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EXPLANATION 特集解題
 日本の労働現場は急速に変貌をとげつつあり、それはまた日々実感されるところのものでもあります。個々の変化については、例えば、非正規雇用や外国人労働者の増加など、八〇年代から指摘されていたものです。その意味では決して新しい問題とは言えないのかもしれません。しかし、その変化の規模とスピードの点において、それが及ぼす影響の大きさの点において、これまでとは違う段階に入ったと言わざるを得ない状況が作り出されていると言えます。
「過酷」という以外に表現が見つからない労働現場の状況は数字にも表れています。〇二年度に労働基準監督署が過労による脳・心臓疾患で労災認定したケースは前年度の約二・二倍、過去最多の三一七人(死亡一六〇人)に上りました。世代別では、五〇代が一二八人、四〇代が九〇人ですが、これまでは一桁だった二九才以下でも一九人が認定されました。職種別では管理職が七一人、運転手などの運輸・通信六二人ですが、事務職は前年の一八人から五七人、販売職も四倍の二〇人に急増しています。各世代・各職種への広がりが政府の公式統計上でも裏付けられたことになります。また、仕事上のストレスなどによる精神障害の労災認定は前年度を三〇人上回る百人、そのうち四三人が自殺(未遂を含む)でした。そしてこの傾向は今年度も続いており、上半期(四月―九月)の速報値によれば、脳・心臓疾患による労災認定を受けた人は前年同期の一一五人を上回る一三六人に上り、また、精神障害になったり自殺したりして労災申請した件数は、二〇三件と、前年同期の一四八件から大幅に増加しています。また、女性の過労死も目立つようになってきています(〇一年度に一〇件が認定)。
 これらの数字の背後にどれほど多くの追い詰められた労働者がいることでしょうか。厚生労働省が今年六月に「過労度診断自己チェックリスト」をHP上で公開したところ、アクセスが殺到してダウンしてしまいました。これは一斉に百万件以上がアクセスしたことになるといいます。また八月に公表された労働者健康状況調査結果では、七二%が「普段の仕事で体が疲れる」と答え、六一%が「ストレスがある」と回答しています。
 資本による合理化―労働強化はすべての労働者に襲いかかっています。厚労省のパートタイム労働研究会最終報告書(〇二年七月)によれば、この間の特徴は、九七年から〇一年の間に、正社員が、一七〇万人減少する一方で、非正社員が二百万人も増加したことにあり、明確に正規から非正規への代替が進んでいることです。もはや日本の労働現場において、雇用形態が正規か非正規か、フルタイムかパートタイムか、基幹的か補助的かといった区別の間に関連性は失われています。パートであっても責任ある部署を任され、非正規雇用であっても基幹的業務をこなさなければならない。そして雇用形態にかかわりなく、あるいはサービス残業を含む長時間労働が強制され、あるいは労働密度が強められ、さらには過重な責任を負わされたあげく、正社員を含めてリストラ―失業のプレッシャーが常に重くのしかかるのです。今年九月の完全失業率は五・一%、完全失業者数は三四六万人と依然高水準を続けています。とりわけ非自発的離職失業者と失業期間の長期化は特徴的です。しかも、この数字には劣悪な労働条件ゆえに初めから求職活動をあきらめるなどした「潜在的失業者」は含まれていません。
 リストラ―失業は、生活の負担の重い中高年を容赦なく直撃しています。五〇代の場合、非自発的失業の割合が高く、また「年齢の壁」によって再就職は困難を極めています。その結果は、「経済生活問題」を理由にした自殺者の急増(〇一年に一一九八人)としても表れています。
 中高年と並んで、若年層も大きな犠牲を強いられています。それは、企業の人員削減の手段がまずは「新規採用の削減・中止」をその手段としていることに起因しています。例えば新規学卒者の内、高卒の求人はピークの一六七万人(九二年、就職者数は五八万人)から〇二年には二四万人(就職者数二二万)にまで減少し、大卒であっても正社員に採用されるのは半数前後に落ち込んでいます。その結果の「フリーター」の急増は各種調査でも指摘されています。国民生活白書によれば、〇一年の「フリーター」の数は四一七万人、学生と正社員以外の主婦を除いた一五才から三四才の若年人口全体の実に二一・二%に当たります。また、〇二年の労働力調査によればこの年齢層の完全失業者数は一六八万人に上り、一五才から二四才に限れば、その完全失業率は、一〇%を超えているのです。
 若年層の高い失業率の理由には、企業の側からのリストラだけでなく、「自発的離職」の高さも挙げることができます。しかしその背景には、若年の正社員の減少とも相俟って、即戦力としての過重な労働が十分な職業訓練をも受けないうちからのしかかっていることを見落とすことはできません。先に見た若年での過労死認定はその一端を示していると言えるでしょう。
 これら一連のリストラ―失業・労働強化の直接的原因には、長引く不況の中で、生き残りをかける資本の姿があります。各資本―各企業は先進資本主義国の特徴である「市場の成熟化」からくる製品・サービスへの全般的な需要不足に加え、グローバリゼーションの進展によって中国をはじめ各国資本との直接的な競争関係の中に投げ込まれ、熾烈なコスト切下げ競争にさらされています。資本もまた、ギリギリの状態に追い込まれていることは、大資本までも含めた倒産の激増に現れています。労働者との直接的関連で例を挙げるならば、倒産企業における未払い賃金を立て替える国の制度の立替払い額は、〇二年度に四七六億円(前年度比八六%増)を超え、対象企業は四千七百社以上(同二一%増)と過去最多に上っています(ちなみに九〇年には約六億九千万円)。
 またこの間、各地の労働局の是正勧告によって、横行しているサービス残業に対する賃金を支払わせるケースが報じられるようになっていますが、これらが氷山の一角に過ぎないことは言うまでも無く、逆に記録の改ざんなどの悪質な「残業隠し」も広がっています。
 このように、なりふり構わぬ資本の生き残り策として、労働者の切捨てもしくは労働強化が強行されているのです。いずれにせよ、労働者の命を削ぎ落とすものであることに何ら変わりはありません。そしてそれは、個別企業の対応にとどまらず、「日本型雇用慣行」と呼ばれてきたもの、さらにそれと関連する社会システム全体の解体を迫っているのです。
 正社員に対する終身雇用制やそれと結びついた年功序列賃金などは次のような状態の原因でもあり、また結果でもありました。つまり、採用においては新規学卒時に一斉に採用し、その後、職業訓練としては企業内で経験を経ながら職務に必要な能力(それには社会において普遍的に通用するものもあれば、その企業においてのみ通用するものもある)を身につけ、それによって昇給・昇進していきます。そのため、この主流の流れから何らかの理由で離れた場合、再就職を保障しうる「労働市場」が形成されてこなかったのです。そして他方では、正社員とは全く分離された低い条件の下で、非正規雇用の「労働市場」(その主要な担い手は女性)だけが形成されてきました。二極化されたこの両者の間に埋めがたいほどに開いている溝が、大きな問題となっているのです。
 これまでは、何よりも「女性の経済的自立」を妨げるものとして批判されてきた非正規雇用の劣悪な労働条件は、先に述べたような現状から、男性労働者、ひいては家族全体の経済生活にも大きな打撃を与えるに至っています。その背景にはまた、失業し収入を失った場合の「社会的セーフティネット」が十分に形成されてこなかったという事情もあります。
 こうした状況は労働者の生活をいかに直撃しているでしょうか。わかりやすい数字では、先に厚労省が発表した国民健康保険の保険料の滞納世帯の統計があります。今年六月時点で前年同期より約四三万世帯増え約四五五万世帯、実に五軒に一軒の割合であり、今後も滞納が続けばその世帯には国保すら適用されなくなってしまいます。これは病気になった場合に病院にも行くことができない人がどんどん増えているということです。
 この現状に対し、政府や日経連は、「流動化された労働力のための市場」、いわば「より転職がしやすいシステム」を作ることによって解決を図ると主張し、さらに規制緩和を推し進めると言います。しかし、今、進められようとしているものは似て非なるものであると言わざるを得ません。それは資本にとっての必要に応じて解雇をしやすくしても決して労働者にとって必要に応じて就職しやすくなるわけではありません。それは、資本にとって必要なときに必要な分だけ労働者を使いやすいようにしても、労働者が休みたいときに休むことができるようなものにはなりません。要するに労働者の権利を極限まで削って資本の儲けのために奉仕させようというものでしかないのです。実際、最初から労働基準法の適用を免れるために、勤務実態は労働者であるにもかかわらず自営業者として扱われたり、あるいは研修生の身分にある外国人労働者のように、そもそも法的に労働者とは認めないようなことまで横行しているのです。そして、そうした劣悪な労働条件がすべての労働者・勤労者にまで拡大されようとしているのです。これを許さないために、そして何より生きるために、さまざまに創意工夫された対抗手段が採られなければならないでしょうし、とりわけ労働者自身の運動を作り出すことが必要不可欠になっています。
 かつて「労働者の解放」を掲げたソ連や東欧の「社会主義体制」が崩壊してから一〇年以上が経過しました。それが致命的な欠陥を抱えていたことは「崩壊」の事実そのものが物語っています。しかしその「崩壊」が、今日の資本主義各国の熾烈な競争を生む引き金となり、日本においても労働者への過酷な抑圧を一気に強めることになったのです。資本主義体制にとって共通の外敵が存在しなくなったとき、その矛盾の矛先はそれまでの内部に向けられ、とりわけ労働者にその負担が最も重く負わされています。その意味では「社会主義」の存在しなかった一九世紀への「逆戻り」という表現も、全くの的外れとはいえません。
 私たちは、資本に自らの生活を翻弄され運命を左右されるようなあり方に、今度こそ終止符を打つべき時代を生きているのではないでしょうか。労働を、資本に奴隷的に従属させられた、日々の生活の糧を得るための手段としてではなく、個々が隣人とともに協力して社会に働きかける主体的な行為としていくこと、それが同時に各自の「自己実現」にもつながるようなあり方を、真剣に求めていくべき時代なのではないでしょうか。現状からはそうした展望は遠く隔たったものに思えるかもしれません。しかし、そのための前提条件をつくること、第一に労働条件の改善に多様な労働者の団結で取り組むことは、今すぐに始められます。そして既に各地で創意工夫をこらして多様な取組みがなされています。それを強め、さらに大きな展望に結び付けていくことが重要です。本誌もまたそれに最大限資するものとしていきたいと考えます。
(編集員 谷野 隆)