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アジアの声を法廷へ
― 小泉靖国参拝訴訟の全国展開 ―
1 中曽根首相の靖国参拝から一八年
 今からもう一八年前のことになる一九八五年八月一五日、当時の首相である中曽根康弘が、首相の肩書き付きでの記帳・供花による「靖国神社公式参拝」を強行した。これに対して、全国三カ所で公式参拝行為に対する国家賠償請求を求める訴訟が展開された。
 これらの訴訟は一九九二年の高裁判決のレベルで一定の効果をあげることとなった。というのは、傍論としてではあるが、首相の公式参拝行為について「違憲の疑いがある」という司法判断を引き出すことができたのである。
 その後、地方公共団体の「玉串料」支出に関する住民訴訟の形式で、一九九七年に注目すべき最高裁判決が出た。いわゆる「愛媛玉串料訴訟」である。この訴訟において、最高裁大法廷は一三人の裁判官により次のような違憲判断をしたのである。
「本件の玉串料等の奉納に儀礼的な意味合いがあることも否定できない。しかしながら、明治維新以降国家と神道が密接に結び付き種々の弊害を生じたことにかんがみ政教分離規定を設けるに至ったなど前記の憲法制定の経緯に照らせば、たとえ相当数の者がそれを望んでいるとしても、そのことゆえに、地方公共団体と特定の宗教とのかかわり合いが、相当とされる限度を超えないものとして憲法上許されることになるとはいえない。」(判決理由より)
 この内容は、「政教分離」を定める現憲法の規定からしてあまりにも当たり前の判決とも見えるが、この判断は実は画期的なものと評価すべきものである。というのは、地裁・高裁レベルでは「知事の靖国神社への玉串料支出は、過大でない限り社会的儀礼として受容されるという宗教的評価がされている」という被告側からの反論が争点となり、一定の影響を与えて、その旨の高裁判決も出されていたからである。
 逆に言えば、この日本という国において、戦前から猛烈に叩き込まれてきた「靖国思想」、「お国のために戦い、戦死した者は、英霊として靖国神社に祀られる」という思想は「社会的儀礼」といって違和感がないほどに深く浸透してしまっているということである。より正確に言えば、深く浸透してしまったものを根本から正すことなく戦後五〇年余を経てきているということである。国家神道の果たした戦争賛美の思想を反省する趣旨で制定された現憲法の「政教分離」規定が存在するにも関わらず、全くの空文と化してきたと言っても言い過ぎではない実態があるのである。
 そうであればこそと言うべきか、二〇〇一年に自民党総裁候補となった小泉純一郎は、公約として「首相靖国参拝」を打ち出した上で総裁選に勝利、総理大臣となった。そして同年八月一三日、肩書き付きの記名・供花をもって靖国神社に参拝し、「総理大臣である小泉純一郎が心を込めて参拝した」と言明したのである。
2 小泉靖国参拝を許さないアジアの声
 小泉首相の靖国参拝への動きに対し、既に早くから中国・韓国等より懸念の声が強く沸き上がり、報道されていた。
 小泉首相の行動は、その声をもちろん意識しており、当初公約の「八月一五日参拝」を微妙にずらして「八月一三日」とする小細工を弄したのであるが、それでも意思を貫いたことに変わりはない。しかも、その後も年に一度、二〇〇二年は四月二一日の「春の例大祭」の日、二〇〇三年は一月一四日に参拝を重ねている。
 これに対して、先の「中曽根首相公式参拝」とは異なる動きがアジアから沸き起こった。
 この間の運動体間交流により、韓国及び台湾から「首相の靖国神社参拝を許さない」と、集団的に訴訟の原告に加わる動きが起こったのである。韓国からは、日本の軍属として徴用されて戦死させられた上、「英霊」として靖国神社に合祀されてしまっている者らの遺族が、その「敵方」に祀られていることの汚辱を拭いたいとの気持ちで活動している「太平洋戦争被害者補償推進協議会」のメンバー約八〇名。また台湾からは、厳しい東南アジア山岳地帯での戦闘において日本軍に「勇猛果敢さ」を利用された先住民族「高砂族」を中心とする、靖国神社合祀者の遺族たちである。
 また、太平洋戦争の最後に日本軍と連合軍の激戦地とされ、日本軍のために集団自決までを余儀なくされた沖縄の犠牲者の遺族が訴訟の当事者となった。沖縄は、現在日本国に所属するとは言っても、歴史的に見れば「内地」とは異なる独自の文化を持った地である。
 そうした意味で、今回の「小泉首相靖国参拝訴訟」は、大きくアジアの広がりを持って、国と小泉純一郎に対して「靖国参拝行為」を糾弾するものである。
3 全国六地裁での各訴訟の概要
 今回、訴訟は二〇〇一年一一月一日、大阪、松山、福岡地裁に、続いて一二月七日東京地裁に、一二月一三日千葉地裁に、そして二〇〇二年九月三〇日に至り、沖縄地裁においても提訴されている(東より、千葉・東京・大阪・松山・福岡・沖縄)。
 各地域で訴訟団が組まれ、積極的に原告を募って提訴にこぎ着けているが、その中核となっているのは、これまで「政教分離」違反の国・地方公共団体の諸行為を追及し、結果として勝訴を見ることは少ないながらも、一定の理論的・運動的効果をあげてきた活動を、地道に担ってきた人々である。その固い反戦の思いは、宗教的理念や親族を奪われた哀しみ等、様々の価値観や経験に根ざしている。この各地における原告の構成により、本「小泉靖国参拝訴訟」で請求する内容も様々にバラエティに富む。具体的には、
  • 千葉・福岡・沖縄では、国に対する国家賠償請求、小泉個人に対する損害賠償訴訟
  • 東京では、国に対する内閣総理大臣靖国神社参拝違憲確認・公人靖国神社参拝禁止立法不作為違憲確認、東京都知事に対する靖国神社参拝違憲確認、国・東京都に対する国家賠償請求、小泉個人・石原個人に対する損害賠償請求
  • 大阪・松山では、国に対する参拝違憲確認・国家賠償請求、内閣総理大臣に対する靖国神社参拝差止め、靖国神社に対する参拝受入れ差止め・賠償請求、小泉個人に対する損害賠償請求。

 大阪には、この訴訟(在韓原告を数多く含むことから「アジア訴訟」とネーミングされている)のほか、この訴訟に対して「おかしい人がいるもんだ。話にならんよ」との侮辱的なコメントを発した小泉首相に対する名誉毀損の謝罪と慰謝料を求めた「おかしい人訴訟」、そして在台湾原告を主体とする「台湾訴訟」の三訴訟が係属している。
 また、松山の訴訟は、小泉首相の参拝のたびに提訴を重ね、第三次訴訟まで係属している。
 提訴からこれまで、一年半もかけて訴訟要件の整備(簡単に言えば、印紙をいくら貼付するのか、とか、訴訟の形態が「行政訴訟」であるのか「民事訴訟」であるのか、等)をしてきたのであるが、裁判所も足並みを揃え、本題に入って、今年中に第一審(地裁段階)を終結させ、年度末には判決を出す方向で各地一斉に期日予定を入れ始めた。したがって、どの地裁でも今年秋ころに学者証人等による証人尋問や、原告本人尋問が行われると思われる。
4 裁判制度の限界の中での工夫
 ところで前項で述べたように、提訴からこれまで一年半も要する書面のやりとりが続いてきたのであるが、「何にそんなに時間がかかっているのだろうか?」と思っておられる原告の方(あるいはこれまで興味を持って成り行きを見守っておられた方)も多いことと思う。それに、小泉首相本人も出てきそうにない、と。
 これは、「裁判制度」に訴えて事実関係と評価を明らかにするということ自体から来る大きな制約・限界があるからである。
 本来の憲法上の手段としては、「国会で小泉首相の靖国参拝行為を適当でないと判断する議員が過半数を占め、内閣総理大臣不信任決議が可決される」というのが最もストレートな責任追及の形である。「三権分立」の下、裁判所は国会における民主主義的決定過程に対して、「相当の濫用がない限り尊重する」という控えたスタンスをとるのである。
 確かに、国会議員が「国民の代表者」として選ばれ、その決議により法律が制定され行政がコントロールされているという建前からすると、国会決議を容易にひっくり返すような強大な権力を裁判所が有するのも都合が悪い場合はありそうである。簡単に言えばそういう理屈で、裁判所の「行政訴訟」の類型はかなり定型的なものに制限されている。
 しかし、そもそも今回のようにアジアや在日朝鮮人などの日本国籍を持たない遺族は有権者ではなく、靖国公式参拝を強行した首相を不信任とするプロセスから排除されている。さらには日本人に関しても、「国会議員は国民の代表者として真摯に選ばれているのか?」という問題がある。自らが立候補することが困難なうえ、有権者は個別テーマについて議員候補者に公約修正を求める場がほとんどない。いくら一有権者が候補者と討論して修正を求めても、候補者も多くの場合「多数有権者を得られる方向」でしか動かず、大いに紛糾しそうな一テーマに立ち入って公約修正をすることはなかなか無いのが現実である。まして有権者ですらない外国籍の人々の意見は聞かれない。
 そうなると、金も権力もない一人または少数者が、あるいは外国籍の人々が、微少な力をどのように最大限効率的に使って一国内に「争点提起」をし、政策の流れを変えるか、という問題意識の上に、「訴訟戦術」が出てくる。訴訟を提起すれば、マスコミも大きく取り上げてくれることがあるし、理屈ではある程度原告に有利な判断を引き出すことも可能であるから。
 こういう、現行憲法制度の枠の中で「裁判制度」を利用できるだけ利用する、という見地から、法律上の「理屈」を付ける過程が長くなる場合が多い。この過程は、いわば「弁護士が原告の思いを法廷用語に変換して主張する手続」であって、かなり専門的で、なくてはならないのだが、なかなか大変な過程である。
 ここで私が靖国訴訟に関わった時のことを振り返ってみると、当時私は弁護士登録をして二年半過ぎたばかりで、まだまだ未熟であった。しかし、何とかして首相靖国参拝を止めさせようと、各地で労力を惜しまず訴訟に関わってこられた原告の方の思いを、できるだけ直接に受け止めたい、そのためにはこうした「争点提起型弁護団訴訟」を担うだけのテクニックを身につけなければ、という思いがあった。
 訴訟にもメリット・デメリットがあり、参拝阻止の運動と相互に連動してこそ、相補い合い効果を高めるものだと思う。この点、各訴訟団は原告や支持者に「訴訟ニュース」等をこまめに配布するなど、関心を一過的なものにしないための努力をされている。
5 靖国神社・右翼・靖国支持遺族からの反撃
 ところで、前述のように大阪・松山の各訴訟においては、「中曽根靖国参拝訴訟」と異なる試みとして、宗教法人である靖国神社を被告とし、「首相の参拝を受け入れるな」という請求を立てている。
 この請求については、各地の訴訟団によっては、「靖国神社も宗教法人である。信教の自由を制限するような請求をすることはできない」という議論もあったようである。しかし、大阪ではおそらく「靖国神社は単なる一宗教法人ではない。戦後になって宗教法人の形をとらざるを得なかったということはあるだろうが、その本質はあくまで『国家神道』という戦争国家のための戦争賛美の道具である」という見解により靖国神社を被告にしたものと思われる。(推測のような書き方をするのは、私がこの訴訟に関わったのは「訴状」ができあがった後だったからである。)
 しかし、「靖国神社を被告に据えた」ことの反響はおそらく予想を超えて大きかった。
神社本庁が動員する支持勢力(右翼街宣車等)による物理的な訴訟妨害が行われたが、これはあり得るものとして予測していた。しかしそればかりではなく、弁護士が付いて理論的に「訴訟妨害」を試みてきたのである。「靖国応援団」などを名乗る靖国神社を信奉する遺族たちが「自分たちは靖国神社の勝敗に法的利害関係があるので、訴訟に参加する」として、被告靖国神社に「補助参加」の申立をしてきたのである。
 民事訴訟の制度上、補助参加の申立があったときには、相手方に異議を述べる権利があり、それを受けて裁判所が「補助参加させるか否か」を判断する。その判断(決定)が出るまでは、補助参加人は法廷で訴訟手続に参加しても良いことになっている。
 この制度を利用して、靖国派遺族らの代理人弁護士は第二回の弁論期日からずっと被告席に並んでいる。裁判所の決定は「却下。法的利害関係なし」と出されるため、その段階では靖国派遺族らは訴訟参加資格を失う。しかし、すぐ翌日には別の靖国派遺族ら数人が「補助参加の申立」をするのである。その結果、靖国派遺族の代理人弁護士は常に被告席に座る権利を有しているわけである。
 そして、原告側の意見陳述があると、「私たちにも同じように意見陳述をさせてくれ」と要求する。この持ちかけには、裁判所も「原告と補助参加人を同等に扱わざるを得ない」という対応をする。補助参加人にも意見陳述をさせない代わり、原告らにももうさせない、というわけである。
 こうした妨害だけではない。靖国派遺族は、「私たちは一国の首相に対して、戦死者のため靖国神社に参拝してもらう権利(これを宗教的人格権とする)があるのに、靖国神社が首相の参拝を拒否することが強制されるなら、私たちの権利が妨害される」という理屈をつけている。この理屈に対して、裁判所は「そのような権利は法的に保護されるものとして存在しない」という理由で補助参加を却下する。そうすると、「原告も宗教的人格権の侵害を理由に訴訟を起こしているが、そもそもそうした宗教的人格権など原告にも法的に保護されないのだ。早く靖国神社のために棄却判決を出して靖国神社を被告席から解放してください」と言い出すのだ。これを言いたいがために毎回毎回被告席に座る代理人弁護士ら。彼らはこの作戦を報告集会で「自爆戦術」とネーミングしているという。
 しかし、原告らは決して「首相に靖国神社を参拝してもらいたくない宗教的人格権」を主張しているわけではない。もしそうであれば靖国派遺族の言う「首相に靖国神社を参拝してもらう宗教的人格権」と同等でしかない。そうではなくて、原告らは「首相が憲法に違反して政教分離に反する靖国神社参拝行為をしたことにより、人格権に対して被った精神的苦痛」を訴えているのである。
 逆に言えば、靖国派遺族らには「首相に政教分離に反する靖国神社参拝行為を求める権利」などありはしないのである。単なる願望として表現することは「表現の自由」が保障されているから誰も止めないが、法的権利性などありはしない。弁護士が関わっていながら、このような憲法論議にもならないような争いに時間を割くこと自体、原告側代理人はともかくとして、裁判所に大いなる無駄な労力を執らせているというものである。
6 各訴訟団の思いを法廷へ
 ともかく、各地訴訟は門前払いに遭わずに本題へ進むことができた。これから、原告らのいかなる法的利益が侵害されたかの主張を述べ、これを裏付けるための原告側証人尋問と原告本人尋問が行われる。
 被告側(国、小泉純一郎個人、訴訟により内閣総理大臣、靖国神社、東京都知事、石原慎太郎個人)は、この訴訟には原告らの主張できるような法的利益がない、と早期結審を主張し、積極的な主張や立証を何ら行おうとしない。そのため、原告側証人尋問と原告本人尋問が一方的に(反対尋問なく)法廷で展開され、その後はまとめの書面を提出して結審、ということになる。しかしここで行われる手続は、原告ら一人一人の思い、一人一人のこれまでの生き様をそのまま写しており、大事なものである。この、一人一人の心のひだを、原告本人たちと面と向かって座る裁判官たちに「よく見、聞いてください」と訴えたい。
 本稿では、私が原告本人の意見陳述や報告集会での話から受けた印象についてまとめる余裕がなかった。また、じっくりまとめる機会があればと思っている。
大橋さゆり(おおはし さゆり)
一九九九年四月弁護士登録。二〇〇二年九月より女性二人の「大阪ふたば法律事務所」開設。「小泉靖国参拝訴訟」では大阪と松山の訴訟代理人。ほか大阪弁護士会人権擁護委員会で野宿者や刑務所処遇問題に関わる。女性・労働・外国人問題にもとりくむ。