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在日外国人「障害者」年金訴訟判決を受けて
1 はじめに
 二〇〇三年八月二六日午後三時五〇分、京都地方裁判所大法廷。硬い表情の裁判長の声。
「原告らの請求をいずれも棄却する。」
 国民年金法の国籍条項撤廃後も無年金状態に放置されてきた在日障害者である原告らが不支給決定の取消と国家賠償を求めた訴えを、裁判所はすべて切り捨てた。
 なぜこんなにも当たり前のことが通らないのか。間違った政策を追認するだけの裁判所ならいらない。
2 なぜ、年金を受けられないのか
 一九五九年に制定された国民年金法には国籍条項が設けられており、外国人は加入することも年金を受けることもできなかったが、一九八一年、難民条約批准に伴う国内法整備のために国籍条項が撤廃され、外国籍であっても加入することができるようになった。
 ところが、この国籍条項の撤廃には経過措置がとられず、かえって付則五条において「施行日前に生じたものに基づく同法による福祉年金の不支給又は失権については、なお従前の例による。」とわざわざ規定された。このため、国籍条項撤廃前に受給権がないとされた場合、たとえば、改正法の施行日である一九八二年一月一日時点で二〇歳を超える者(二〇〇三年一月一日時点で四一歳を超える者)ですでに障害を負っていた外国人は、障害福祉年金(現在は障害基礎年金)を受けられないまま放置されることになった。なお、老齢年金については、一九八五年の法改正で、永住者については、国籍条項のために加入できなかった期間を合算対象とすることができるようになったので老齢基礎年金を受給できる範囲は広がったものの、この改正法施行日である一九八六年一月一日時点で六〇歳を超えていた外国人(二〇〇三年一月一日時点で七七歳以上の外国人)には合算が認められず、老齢福祉年金を受給できないままになってしまった。また、合算が認められた場合にも年金額には反映されないため、受給できたとしても年金額は低額にとどまっている。
 ちなみに、沖縄復帰時、小笠原諸島復帰時などの日本人の対象範囲の拡大の際には、すでに二〇歳を超えて障害を持っている人にも、二五年間の加入期間の要件を満たすことのできない人にも、福祉年金が支給されるように経過措置がとられてきた。他方、国籍条項の撤廃のみでは外国人無年金者が生じてしまうことは、一九八一年の法改正の国会審議の際にも問題とされていた。そのことを考え合わせると、あえて経過措置がとられなかったことの差別性はより鮮明になる。
3 無年金状態に放置された人々はどういう人々なのか
 無年金状態のまま放置されている人々は、外国人一般ではない。この日本の中で長年にわたって労働し、生活し、税金を納め、これからも日本社会の構成員として日本で生きていかざるを得ない在日の人々である。しかも、七七歳以上ということは、日本による植民地支配の下で強制的に、あるいは土地を奪われてやむなく日本に渡ってきた在日一世であり、四一歳を超えてすでに障害を持っているということは、その人々や二世、三世なのである。
 老齢年金を考えてみよう。七七歳以上の日本人ということは、侵略し、あるいは侵略を支えた側である。この人々は国民年金に加入することが可能であったし、多くの人々は何らかの形で年金をもらっている。しかし、直接に侵略された側の同世代の在日の高齢者は、国民年金に加入することもできず、老齢福祉年金を受給することもできない。本来であれば、植民地支配とその後の歴史に対する謝罪と補償がなされるべき人々に対して、あろうことか、日本人と同等の権利すら保障していないのである。あまりにも厚顔無恥と言うほかない。
 在日の障害者は、この日本社会の民族差別と障害者差別という二重の差別の中で、日本人の障害者以上に厳しい生活を強いられている。民族差別の中で、経済的な余裕がなかったために親や本人が満足な治療を受けられず、そのことが障害につながってしまった例もある。この裁判の原告らも、苦しい生活の中で、障害者である、あるいは、朝鮮人であるといじめられ、就職差別・結婚差別を受け、たとえ就職しても足元を見られて安い賃金しかもらえず、障害者手帳やその他の福祉制度についての適切な情報提供がないため利用できるはずのものも利用できず、障害年金についてもなぜもらえないのかの説明がされないまま頭ごなしに拒否され、それでいて、指紋押捺などの義務は否応なしに果たさせられてきた。
 障害は、その人個人の医学的状態の問題というよりも、それを社会が排除しているから「障害」になるのであって、むしろ、社会の側の問題なのである。社会の怠慢が障害自体による苦しみに加えてより多くの苦しみを強い、そこへさらに民族差別が加えられてきたのである。
 原告ら当事者が実際に困難な状況にあることは事実だが、「かわいそうだから、助けてあげるべき」なのではない。当たり前の権利を奪っている現状こそがおかしいのである。まして、国籍条項により排除されてきたのは、歴史的経緯からしてその存在に日本社会が責任を負うべき在日なのである。そこには一片の合理性もなく、あるのは意識的差別であるとしか思えない。
4 在日外国人「障害者」年金訴訟判決について
 この裁判は、京都の聴覚障害者七人が二〇〇〇年三月一五日に提訴し、三年にわたる審理の上、二〇〇三年三月一八日結審し、八月二六日に判決が言い渡された。
 主な争点は、@旧国民年金法の国籍条項が国際人権規約、憲法に違反するか、A国籍条項撤廃時に経過措置を設けなかったことが国際人権規約、憲法に違反するか、B経過措置を設けなかった立法不作為が国家賠償法上の違法といえるか、という点であった。
〈日本は一九七九年に国際人権規約を批准しており、これは特別な立法なしに国内的な効力を持つ。国際人権規約B規約(自由権規約)二六条、同A規約(社会権規約)二条二項は平等条項を定め、国籍による差別も当然禁止している。なお、社会権規約二条一項には「漸進的に達成する」との文言があるが、自由権規約のみならず社会権規約に規定された人権についても、差別禁止については即時執行的性格を持つとされている。すなわち、どのような社会権を保障するのかという点については漸進的でも良いが、立法する以上は差別はしてはいけない、ということなのである。また、国際協調主義からすれば、憲法は国際人権規約に適合的に解釈すべきである。とすれば、@もAも国際人権規約違反、憲法違反である。また、国籍条項撤廃の際の国会審議で経過措置の必要性が指摘され、一九八四年、一九八五年、一九九四年と無年金障害者に対する福祉的措置の必要性が付帯決議で述べられていることからすれば、立法の必要性は国会議員にとって明らかであったのであり、重大性や必要性に照らしてBも違法である。〉
 このような私たちの主張に対して、判決は、これらの点をいずれも否定し、原告らの請求をすべて棄却した。
 判決は、憲法論では、これまでの最高裁判決をコピーしただけであった。国際人権規約については、自由権規約二六条、社会権規約二条二項が即時執行的性格を持つことは認めつつも、それを徹底すると、社会保障については厳格に平等なものを作るか全く作らないかの二者択一となって漸進的な内容のものは立法できないことになり、社会権規約の趣旨に反するからという奇妙なリクツで、結局は幅広い立法裁量を認め、「経過措置をとらなかったことは、合理性を欠くものとはいえず、国際人権規約に違反しない」と結論づけた。まさに、論理を曲げて最高裁に従った「結論先にありき」の判決である。
 それでも、「(原告らのように国籍条項撤廃によっても給付対象からはずれる者に対して)何らかの救済措置を講じることが望ましいものであったことは否定しがたいところである。特に、原告らは、いずれも我が国において出生し、以来我が国において継続的に居住して生活をしている者で、それぞれ重度の障害を負っている特別永住者であるから、在日韓国・朝鮮人に関する歴史的経緯等をふまえた何らかの立法措置がされるべきであったとの主張も、立法論としてあり得るところである。」と判決の中で述べたのは、さすがに原告らの実情を全く無視することはできなかったからであろう。しかし、そうであれば、最高裁判決に縛られることなく、「その良心に従い独立して」国際人権規約違反、憲法違反の判断を下すべきであったし、立法府に対してもっと強く立法措置を求めるべきであっただろう。
 このような判決を受けて納得できるはずがない。原告全員が、控訴の手続きを取る予定である。
5 裁判所が受けとめなかったもの
 あらためて判決を読んで思うのは、人間の血が通っていないということである。
 原告らは、それぞれの生い立ち、障害を持つに至った事情、自分が朝鮮人であることを知った経緯、学校や結婚、就職、職場での差別、生活の苦しさ、子育ての大変さ、コミュニケーションの難しさと通じ合えないことの苦しさ、障害年金制度を知った経緯などについて、陳述書として裁判所に提出し、うち二人は実際に裁判所で手話通訳を介して生活の実情を訴えた。原告団長の金さんは、最後の意見陳述で、手話通訳を介さずに、自分の肉声で、言葉になりにくい言葉をつなぎながら、必死に裁判官に訴えた。
 みなそれぞれの生活を抱えながら、裁判を続けてきた。クビになりはしないかと心配しながら仕事を休んで裁判に出席したり、役所では裁判のことで嫌みを言われたり、仕事が終わって疲れた体で打ち合わせをしたり。裁判をするということ自体がとても大変なことで、しかも、裁判にせよ、弁護団会議にせよ、手話通訳をしてもらっても、なかなかわかりにくい議論をしている。私自身も、どれだけ原告らとコミュニケーションしてきたのかと振り返らざるを得ない。裁判は三年半だが、原告らはその前の審査請求の準備から考えれば六年あまりの闘いを続けてきた。もどかしさを感じつつ、自分たちのためだけではなく、無年金状態に放置されている多くの在日同胞の想いを背負って、原告たちは裁判をしてきた。
 その想いは、裁判所には届かなかった。というより、裁判所は、最高裁判例の呪縛から逃れられないまま、受けとめようとはしなかった。
 しかし、裁判所には届かなかったかもしれないが、社会には届いている。毎回、多くの人々が傍聴に集まり、判決言い渡しの時には、大法廷に入りきれないほどの人々が集まってくれた。そして、判決後の集会では、不当判決に対する怒りを共有した。一方では、地方自治体に対して無年金の外国人に対する給付金を求める申し入れが各地で取り組まれ、成果を上げてきた。国のレベルでも、無年金障害者に対する福祉的措置に言及した坂口私案を受けて、厚生労働省による無年金障害者の実態調査や議員連盟などの動きも不十分ながらもでてきている。
 次は、大阪高等裁判所での控訴審である。法律論での論戦とともに、今度こそ、原告らの生活や想いを裁判所に届けるようにしていきたい。
大杉光子(おおすぎ みつこ)
一九六九年生。二〇〇〇年四月、京都弁護士会登録。在日外国人「障害者」年金訴訟弁護団員。京都弁護士会人権擁護委員会副委員長、同「触法精神障害者」問題プロジェクトチーム副委員長など。この二年ほどは心神喪失者医療観察法案の反対運動にかかわってきた。刑事・少年事件、外国人・精神障害者の人権などの課題に取り組んでいる。