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アメリカ覇権主義と東アジア
― いわゆる「北朝鮮問題」とは何か ―
 東アジアの安全保障が風前の灯火のような危機にさらされている。一歩誤れば、核戦争すら起きる可能性がある。それは、いうまでもなく、取り返しのつかない破滅を意味する。
 マスコミでは、この危機的状況を「北朝鮮問題」と呼んでいる。拉致問題や工作船問題など、数々の悪行にもかかわらず、核兵器の使用をちらつかせ、脅しをかけることによって、利益を得ようとする無法国家朝鮮こそが危機を作り出しているというのである。連日の報道によって、日本国民の対朝鮮敵対感情は、危険水域を越え、極点に達している。
 朝鮮を「悪の権化」と認識する限り、まともな対話などできるわけがなく、無用なこととされる。日本政府は、有事法制とMD(ミサイル防衛網)配備、独自のスパイ衛星による臨戦体制の強化、そして、朝鮮籍船の入港拒否など、圧迫政策を当面の対策としている。アメリカはさらに、韓国の反対にもかかわらず、先制攻撃もありうるとしている。果して、そのような対決政策で危機が解消され、平和が訪れるだろうか。
 イラク侵略を見たいま、誰の目にも明らかなことは「アメリカ問題」である。圧倒的な武力を背景に、国連も国際法も無視して憚らないアメリカの行動は、世界を「野蛮の時代」に押し戻している。世界は、アメリカという怪物の前に、息を殺し、慄いている。
 それは東アジアにおいても同様である。早い話、先制攻撃も辞さないと豪語しているのは、アメリカであって、朝鮮ではない。朝鮮がいま「豪語」しているのは、報復攻撃であって、先制攻撃ではないことに留意されたい。「売り言葉に買い言葉」あるいは「喧嘩両成敗」の問題ではない。一方は侵略戦争を、もう一方は正当防衛を言っているのである。
 いわゆる「北朝鮮問題」とは「アメリカ問題」とコインの両面をなす関係にある。朝鮮の生き残り戦略とアメリカの覇権主義戦略が正面から衝突したのが現今の危機である。これから詳しく論じることになるが、危機招来の責任はむしろアメリカ側にあると言わざるをえない。したがって、朝鮮にのみ責任を問うのは公正とは言えない。留意されたいのは、これは現実離れした、単なる道徳論ではないということである。
 仮に、圧迫政策が功を奏し、朝鮮側の劇的な譲歩を引き出し、危機が解消に向かうとしよう。そうなることも可能性としては考えられる。しかし、依然として残るものがある。アメリカ問題である。これを除去しない限り、平和が訪れることはないといってよかろう。
 いまわれわれにとって、まずもって必要なことは、なぜ危機的状況が訪れたのか、何がこのような状況を作ったのか、その理由と背景を正確に理解することである。
危機の始まり
 時計の針を冷戦崩壊直後にもどそう。ベルリンの壁崩壊と東西ドイツの統一。私はあの時の感動を忘れることはできない。酒席では九五年頃までには南北朝鮮も統一国家を樹立できるかも知れないと騒いでいた。ドイツ人にできたことなら、われわれにもできる。希望に満ちていた。根拠もない、ただの夢を見ていたのではない。いつ止まるかわからないという不安感と常に背中合わせではあったにしろ、南北朝鮮の和解に向けた動きは確かに始動していた。
 九〇年九月に始まった南北高位級会談は、九一年十一月、盧泰愚(ノ・テウ)大統領によって確認されたように、在韓米軍配備の七百個の戦術核弾頭をはじめ、生物・化学兵器の韓国領土からの撤去を受け、同十二月に「南北の和解と不可侵及び協力・交流に関する合意書」と「朝鮮半島非核化に関する南北共同宣言」という実を結んだ。朝鮮戦争以来の敵対関係に終止符を打ち、今後は平和共存関係を築くと宣言された。
 このような南北の共存体制を国際的に保障する装置として、南北朝鮮の国連同時加盟とクロス承認が推進された。それまで南北は共に、自国を唯一合法国家と主張し、相手を反乱集団としたので、どちらも国連に加盟することができないでいた。またクロス承認とは、朝鮮の友邦国である中ソが韓国を、そして韓国の友邦国である日米が朝鮮を、それぞれ国家承認するものである。半島を冷戦時代の陣営対立から脱却させることを目的とする。
 どちらの構想も七六年七月、アメリカのキッシンジャー国務長官による提案が始まりである。だが、それは七五年のベトナム戦争敗戦を受け、アメリカ国内で高まった厭戦ムードを反映したものであり、これをもって、アメリカが平和構想を進めたと見ることはできない。それは、キッシンジャー提案の一ヶ月前の六月に、あの悪名高い韓米合同の「チームスピリット」軍事演習が開始されたことを見ても、明確である。
 「チームスピリット」は、アメリカの核航空母艦二隻を中心に二〇数隻の核装備艦隊、B52核爆撃機編隊を主な攻撃力として、平均二〇万の韓米陸軍兵員が参加する世界最大の攻撃・上陸訓練である。七六年に開始した演習は七九年からは毎年実施することになる。韓米両国はこの演習を防衛目的と主張するが、核の動員といい、類例のない兵力といい、対朝鮮攻撃訓練と言わざるをえない。
 話を元にもどせば、国連同時加盟は、九一年九月、総会の満場一致可決で果たされた。しかしクロス承認は、八九年二月のハンガリー、同十一月のポーランドとの修交を手始めに、九〇年九月のソ連、九二年八月の中国と、韓国の共産圏国家との外交関係締結が一巡すると、すぐに頓挫することになる。
 日本とアメリカの対朝鮮交渉がなかったわけではない。むしろ逸早く動いたのは日本とも言える。八八年七月に「日本政府見解」として朝鮮との交渉意志を表明した日本は、九〇年九月には金丸信副総理と田辺誠副委員長を団長とする訪朝団を派遣し、「日朝関係に関する自由民主党、日本社会党、朝鮮労動党の共同宣言」をまとめる。この「三党宣言」を受けて、九一年一月に日朝国交正常化交渉が始まる。三党宣言は、植民地支配に対する日本の法的な責任と賠償、戦後の敵対関係維持に対する補償を明記し、朝鮮側にしてみれば、大勝利と言えた。しかし九一年五月、アメリカは経済協力と賠償を核開発問題に連係させるようにと注文をつける。また拉致被害者の李恩恵(リ・ウネ)問題も浮上する。
 朝米間では、両国共に核問題を抱えていた。アメリカは、IAEA(国際原子力機関)と安全協定を締結し、その査察を受けることを修交の条件とした。朝鮮は、八五年にNPT(核不拡散条約)に加入したものの、米軍の核兵器保有を理由に安全協定締結を留保していたのである。朝鮮は、アメリカに対し、韓国に配備されている在韓米軍の核兵器の全面撤去、核兵器搭載の艦船・航空機の半島への出入り禁止を要求した。
 交渉は最初の段階では順調であった。上述したように、アメリカは在韓米軍の戦術核、生物・化学兵器の全面撤去に応じた。核攻撃訓練だと非難を受けていた「チームスピリット」も実施が取り消された。南北間でも九一年十二月「非核化宣言」がなされた。これらの保障を得て、朝鮮は九二年一月、IAEAと安全協定を締結し、五月からの査察を受け入れた。朝米高位級による修交会談も同一月にスタートした。
 しかし、すぐに逆風が吹いた。査察が進行中の九三年一月、韓米当局は「チームスピリット」の三月からの実施を発表した。朝鮮が猛反発したことは言うまでもない。一方、IAEAは二月、六回にわたる査察の結果、プルトニウム抽出量において、朝鮮側の自主申告がIAEAの推定値に比して少なすぎる、すなわち、どこかにプルトニウムを隠匿している可能性があることを発表し、軍事施設を含む特別査察の実施を要求した。朝鮮は、特別査察の要求は主権侵害だと反発した。現に、在韓米軍配備の戦術核撤去も宣言されただけで、査察によって証明されたものではなかった。
 反発にもかかわらず、予定通りに三月九日、「チームスピリット」演習が始まると、朝鮮はNPTからの脱退を宣言し、対抗した。「会員国は、この条約と関連した状況の進展が自国の国家的存立に致命的な危害となる状態であると認定する時にはこの条約から脱退しうる権利をもつ」というNPT第一〇条の規定を理由として挙げた。
 こうして和解プロセスは作動を止め、危機が始まった。とかく朝鮮のNPT脱退だけが問題視される状況はおかしい。和解プロセスが作動している最中に、「チームスピリット」の再開を決めたことは、それに冷水を浴びせたことになる。アメリカには和解プロセスを止めたいという意図があったとすら考えられる。あるいは、朝鮮など、取るに足らない「テロ国家」に対しては、何をしてもいいと考えたかも知れない。アパルトヘイト政策で悪名高い南アフリカ共和国の白人政権やイスラエルに核兵器を伝授したのはアメリカにほかならない。アメリカの二重基準は非難されて当然である。
 ところが、朝鮮はあの時、なぜ特別査察を受け入れなかったか。確かに「チームスピリット」の再開があり、在韓米軍への査察もないことを考えると、朝鮮だけが受け入れを強要されることは公正とは言えないだろう。しかし、去る四月、中国の斡旋によって開催された朝米北京会談で、朝鮮は核兵器の保有を認めたとされる。現在まで否認声明がないことを見ると、保有認定の言及はおそらく事実であろう。だとしたら、あの時すでに、持っていたことになるか。核は持っていないと、朝鮮はこれまで核兵器の存在を否定してきた。核兵器の隠匿が事実なら、朝鮮もやはり核問題の発生責任から逃れることはできない。
どちらがジュネーブ合意を破ったか
 昨年十月、平壌を訪問したケリー米国務次官補は、朝鮮側が「ウラン濃縮」による核開発を認めたとして、これを朝米間のジュネーブ合意違反とした。そして、朝鮮の違反によって、アメリカも同合意を守る義務から解放されたと解釈された。ジュネーブ合意を受けて設立されたKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)が重油供給の中止を決めたことも同様の理由による。
 これに対し、朝鮮は、合意に違反したのはむしろアメリカであり、ウラン濃縮も認めた事実はない。自衛のためにはウラン濃縮だけでなく、それよりも強力な武器を保有する権利を有すると、至極当然の原論的主張をしただけだと声明を発表した。そして、KEDOの上記決定を受け、またもやNPTから脱退した。危機の再来である。
 朝米の主張は真っ向から対立している。一体、どちらの主張が正しいのか。朝米「ジュネーブ枠組合意」を精読してみる必要がある。同合意は、第一次核危機をへて、九四年十月に締結された。
 合意によると、朝鮮側の義務としては、第一に、黒鉛減速炉の稼動を凍結し、プルトニウムの抽出を中止する、第二に、軽水炉原発の核心部品(原子炉を意味する)が入るまでに特別査察を受け入れる、事実上これだけである。第一については、去年末、IAEAの査察要員を国外追放にするまで、守られていたと言える。第二は軽水炉建設の遅延によって、査察実施の時期はまだ来ていない。
 アメリカ側の義務は多岐にわたる。第一に、プルトニウムの生産が難しい軽水炉による原発を二基提供する、第二に、同原発が二〇〇三年完工するまでの繋ぎとして、毎年重油を五十万トン提供する、第三に、三ヶ月以内に通信・投資分野の経済制裁を緩和し、以後段階的に緩和分野を拡大する、第四に、外交関係樹立に向け、段階的措置を取る、である。
 アメリカの義務はほとんど守られていないことがわかる。軽水炉建設のため、日韓が資金を出してKEDOを設立したが、建設は意図的に遅延されている。基盤工事が終わった段階で止まっている。重油提供も遅延発生が多く、誠実に守られたとはとても言えない。経済制裁緩和や外交関係樹立などの約束も反故にされた。翌年の中間選挙で、議会多数派となった共和党が同合意関連の予算支出について、事前に議会の同意を得なければならないとしたためである。
 そもそもウラン濃縮法は同合意に規定がない。禁止されているのはプルトニウム抽出法である。どちらも核兵器開発につながる点では同じではあるが、文面を正確に読むべきである。また、ケリーが提示したとされるパキスタン製のウラン遠心分離器の購入が事実だとしても、その規模の物では核弾頭一個を作るためには一万個の分離器を年中稼動していなければならない。ありえない話である。
 合意を破っているのはアメリカである。朝鮮問題というより、アメリカ問題である。では、なぜブッシュ政権は違反でもないものを違反だと無理押しをしているのか。そもそも共和党はクリントン政権下の同合意について、乗り気ではなかったことがある。クリントン政権の全期間を通して、議会多数派の力で合意履行を妨げてきた。
 ブッシュ政権は、政権発足後早々と、国交樹立の条件として、全面的核査察、ミサイル規制、通常戦力削減、人権問題解決を突きつけた。ジュネーブ合意は眼中になく、最初からやり直そうという意図である。しかもそれはいかなる新しい合意をも狙ったものとは言いがたい。いずれも朝鮮側としては受け入れ不可能なものばかりだからである。
 そこに去年九月、小泉首相の訪朝と平壌宣言があったのである。ブッシュ政権としては、韓国に次いで、日本も太陽政策に走るのではないかと思い、ストップをかける必要があった。そして、日本にはブッシュの援軍がいた。日本の右翼勢力は、拉致問題を契機に、勢いづいていたのである。
いま何が進行しているのか
 いまは正に台風前夜、危機の最終ラウンドを迎えている。ブッシュは先制攻撃も辞さないとしている。ラムズフェルド国防長官は金正日(キム・ジョンイル)体制の転覆を図るメモを回した。日本と韓国は、アメリカの強行策に基本的に歩調を合わせている。
 アメリカの狙いは何か。まず、全面戦争やそれによる朝鮮占領ではないことは明らかである。もちろん、朝鮮がチキンゲームから最後まで降りない場合は可能性としては考えられる。ブッシュ政権は従来のアメリカ覇権主義ともまた違う性格をもつ。妄想家の側面がある。以前のアメリカ覇権主義は国際ルールというものを一応、考慮に入れていた。ブッシュ政権は自ら怪物を任じている。
 しかし、アメリカも破局を避けたいのが本音であろう。何よりも戦争になった場合は、在韓・在日米軍をはじめ、韓国と日本に取り返しのつかない破滅的状況が予想されるからである。そして占領しても、イラクとは違い、石油など資源として獲得できるものは何もない。住民に対する責任だけが圧しかかってくる。また東アジアの条件は、中東とは違って、アメリカ覇権主義には有利な情勢にあり、無理してこれを変える必要も感じないであろう。
 それにもかかわらず、チキンゲームを止めない理由は何か。アメリカはむしろ今の状況を存分に楽しんでいるような気がする。朝鮮を「生かさず、殺さず」の状態にしておくことである。それはすなわち、危機の恒常化を意味する。東アジアにおける平和の進行を止め、日本と韓国をアメリカ覇権主義の手下に繋ぎ止めるにはいまの条件こそが最適なためである。朝鮮という脅威がもしなくなったりすれば、アメリカのプレゼンスも弱まることになろう。
 そして、危機が続くなか、日韓のアメリカとの軍事的連携がますます深まっている。MD導入が決まったことはその最たる例であろう。命中率も低いとされるパトリオットミサイルの導入であるが、それは単に、日韓国民の血税がアメリカの軍需会社に流入していくことだけを意味しない。MDのシステム管理など、軍事的編成において、アメリカへの従属がさらに深まるのである。戦略的にはアメリカの中国包囲網に否応なく、組み込まれていくことを意味する。MDの究極の目標は、朝鮮ではなく、中国であることは周知の事実である。朝鮮は取るに足らない国かも知れない。しかし、日本の右翼は中国と本気で戦う気があるのかと聞きたくなる。
 朝鮮は、韓国だけが次々と共産圏国家と外交関係を締結していった反面、日米にはその平和宣伝に裏切られ、ソ連とも「相互防衛条約」の解消を含めて、孤立を深めたという苦い経験を味わった。何よりも、経済制裁を解けないまま、何十万、いや百万とも言われる国民の命を落とした。この厳粛な事実に対して、朝鮮の指導者は責任を痛感しなければならない。風が強い時は伏せることも知恵である。誰もがアメリカの理不尽さを指摘している。それにもかかわらず、なぜ朝鮮は常に誤解されているのか。周辺国との信頼関係を築くことに失敗してはいないか自問すべきである。
 朝鮮はゲームから降りたほうが得策である。いまは、瀬戸際に立たせられたことを恨むよりも、平和攻勢に出る時である。ブッシュの持ち上げたコブシを空回りさせることである。日韓も封鎖政策など朝鮮を刺激することよりも、安全保障の確かな保証と支援を約束することが先決である。
嚴敞俊(オム・チャンジュン)
一九六二年生まれ。ソウル出身。韓国外国語大学大学院国際関係研究科、立命館大学法学研究科。現在、立命館大学国際関係学部常勤講師。