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INTRODUCTION 在韓被爆者
 米軍が広島と長崎に原爆を投下した時、犠牲者の中には、日本の植民地支配下にあった朝鮮半島出身者が数多くいました。朝鮮半島出身の被爆者は約七万人、うち四万人が被爆死したといわれています(韓国原爆被害者協会の推計)。
 その後、韓国へ帰国した人が、在韓被爆者と呼ばれる人たちです。その数、約二万人、現在わかっているのは一割強(約二二〇〇人)にすぎません。また、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮と略す)に帰国した被爆者は、約一九〇〇人といわれています。
 日本政府(厚生労働省)の数字では、在外被爆者(多くが韓国、米国、ブラジルなどに居住)は約五千人、うち被爆者健康手帳を持っている人は半数にすぎません。
 帰国後も、在韓被爆者の多くは後遺障害に苦しむと同時に、社会的偏見や差別をうけてきました。しかも、在韓被爆者たちへの補償や治療は、十分になされてきませんでした。日本政府が重い腰を上げたのは、八〇年代に入ってからです。そのきっかけが、孫振斗さん裁判の勝利(七八年)でした。
 「被爆五〇年」にあたる九五年、原爆医療法と原爆特別措置法が被爆者援護法に一本化されました。しかし、この法律は、日本国内で被爆者と認定されても、出国すれば被爆者としての扱いを適用外とするものでした。居住地域によって法的な差別の壁を設けたのです。
 この不当な扱いに、在韓被爆者たちは立ち上がり、裁判に訴えました。その結果、政府は支給認定をうけた在外被爆者に、出国後も手当を支給することを認めました。それでも政府は、受給資格の取得や更新には本人が来日する必要があるというのです。
 日本へ渡航・滞在することは、高齢化している被爆者にとって容易なことではありません(最近厚労省は、在住国でも被爆の事実を確認できれば、医療費の自己負担分は公費助成する方針を発表)。
 しかも、北朝鮮に居住する被爆者にはこうした措置すら補償されていません。被爆者にとって、「残された時間」は長くはないのです。
(編集員 石橋 正)