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INTRODUCTION 戦後補償
「戦後補償」と「戦争賠償」
 「戦後補償」とは、戦争の加害責任を持つ国や企業が、戦争で被害を受けた個人を主な対象に行う賠償のことです。「戦争賠償」とは、敗戦国が、戦勝国の戦費や損害を支払う賠償のことです。かつては「戦後補償」という考え方はなく、第二次大戦を経て「戦争自体が違法・犯罪だ」という思想が発展し、被害者からの訴えが行われるなかで形づくられてきたものです。
 戦後「冷戦」が激化する中、サンフランシスコ講和では、日本を資本主義陣営に取り込むため、米国が主導して戦勝国であった連合国に対日賠償請求権を基本的に放棄させました。日本の旧植民地であった台湾(中華民国)も放棄を強いられました。日本はフィリピン、ビルマ(現ミャンマー)、インドネシア、南ベトナム(当時)の四ヶ国のみと賠償協定を結びますが、資材供与がほとんどで、日本の経済進出の狙いがありました。他の国には正式な賠償はしていません。中華人民共和国も国交締結時に日本の圧力で請求を放棄、賠償はゼロです。
 旧植民地の大韓民国にも、日本は国交締結時に、経済協力とひきかえに請求権を放棄させ、朝鮮民主主義人民共和国とは国交も結ばず、賠償は全くしていません。昨年の日朝平壌宣言では、問題のある韓国方式が合意されました。
 日本政府は、これら国家間協定などで戦後補償は解決済みとしていますが、国家が請求権を放棄しても、個人の請求権が放棄されたわけではありません。個人補償は全くおこなわれていないのです。
アジアの人々を排除する日本の戦争被害者「援護」法
 かつて日本はアジア・太平洋への侵略戦争で、強制連行・労働、「慰安婦」制度、住民虐殺・レイプ・生体実験、朝鮮人被爆者、不払労賃、軍票被害など、重大な被害をもたらしました。しかし日本政府は戦後補償を行わず、アジアの被害者たちは戦後六〇年近くたった現在も苦しみ続けています。
 戦後、戦争被害者への「補償」ではなく「援護」諸法を定めた日本政府は、原爆被爆者援護を除く大半の法律に国籍条項を設け、一部の日本人にのみ、しかも加害責任の大きい元軍人に手厚い制度をつくりました。その過程で、それまで無理やり「日本人」としてきた朝鮮・台湾などの旧植民地出身者を、またもや強制的に「外国人」として「援護」から排除したのです。ちなみに国家間賠償等は多く見ても総額一兆円、日本人に毎年払われている「軍人恩給」は総額五〇兆円にのぼります。旧植民地出身者は「援護」は受けられないのに、「日本国民」として戦争責任は負わされ、「B・C級戦犯」として処刑された人も少なくありません。まさに差別です。
 なかでも「慰安婦」制度の被害者は、日本人も含め、国家的レイプによる身体的・精神的な後遺症と、性暴力被害者への社会的な女性差別に苦しみながら、数十年もの沈黙を強いられてきました。戦後五〇年を前にした九〇年代初め、ようやく彼女らは訴え出ることができましたが、補償は行われず、卑劣な中傷も繰り返されています。
一刻もはやくアジアの戦争被害者に「戦後補償」を
 これまでに七〇件近い戦後補償裁判が日本国に対して起こされました。国連も「慰安婦」問題の国家賠償と責任者処罰を行うよう何度も勧告し、二〇世紀末の二〇〇〇年には女性国際戦犯法廷という民衆法廷が開かれ、昭和天皇裕仁に有罪判決が下されました。
 しかし日本の司法はほとんどの裁判で、明治憲法の「国家無答責(公権力行使について国は責任を問われない)」などをタテに補償を認めませんでした。「慰安婦」制度や南京大虐殺などの教科書記述には、自由主義史観派が中傷キャンペーンを行い、「慰安婦」問題に関する戦後補償立法案も廃案になり続けています。政府は法的責任を認めず、「アジア女性基金」なる民間募金や、軍人・軍属らへのわずかな一時金でごまかしています。
 金銭的賠償は、原状回復し得ない戦争被害に対するせめてもの償いでしかありません。被害者は高齢で、すでに亡くなられた方もおられます。日本は一刻もはやく戦後補償を行う必要があります。
(編集員 藤井 悦子)