。

90年代とは異なり、部門や階層間の違いによって現在の経済危機が与えるインパクトにも違いが出ていることが、状況を複雑にすると同時に、現在の危機の方がより厳しいと評価する経済学者が一定存在する一つの根拠となっています。

もう1人のキューバ人経済学者は、ワシントンD.C.にあるアメリカン大学ラテンアメリカ・ラテン系研究所の調査員であるリカルド・トーレス氏です。

・GDP統計の観点から見て、現在の危機は90年代の危機よりも「程度が軽い」ように見える可能性があるが、人々の負担や危機をどのように感じているかを理解するためには、質的な観点からの側面を考慮する必要がある。

・危機になる前の状態の違いについての言及。90年代の場合は、それ以前の経済成長によって80年代に達していた一定の生活水準の向上が前提となっていたのに対して、現在の状況は、80年代の生活水準や経済活動のレベルを回復しないままで、しかも低成長という状況の下から始まっている。

また、「問題がなかったというわけではないが」と断った上で、収入の面での不平等も今ほどではなかった点も付け加えています。

・この二つの状況の違いは、経済危機をどう克服するかについての能力(ポテンシャル)を示している。

例えば、産業インフラの老朽化について言及しています。発電所や道路などについて、90年代からの30年間で十分なメンテナンスや整備がなされておらず、「90年代よりもさらに劣化している」ことを指摘しています。

一方では、携帯電話の利用拡大やインターネットへのアクセスなど通信分野での改善があることにも言及しています。

もう一つ、大きな相違点として「人材」不足・喪失を挙げています。これは主に海外移民の増加と高齢化が要因となっていると説明しています。

例えば、教育分野でも以前は豊富にいた人材が国外へ移住したことで影響が出ていることを指摘しています。

物資の面では、配給制度によって維持されてきた生活必需品の供給についても最小限に抑えられていること、支給についても遅れがあることなどを指摘しています。

トーレス氏の見解では、この30年間で経済的不平等が進んだことで、経済危機に対してより脆弱な状態になってしまう人々がいることが問題を悪くしていると述べています。

・公式の統計が公表されていないが、2019年の時点で不平等の度合いが非常に高くなっていることが知られており、それは住民の多くの生活水準が良くないままに現在の危機を迎えていることを意味している。

そして危機に対処して人々の生活を支える社会のリソースが不足していることが大きな問題であることを指摘しています。

そこから、この危機を引き起こした要因はどこにあるのかということに話は移ります。大きく言えば、外的環境の変化から来るものと国内的な問題から来るものとに分けられます。

外的要因を列挙すれば、とくにウーゴ・チャベス政権時に結びつきが強くなっていたベネズエラ経済の悪化、米国政府による経済封鎖(とくにトランプ政権期の制裁強化)、コロナ禍による停滞、さらにはロシアによるウクライナ侵攻の影響(世界の肥料や食料の価格上昇)などです。

国内的要因として、ビダル教授は、「政府による政策の誤りと見なせるもの」を挙げています。その中には、2021年からの「金融・為替・通貨」の再編(為替レートの統一化など)の「失敗」や、2008年頃から始まっている経済構造の改革(生産・流通面での分権化や民間部門の拡大など)が「部分的」で「不完全」であることを指摘しています。

つまり、旧来のソ連モデルに依拠したような「中央集権的な計画経済モデル」の基本構造を維持したままでの「改革」では十分な経済的インセンティブを発揮させることができていないということを意味しています。

トーレス氏も、「社会主義国営企業がキューバ経済の主役であると言い続けているが、この社会主義国営企業はキューバ国民に電気や食料を提供できていない」と指摘しています。

このように、外的な環境の影響があるとは言え、この30年間に行われた改革によっては、キューバ経済をうまく動かしていくことができなかったことから、現在の経済危機の根底にある問題とは「機能しない」経済モデルにあると判断する点では二人とも同じ見方をしていると言えます。

このように見ていくと、3月18日に起こった人々の不満の表明は、キューバ政府が非難するような、米国による経済封鎖と、社会不安を煽る勢力による影響だけではなく、政府の政策的な対応能力への一定の不満を反映しているのではないかと言えます。

そしてそれは、人々に対する説明責任と実際の経済活動の成果が生活水準の立て直しに結びつくことによってしか解消されない問題なのではないかと思います。

最後に、3月18日の事態に対する政府の対応について述べておきます。

同日、キューバ外務省が声明を公表しました。それによると、米国のベンジャミン・ジフ駐キューバ臨時大使を外務省に呼び出し、「内政に関する米国政府と在キューバ大使館の介入主義的な行為と中傷的なメッセージを断固として拒否する」との見解を伝えています。

また、「国の経済能力を破壊することを目的とした経済封鎖の重みと影響により、不況と必要不可欠な物資やサービスの不足が生じている」と説明しています。

2024年3月26日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
©2024アジェンダ・プロジェクト

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チリ 昨年12月の憲法改正国民投票の結果について

2023年12月17日(日)、チリで憲法改正の国民投票が実施されました。

結果は次のとおり。賛成44.24% 反対55.76% 投票率は84.48%

反対多数で憲法案は否決され、現行憲法が引き続き有効となりました。

チリではこの4年間で2度にわたって、現在の憲法を改正するために新しい草案を作成し、賛否を問う国民投票を試みてきましたが、いずれも否決されて失敗に終わりました。

そのきっかけは、当時の右派政権の統治や、経済格差と社会的不平等に対する不満が爆発した 2019年10月の大規模な社会的抗議行動でした。この事態を収拾するために議会政党が代替案として憲法改正を提示したことがその後の4年にわたる憲法改正プロセスの始まりでした。

1度目の国民投票は2022年9月に行われましたが、約62%が反対し、進歩的でリベラル色の強い憲法案は承認されませんでした。そして2度目の今回は、現行憲法よりも保守色が濃いと評価された憲法案が否決されました。

同日、ボリッチ大統領は、今回の投票結果に言及して「この結果により、任期中での憲法制定プロセスは終了する」と述べて、3度目はないことを明言しました。ボリッチ大統領の任期は2026年3月までで、残り2年ほどです。

また、「反対」票を投じたチリ共産党のラウタロ・カルモナ党首は、「投票はこの草案に反対したものであり、1980年憲法(現行憲法)を支持するものではない」とするメッセージを発しました。

この間の憲法改正をめぐる出来事を振り返り、現行憲法の何が問題であり、改正の失敗が何を意味しているのかを今一度整理してみることにします。

(1)ピノチェト軍事独裁期の「遺産」

憲法改正が求められてきた主な理由の1つが、この憲法が、1980年に制定されたという起源に関わるものです。

この時の政治体制はアウグスト・ピノチェトを頂点とした軍事独裁であったこと、したがってその下で作られた憲法は当初から正当性を欠いているという批判を受けてきました。

しかしながら、1990年の民政移管を前後して、いくつかの重要な修正が加えられてきたことも事実です。

例えば、民政移管前年の1989 年に実施された憲法改正では、共産党を非合法化していた条項が廃止されるなど、禁じられていたマルクス主義などの特定のイデオロギーを認めるものへと変化しました。

また2005年には、当時のラゴス政権の下で、軍の権益を擁護する条項などが削除される憲法改正が実現しました。その一つが、連続6年在職した大統領を終身上院議員とする規定や、軍の各司令官を任命上院議員とする規定などです。

そのような改善がなされたものの、2010年以降、この憲法を民主主義の下で作られた条文に変えることを求めて、各地域で人々が集まって憲法案について議論する市民運動が次第に現れるようになります。これは文字通り、「下から」の民主主義を組織する憲法制定議会の運動です。

そのような運動の主張は、2019年の抗議活動にも反映されており、多くの参加者が、新憲法が制定されるまでは行動をやめない、新憲法の制定によって「ピノチェトの遺産は終わる」などと主張していました。

(2)憲法の中身に対する改革

憲法改正を訴える理由は、その成立・起源に対するものだけではありません。当然その中身に対しても批判や疑問があるからです。

2019年の大規模な社会運動が訴えていたのは、現在のチリ社会を規定してきた「社会経済モデル」を変革することでした。それは一言で言えば、「新自由主義的モデル」に対する批判です。このモデルは経済成長をもたらしましたが、その一方で格差を拡大させるなどの「社会的公正」に欠ける社会を作り上げたからです。

このモデルの目的は、とくに医療、教育、年金などの分野に「市場原理」「私企業の論理」を導入することでした。そして上記の分野における社会サービスの提供については、公的な制度だけではなく、私企業の運営にも委ねていくことになりました。憲法上、国家は市場をサポートする役割を担うように位置づけられていました。

したがって、現行憲法を批判してきた人々は、基本的な社会サービスの提供における国家の役割を強化して、より積極的なものにすることで経済的不平等を改善しようと訴えてきました。

もちろん、多くの人たちが、憲法を改正すれば、こうした分野における「すべての問題」が解決するわけではないと述べていたことも事実です。

また注意すべきなのは、憲法改正はこの時の運動の1つの要求ではありましたが、あくまでもたくさんある中の「1つ」であったことです。

実際に、運動がピークに達した時の主な要求は、ピニェラ大統領の退陣であり、警察の過剰弾圧と人権侵害に対する告発でした。憲法改正については、与野党を含めた議会勢力から事態を収拾するために合意して出されたもの(共産党は合意せず)であり、それが発表された以降も抗議行動は継続していました。

運動側からは、この合意は、退陣を要求されたピニェラ政権側の「時間稼ぎ」とも見られていました。「時間稼ぎ」というのは、この時合意したのは、まず憲法改正を行うか否かを問うための国民投票を行うとしたからでした。

運動が下火となり落ち着いていったのはその翌年から始まった「新型コロナ・パンデミック」の影響であり、憲法改正を行うか否かを問うための国民投票が行われたのは約1年後の2020年10月でした。

その後、1度目の新憲法案の賛否を問う国民投票が実施されたのは2022年9月でした。先に書いたようにこの時否決された新憲法案は、先の社会運動が求めていた内容を多く含むものでした。これは既存の政党に属していない人々や左派勢力の主導の下に作成された憲法案でした。

反対に、昨年12月に否決された2回目の憲法案は、社会サービスの提供については従来と同じく公・私両方を選択肢とする制度を優遇するものであったため、1980年憲法が規定する国家モデルを強化するものだと批判されることになりました。

2度目の憲法案は、右派勢力が主導して作成されたものでした。とくに、女性の権利に関しては現在の法律(例えば中絶の権利を条件付きで認める)より後退した規定を含んでいたことなどから、より「保守的」だと見られていました。

(3)2度にわたる憲法改正の失敗の原因

ここからは、専門家が今回の事態をどう見ているかについて紹介します。BBCが2023年12月18日に配信したオンライン記事に、チリの政治学者であるフアン・パブロ・ルナ教授(チリ・カトリック大学政治学部)のインタビューが公表されていましたので、それを参照します。

ルナ教授は、「ここには勝者はいない。これはゼロサムゲームであり、(政治家階級)全員が負けた」と述べています。

その上で、チリの政治家階級が2019年の抗議行動の要求を間違って解釈したことに失敗の原因があるとしています。「私たちの問題は、市民のことを理解できない政治家階級にある」ということです。

どういうことかと言いますと、この時の抗議行動にはたくさんのスローガンが掲げられていて、憲法改正の要求は、それらの要求の中で共通項ではあったけれども、すべてではないということです。

憲法改正という問題にすべてを集約してしまうことでその他のことが置き去りにされてしまうのは間違いであったと評価しています。

それとの関連でルナ氏が指摘するもう1つの重要な点が、チリの政党システム、代表制システムと社会との結びつきが以前から弱くなっていることです。

左派、右派ともに、既存の政治家階級が市民感情から大きく乖離していて、言わば「上から」社会を理解しようとし、ある特定の状況を拡大解釈しようとしてきたと分析しています。

具体的には、この間、人々が解決すべき問題と考えていたのは、治安であったり、教育であったり、医療や年金などの個別具体的なテーマであり、憲法改正がそれらを解決する答えだとは思わなかったとルナ教授は述べています。

求められてきたのは、憲法が規定する制度上の規則というよりも、このチリ社会がどう発展するのか、また経済成長が生み出してきた問題の解決と結びついた社会的合意をどう作るかということだと指摘しています。

運動が問題にしていたのは、憲法にある規定の問題というよりも、国家と市場というシムテムに、人々の具体的な生活条件を良くするための実際的な能力があるか、と言うことです。

とは言いつつも、現在の憲法が軍事独裁政権から引き継いだ様々な問題を条文として規定しているところがあり、それが実際の改革を進める上での障害になっていることはルナ教授も認めているように、憲法問題がまったく無関係ではないことに留意する必要があると思います。

さらに、この4年間で変わらないこととして、人々の投票行動が政治権力を握っている勢力を「罷免するもの」になっている点を挙げています。それはつまり、前の選挙で勝った者から権力を奪って、その間の責任を問うもの(罰を与えるようなもの)になっているということです。

そうした視点で見ると、そもそも2019年の抗議行動は当時の右派政権(ピニェラ大統領)の政治に対する反発から起こったのであり、それを受けて2020年10月の憲法改正の是非を問う国民投票では改正に賛成する票が多数を占め、2021年5月の制憲議会の選挙では無所属派や左派系の代議員が多く選ばれたと同時に、2021年12月の大統領選では左派のボリッチ候補が勝利しました。つまり、時の右派政権に対する批判票という側面が強かったと言えます。

しかし、コロナ禍の影響で社会運動が下火になり、経済状況が悪化すると、この左派政権に対する批判が強くなっていきます。

そうした情勢の中で行われた1回目の国民投票(2022年9月)では進歩的内容の憲法案が否決され、2回目の憲法審議会の選挙(2023年5月)では右派が多数を占めるという結果となりました。しかしそこで作成された保守色の濃い憲法案は再び否決された(2023年12月)というのが、この4年間の主な投票行動の流れです。

そうすると、その時々の政党政治の動向を「否認するもの」として選挙が機能していると言うこともできるのではないかと思います。ここでも、政治家が、市民が求めていることに的確に応えるような政治の形になっていないことが読み取れます。

結果として、2つの憲法案は国民投票によって否決されてしまいました。そうだからと言って、短期的にはともかく、将来にわたって「憲法改正」の扉が閉ざされてしまったわけではありません。

今回の事態を見ると、専門家が指摘しているように、この次はどういう社会状況の下で「憲法改正」を求める声が大きくなっていくのかが重要なポイントの1つになると思います。

それと同時に、半世紀が過ぎてなお、チリ社会を規定し、一定の支持基盤が根強く残っている「ピノチェト軍事独裁」の影響力をどれほど払拭できているのかがもう1つの重要なポイントになるのではないかと思われます。

そしていずれにしても、そうした変化する人々の意向(民意)をどのように政治の中に反映させていくことができるかが最も問われているのではないかと思います。

2024年2月29日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
©2024アジェンダ・プロジェクト

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アルゼンチン ゼネストに立ち上がる労働者

1月24日(水)、アルゼンチンでは、ハビエル・ミレイ政権が進めようとしている新自由主義的な経済・社会改革に反対するため、労働組合がよびかけて半日規模のゼネラルストライキが行われました(現地時間の午後0時から深夜まで)。同日行われた国会議事堂広場でのデモと集会には、組合員のほかに数多くの市民や野党政治家などが集まりました。

アルゼンチンでゼネラルストライキが行われたのは、中道右派のマクリ政権下の2019年以来5年ぶり、ミレイ新政権が発足してからわずか45日後のことでした。ミレイ新政権に対する大きな抗議行動としては今回が3回目となります。

首都ブエノスアイレスでは、参加者たちが横断幕や国旗を手に、ミレイ新政権の新自由主義改革に反対するスローガン、「祖国は売り物ではない」を叫びました。

今回の行動に連帯して、例えばブラジリア(ブラジル)、ロンドン(イギリス)、モンテビデオ(ウルグアイ)、マドリード(スペイン)、ローマ(イタリア)などの世界各地でも集会が開かれました。

今回のストライキについて、BBCが3つの項目に沿って解説した記事(2024年1月24日付)がオンラインで公表されていましたので、それを軸に他の報道などでの情報を加えてまとめてみたいと思います。

(1)ゼネスト当日の様子とその影響

今回のストライキは、国内最大の労働組合連合である労働総同盟(CGT)がアルゼンチン労働者センター(CTA)と共同して呼びかけました。その他にも建設労働者やトラック運転手、教員や医療従事者など様々な職業の労働者を代表する組織が活動を支援しました。

国会前で行われた集会には、労組だけではなく人権団体、野党の政治家、市民やアーティストなどが集まりました。例えば、ブエノスアイレス州のアレックス・キシロフ知事などが参加しています。

この日の行動は、ブエノスアイレスの国会前でのデモと集会で始まりましたが、首都以外の他の都市でも集会などが行われました。

首都での参加者人数は、主催者発表では60万人、警察集計が13万人、政府は4万人と述べています。

また主催者の労組によると、全国では150万人がこの日の行動に参加したこと、CGTの推計では、全国の組合員の80%(約500万人)がスト行動を遵守したと述べています。

このストライキによる影響ですが、政府によると、航空輸送はストップして、アルゼンチン航空の300便以上が欠航・延期となり、約2万人の利用者に影響が出たとしています。それによる経済的損失は約250万ドルと見ています。

他方、陸上の公共交通機関については、午後遅くからの削減(減便)を発表したものの、大半は運行を続けました。その理由としては労働組合が抗議活動への参加者を運ぶ必要を考慮したためと説明しています。

(2)なぜ、ゼネストを決行したのか

次にストライキを行った理由についてです。それは、現在の高いインフレ率(昨年12月の消費者物価指数は前年同月比200%を超えた)、生産性の低さ、多額の債務、慢性的な赤字(財政赤字と経常赤字)といった、深刻な問題に直面し疲弊しているアルゼンチン経済を立て直すために実行しようとしているミレイ政権の2つの主要な改革措置に反対し、これを阻止することです。

ミレイ政権は発足した直後に第一弾の措置(10項目の緊急経済対策)を公表、実行しました。

それには、18あった省を9省(経済、外務、治安、司法、保健、内務、国防、インフラ、人的資源)に削減する、通貨を切り下げる(公式為替レートを1ドル=800ペソ、54%の切り下げ)、エネルギーと交通関連の補助金を削減することなどが盛り込まれました。今回の2つはこれに続く第二弾と第三弾に相当するものです。

自らを「自由至上主義」(リバタリアン)と呼ぶミレイ大統領は、いわゆる「小さな政府」論の信奉者です。いまのアルゼンチン国家は「大きすぎてかつ非効率である」と考えており、大規模な規制緩和を含めて政府支出に関してドラスティックな削減案を提案しましたが、労働組合はそれに抵抗しています。

組合側は、インフレや貧困対策などの分野での支出を削減することは、労働者階級や社会的に脆弱な立場におかれた人たちの権利を剥奪することを意味すると考えています。

CGTのエクトル・ダエール書記長は当日、国会議事堂広場でのスピーチで、「我々は、DNU(必要緊急大統領令)が倒れて、国家改革法案(通称「一括法案」)が却下されるまで闘い続ける」と宣言しました。

DNUとは、ミレイ政権が発足してからわずか2週間後の昨年12月20日に発表された「必要緊急大統領令」のことで、本文には366の条項が含まれています。そこには、経済の規制緩和のための300以上の措置が盛り込まれています。

例えば、「国土全体における商取引、サービス、産業の規制緩和を確立する」とともに、「自由な決定に基づく経済システムを推進する権限を国家に与える」としています。

また、「商品やサービスの供給に関するすべての制限、および市場価格を歪めたり、自由な民間のイニシアチブを妨げたり、需要と供給の自発的な相互作用を妨げたりするようなすべての規制要件は無効になる」とも規定しています。

ただ、大統領令(DNU)によって様々な法律の廃止や改正をすることの法的正当性については、弁護士や労組などから疑問や批判の声が上がっており、労働法に関する事項に関しては、労組の訴えに対して全国労働控訴裁判所(la Cámara Nacional de Apelaciones del Trabajo de Argentina)が一時的に停止する判断を下しています(24年1月3日)。

 そして、DNUの一環として、昨年12月27日に国会に提出されたのが、国家改革「一括法案」(法案名称は「アルゼンチンの自由のための出発点と根拠法」)です。この中にすべての改革案の「3分の2」が含まれており、したがって「最も深いもの」とミレイ大統領自身が述べているものです。

この法案は当初、664の条文からなり、約20の法律を修正するものとなっていました。その後、野党の意見を一部取り入れて「修正案」を再提出しました(その結果、条文は523に削減)。

労働から商業、不動産、航空、医療など、幅広い経済分野での規制緩和を提案しています。中でも国家改革に関する章では、当初は、すべての公共セクターの企業を「民営化の対象」とすることが提案されていました(「修正案」では、国有石油会社YPFが対象から外されたほか、一部の企業が「部分的民営化」扱いとなっています)。

それ以外にも、集会デモに関する規制強化(刑法関係)や選挙制度の変更(小選挙区制)、教育、文化、環境などの分野に関する内容も含まれています。

この法案は、憲法の規定に基づいて議会によってのみ修正ができる内容に限定したものですが、成立するかどうかはそれほど簡単ではないと見られています。というのも、ミレイ大統領の与党「自由前進」は、上下院のいずれにおいても少数の議席しかないので、他の政党(とくに中道右派)との交渉次第という面があるからです。

国家改革「一括法案」に対する批判はその内容だけではありません。その提案方法も問題となっています。政府は、条文を一つのブロックにまとめて、賛否の一括投票にかけようとしています。反対に野党は各条文ごとの議論を求めています。

さらに同法案を見ると、第3条には以下のような規定があります。それによると、2024年12月31日までの間、経済、金融、財政、年金、治安、保健衛生、関税、エネルギー、行政の分野に関して「社会緊急事態」を宣言するとしています。

仮にこれが認められれば、ミレイ大統領は、その期間は上記の分野について立法府を回避して法律を決定できる権限を持つことになります。つまり行政権とともに、立法権の両方を掌握できることを意味します。しかも同法の規定では、最長1年間の延長も可能としています。

そこまで認められてしまえば、大統領の任期4年の半分は行政権と立法権を掌握することになってしまうことになりかねません。労組のみならず、人権団体や野党の政治家、市民の多くがこの法案に反対して容認することができない理由がここにあるといっても過言ではないと思います。

こうした自身の改革案に対する強い反対を見越してか、ミレイ政権はすでに抗議行動への規制強化を行ってきています。

具体的には、昨年12月14日に治安省が、デモ隊による公道の寸断、封鎖に対する取り組み方針を公表しました。それによると、違法な道路封鎖に対しては厳罰で臨むとして、4つの連邦治安部隊(国家憲兵隊、沿岸警備隊、連邦警察、空港警察)を投入して全面的に自由な通行を確保すること、治安活動に要した費用は違法な道路封鎖を伴うデモの主催者に請求されることなどを盛り込んでいます。

他にも、車両の通行制限や、バスなどの公共交通において治安当局が捜索を行ったり、乗客の顔を撮影することを許可するとしています。今回のゼネストに関しては治安部隊に対して事前に裁判所がそうした行為を行わないように命令を発していました。

(3)抗議行動に対する閣僚たちの発言と闘い続ける人々の決意

ハビエル・ミレイ大統領はストライキ当日、ブエノスアイレスの大統領官邸にいたことが報道されています。

公式の情報として伝えられているところによると、ミレイ大統領は、今回のゼネストについて、社会の中での労働組合や組合員のイメージが悪くなるので、かえって「有益だ」と考えているようです。

また、ミレイ政権の閣僚たちは、今回のゼネストについて、労働組合員の「特権」を守ろうとするものだとして非難しました。

パトリシア・ブルリッチ治安相は、自身のX(旧ツイッター)に、ストライキが成功していないことを示すために、営業中の店舗や繁華街の画像をアップし、「国は止まっていない。」「我々を止めるストライキはない。」とコメントしました。

しかしながら、アルゼンチンで発行部数の多い「クラリン」紙は、政府が24日(水)の抗議活動による経済損失を約15億ドルと非公式に見積もっていると報じています。つまり、実際にはストライキがそれなりの影響を及ぼしていることは政府も認めざるを得ないということです。

それでもブルリッチ治安相は、参加者がわずか4万人だったとして、この数は「2100万人のアルゼンチンの労働者のうちの0.19%である」と述べました。さらに、主催者を「社会が民主的に決定した変革に抵抗している」として、「マフィアの労働組合員たち」などと貶める表現を使っています。

ディアナ・モンディーノ外務・通商・宗務大臣も、ストライキには「正当性はない」、「我々は彼らを恐れていない」と真っ向から対決する姿勢を示しています。

マヌエル・アドルニ大統領報道官も「交通機関は午後7時まで正常に機能し、商業活動もまったく正常だった。様々な団体の報告でもストライキへの遵守は非常に低かったことを示している」ことを強調しました。

また、ブエノスアイレス市商工連盟(フェコバ)は、首都ブエノスアイレス市内の商店におけるストライキ遵守率は4%未満だったと発表しています。

今回のゼネスト以前に、ミレイ政権が誕生してから大規模な抗議行動がすでに2度行われています。昨年12月20日に左派の社会運動組織「労働センター(Polo Obrero)」などが、ミレイ大統領が発表した大型経済改革に反対するデモを行ったのが1度目です(主催者によると参加者は3000人)。

「Polo Obrero」は、2000年に創設された「ピケテロス」の最大組織です。「ピケテロス」とは、抗議行動の取り組みとして道路封鎖を行う人たちのことで、主に失業者たちが参加しています。

行動があった12月20日は、金融危機の渦中にあった2001年12月20日に当時のデ・ラ・ルア大統領の退任を求めてブエノスアイレス市の五月広場に集まった民衆を治安部隊が制圧し多くの死傷者(死者39名)が発生した日です。そのため、ブエノスアイレス市では毎年12月20日に大規模なデモが行われてきました。

2度目が昨年の12月27日、首都ブエノスアイレスで行われたもので、この日、先の「一括法案」が提出されたのでそれに対しての反対行動でした。この日の行動は、今回と同じ「労働総同盟(CGT)」が呼びかけて、「DNU(必要緊急大統領令)打倒!」のスローガンの下、約8000人がデモに参加しました。その過程で一部の参加者が警官と衝突して2名が逮捕されたと報じられています。

今回のゼネストは3度目の大きな取り組みだったわけですが、これからも闘いは続きます。この日の集会参加者の一人は「闘い続けることが本当にとても重要だ。腕をおろしてはいけない。」と強く訴えています。

2024年1月30日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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アルゼンチン ウルトラ・リベラリズム政権の始まり

(1)大統領選挙の結果

11月19日(日)、アルゼンチンで大統領選の決戦投票が行われ、1回目の時は2位だったハビエル・ミレイ候補が逆転で中道左派のセルヒオ・マッサ候補(現職の経済相)に勝利しました。

ミレイ候補の得票率は55.65%、敗れたマッサ候補は44.35%でした。投票率は76.32%。

ミレイ候補は決戦投票での自らの勝利を「奇跡」と評価し、当選後の最初の演説で「アルゼンチンを変革し、リベラル・リバタリアン(自由至上主義)の大統領を誕生させる奇跡を成し遂げるために2年間活動してきたチームに感謝する」と述べました。

ミレイ氏は、「自由前進」という新興政党のリーダー(下院議員)として、数十年にわたってアルゼンチン政治を支配してきたペロン主義勢力を押さえて大統領の座を射止めることになりました。

インフレ、貧困、対外債務に象徴されるように、衰退を続けるアルゼンチン経済の再建を掲げるミレイ候補の主な経済政策は、米ドルの法定通貨化、国家の縮小(歳出削減、省庁の統廃合)、中央銀行の廃止、国営企業の民営化、解雇補償金の打ち切りなど新自由主義的な性格を鮮明にするものです。

逆転でミレイ候補が勝てた背景はどこにあったのか、BBC(2023年11月20日配信記事)は次の3つの要因を挙げています。

①経済の危機的現状

現在の深刻な状況を表しているのが、貧困とインフレです。貧困については5人に2人が貧困状態にあること(40%超とも言われる貧困率の高さ)、インフレについては、今年10月に年率143%を記録しました。

今回の危機的状況は、アルゼンチンが軍政から民主主義を回復して40年の間で3回目のことと言われています。一度目が1989年、軍政から移行したラウル・アルフォンシン政権の末期にハイパー・インフレに見舞われた(この時は一時月間200%)時。二度目が2001年の債務不履行が宣言された時で、フェルナンド・デ・ラ・ルア政権が崩壊しました。

経済危機が続く現状に対する不満や閉塞感の高まりによって有権者の多くが劇的な変化を望む中、既成の政治勢力とは一線を画した経済政策を掲げるミレイ候補への支持につながったことは否定できず、多くのアナリストも、ミレイ氏はこうした悪化している経済・社会の状況に対する一つのオルタナティブになっていると指摘しています。

②既存体制との断絶を強調する演説

その上で、ミレイ氏の歯に衣を着せぬ演説や、チェーンソーを使った派手なパフォーマンスなどが有権者の「心」をとらえた面も強調されています。

ミレイ氏の言説の特徴は、自らが「政治カースト」と呼ぶエスタブリッシュメント(既成の特権階層、体制)を厳しく批判する内容の発言をSNSを通じて繰り返し行ってきたことにあります。

この点については、「ミレイは候補に選出されて公の場に登場して以来、体制と対峙し、全く異なる政治的物語を差別化することに成功した」とアルゼンチンの政治学者であるセルヒオ・ベレンステイン氏は述べています。

ミレイ氏の極端に新自由主義的な政策が多くの人にとって将来に対する不安と怖れの感情を生み出しているにもかかわらず、その一方で、対決的で過去との断絶を強調した演説によって既存の政治家階級と政府にうんざりしている有権者の心情に訴えることができたこと、とくに将来に希望を見いだせない若年層からの支持が高かったことが勝利の要因になったと指摘されています。

③反ペロン主義の中道右派による支持

最後が中道右派の支持を受けることができたことです。これが決選投票での勝利を確実なものにしたと言えます。

具体的には、中道右派連合「変化のためにともに」のマウリシオ・マクリ元大統領とパトリシア・ブルリッチ氏(元治安相)の支持を受けたことです。ブルリッチ氏は1回目の投票で3位に付けた大統領候補でした。

これにより、決戦投票に向けてのキャンペーンではミレイ氏は「政治カースト」全般への批判はトーンダウンさせて、左派(ペロン主義左派)への批判を強めていきました。

(2)大統領就任式での最初の演説

12月10日(日)、大統領就任式に臨んだミレイ氏は、約30分間、大統領として最初の演説を行いました。そこで強調されたのは「調整策以外に選択肢はない」ということでした。ここでは演説の中身についてBBC(2023年12月10日配信記事)が報じた5つのポイントをまとめてみたいと思います。

就任挨拶の演説は通常議会内で行われますが、ミレイ大統領は議会前の階段上から支持者に向けて演説を行いました。

①「調整策以外に選択肢はない。ショック療法以外に選択肢はない。」

まず、公共部門における歳出削減については段階的な措置をとらずに断行すると明言しました。調整の規模については国内総生産(GDP)の5%分に相当するとした上で、その負担(削減)についてはこれまでとは異なり、民間部門ではなくほぼ全面的に国家の部門で行うことになると述べています。

「調整策以外に可能な選択肢はなく、ショック療法と段階的なやり方(漸進主義)との間で議論する余地はない」とも述べ、この国で段階的なやり方で進められたすべての計画は「ひどい結果に終わった」と主張しました。

また、「段階的なやり方を取るためには資金が必要であるが、残念なことにもう一度言わなければならないがそのお金はない」と指摘しました。

②「短期的には状況が悪化することはわかっているが、その後は成果が見られるだろう。」

これから行う予定の政策については、「難しい決断」には多大なコストがかかること、それは避けられないものであると述べています。

特に調整策は「経済活動の水準、雇用、実質賃金、貧困層や生活困窮者の数にマイナスの影響を与えるだろう」と指摘し、景気後退とインフレが同時に発生する「スタグフレーションが起こる」可能性を示唆しました。

しかしそれについても、アルゼンチンで「過去12年間に起こったこととそれほど変わるものではない」として、その間に「一人あたりのGDPは15%減少した」と説明しました。

詳細は述べられませんでしたが、調整策の中身は、国家予算の大幅削減、規制緩和、税制変更、国営企業の民営化などが含まれると言われています。

「これはアルゼンチンの再建を始めるための最後のつらい出来事(最後の一杯)である」が、「この道の先には光があるだろう」と訴えました。

③「我々が受け取っているものよりもひどい遺産を受け取った政府はない。」

このようにミレイ新大統領は、就任演説の大部分を国の暗い現状についての説明に費やしました。

例えば、現在の「双子の赤字」(財政赤字と国際収支赤字)について、ペロン主義左派(退任したクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル副大統領がそのリーダー)は当初、財政黒字と対外黒字を誇っていたが、今やGDPの17%に相当する規模の財政赤字と対外赤字(国際収支赤字)を残したと述べました。

このうちの15%が財務省と中央銀行の連結赤字に相当し、さらにその5%が財務省、10%が中央銀行の赤字分に当たることから、この財務省分の5%を削減することは避けられないとしています。

通貨政策については、これ以上の通貨発行を停止する計画を示した上で、「退陣する政府による金融混乱の代償」は18~24か月続くだろうとも警告しました。

公式統計によると、アルゼンチンでは貧困率が40%を超え、インフレ率は140%となっていますが、ミレイ大統領はこれらの数字についても急増するリスクがあると述べています。

「退陣する政府により、我々はハイパーインフレの前に立たされている。我々の最優先事項は、90%を超える貧困率の上昇につながるような大惨事を回避するためにあらゆる努力を払うことである」と述べました。

しかしその一方で、ミレイ大統領が選挙の中心公約として掲げていた米ドルの法定通貨化と中央銀行の廃止については言及しませんでした。

④「変革を妨害するために暴力やたかりを利用しようとする者たちに対しては、揺るぎない信念を持った大統領に出会うことになると言おう。」

新政権は議会内や街頭での強い反対に直面することになると様々なアナリストが予想していることについて、ミレイ大統領は断固たる姿勢で臨むことを約束し、「変革を進めるために国家のあらゆる手段を活用する」、「我々アルゼンチン人が選んだ変化を妨害する偽善や不正行為、あるいは権力への野心を容認するつもりはない」と述べました。

特に「ピケテロス」グループ(1990年代以降に顕著になった道路封鎖などを戦術とする失業労働者らの社会運動)について言及しました。

今後は「同胞の権利を侵害して道路を封鎖する者は社会から援助を受けられなくなる。言い換えると、遮断する者は恩恵を受け取れないということだ」と言い放ち、対決する姿勢を示しています。

同時に、「新生アルゼンチンへの参加を望むすべての政治家、労働組合、企業家たちは」「両手を広げて」歓迎するとも述べて分断を強調しています。

議会については、ミレイ大統領が率いる与党の「自由前進」党は、下院では定数257のうち38名、上院では定数72のうち8名しかおらず、実際にどのように改革案を通すことができるのかについては確かな状況にないことが指摘されています。

⑤「今日、アルゼンチンで新しい時代が始まる。」

ミレイ大統領は、自らの政権がスタートすることによって「衰退の長い歴史」に終止符が打たれ、「再建」の時代が始まると述べています。「ベルリンの壁の崩壊が世界にとって悲劇的な時代の終わりを告げたのと同じように、今回の選挙が我々の歴史の転換点を示した」と主張しました。

最後に、社会運動側の動きについても触れておきます。

ミレイ政権の誕生とその極端な新自由主義政策に反対する行動への取り組みが始まっています。ピケテロ闘争戦線などの社会運動グループは会議を開いて、12月19、20日に大規模なデモ行動を実施する予定を決めています。「一歩も引かない」「誰も屈しない」という2つのスローガンが掲げられています。

2023年12月12日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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チリ 新憲法案が抱えるジレンマ

11月7日(火)、ガブリエル・ボリッチ大統領は任期中に2度目となる新憲法案の受け取りを行いました。

そのセレモニーの中で、ボリッチ大統領は、「この憲法案によって、チリの大きなテーマ、つまり医療、教育、年金、労働、社会保障、環境、女性の権利の進歩、経済発展のモデル、天然資源、政治制度、民主主義の強化、文化的多様性の統合などの分野で私たちが直面している課題について、どのような形で取り組むことができるようになるのかを国民一人ひとりがじっくりと考えなければならない」と指摘しました。

その上で、「チリ国民は、これが我々を団結させる提案であるかどうかを決めなければならない」と落ち着いた様子で述べました。

ボリッチ大統領とその閣僚らは、新しい憲法案に対する自らの立場を明らかにしないように努めてきましたが、左派政党や与党が公表しているように、今回の草案に反対していることは明らかであると各種報道が伝えています。

左派が中心となって起草された前回の憲法案は昨年9月の国民投票で不承認(62%の反対)の結果でした。今回の草案を討議した憲法審議会は、一転して右派が主導権を取る形で進められた結果、保守色の濃い内容の草案となりました。

憲法審議会は6月7日からスタートして、10月30日に最終案を採決・決定しました。最終案は、全50議席のうち、右派からの賛成33票、左派からの反対17票により、承認されました(採決の基準は単純過半数ではなく、5分の3の賛成が必要)。

草案に対して左派が主張している批判点の一つは、チリ国家の性格規定に関するものです。新しい草案の第3条で「チリ国家は社会的で民主的な法治国家」と規定しており、この点については従来の草案と大きな違いはありません。

そもそも「社会的で民主的な法治国家」とは、左派の観点からは、貧困層など所得の少ない人々を支援する連帯の制度を作り出すための法的根拠となる規定です。そしてこれは、2019年10月に始まった広範な社会運動が求めてきたものでもあります。

そして、様々な社会的権利の提供において、これまでは民営部門に重要な役割を与えてきた「補助的国家」と呼ばれてきた現在の体制を変えるための規定でもあります。

しかしながら、医療や年金などの具体的な権利を規定した条文を見ると、現行の「個人資本化モデル」と呼ばれる制度を維持するものだと左派から批判が出されています。

※「個人資本化モデル」とは、例えば年金制度では、労働者が賃金から毎月決まった額の拠出金を積み立てて民間会社がその基金を金融市場で運用するモデルのことを指しています。

草案の条文を見ると、第16条28項-b「各人は自らの年金保険料とそれによって発生する貯蓄に対する所有権を有する。また、国営か民営かに関わらず、それらを管理し投資する機関を自由に選択する権利を有することになる。」と規定しています。

現行の民営による年金制度については、実際に年金の支給額が当初の予想を下回っていることで改革が求められていました。

医療についても、同様に「各人は、国営か民営かに関わらず、保護を受けたい医療制度を選択する権利を有する。」(第16条22項-b)と規定しています。

この規定によれば、医療制度が個々人の所得の程度に左右されてしまい、結果的に社会横断的に支える連帯制度の創設が妨げられることになると批判されています。

さらに今回の草案で大きな争点の一つとなったのが、「中絶の権利」をめぐる問題です。

条文では「命の権利。法律は胎児の命を保護する。」(第16条1項)としています。

チリでは2017年から3つの要因(母体の命の危険、胎児の生存不可能、性暴力による妊娠)に限定して中絶の権利が法的に認められる(非処罰化)ようになっています。

しかしこの条文が追加されたことで、現在の法律(中絶の一部容認)がこの条文に抵触して大きな影響を与える可能性が指摘されています。

この他の条文についても様々な問題点が指摘されていますが、ここでは割愛します。

来月実施される最終的な国民投票の結果に関して、ボリッチ大統領は、新憲法案が承認された場合には、政府がその制定と施行について、必要となる法令の整備を含めて間違いなく保障することを確認しました。

反対に否決された場合に憲法改正プロセスをどうするのかについては直接の言及はなく、政府は「人々の福祉ために、休むことなく、引き続き精力的に働き、政権運営を行うことに専念する」と述べるにとどまっています。事実上、3度目の可能性はないと見られています。

一方、今回の案を主導した右派側の評価を見ておきます。憲法審議会のベアトリス・エビア議長(右派、共和党)は、「この案は、個人が第一に位置し、それに奉仕するのが国家であるという(…)政治、経済、司法制度を導いていくべき原則と価値観を確立するのに必要かつ基本的な土台の上に構成されている」と肯定的に評価しています。

さらに、現在のチリ社会が直面している「大きな道徳的および社会的危機」に対して、この草案には「法の支配と法的な確かさを強化することで、…制度的・政治的に不確かな状況を終わらせる能力が備わっている」と付け加えました。

他方、憲法審議会に先立って草案のたたき台を作成する役割を担った専門委員会のベロニカ・ウンドゥラガ委員長(中道左派)は、今回の案について、「残念ながら、私たちは憲法制定プロセスの目的、つまりチリ国民を団結させ、新しい社会協定の土台を確立する憲法を達成するという目的を多少見失ったと思う」とスペインのエル・パイス紙に述べています。

11月7日に新憲法案が大統領に手渡されたことにより、憲法審査会は解散し、国民投票が行われる日(12月17日)の3日前、つまり12月14日までの間の国民投票の運動期間に入りました。

カデム社による世論調査(11月12日付)では、引き続き新憲法に対する国民の支持は得られていないとの結果を示しています。調査結果では反対が50%(先週と変わらず)、賛成が32%(先週より3ポイント下落)、まだ賛否を決めていない人(無回答を含む)が18%(先週より3ポイント上昇)となっています。

そもそも国民の多くが憲法改正への関心を示していないという別の調査結果もあります。2019年の社会的抗議行動が高揚した時には、新憲法が危機からの出口になりうるという多くの市民の期待があったと言われていますが、その後の社会状況の変化や一度目の改憲プロセスの失敗もあって人々の関心が低下しているのが実情です。国民投票で不承認となった場合は現行憲法が引き続き有効となります。

2023年11月17日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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