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好きで路上に寝るのではない
―住処を失った労働者たち―
<大阪弁護士会野宿者問題部会の活動>(上)
街中に並ぶ段ボールハウス、青テント
 まずは、私が野宿生活者の問題に関わり始めたきっかけについてお話ししたい。
 私は一九九七年七月から一九九八年一一月まで大阪で司法修習の実務修習をしていた。大阪で過ごすようになって、街のあちらこちらで、公園のベンチで寝ている人、ビルの軒先で段ボールを敷いて寝ている人、公園内外の路上に青いビニールで作られた多数のテントに気づいた。誰しも、好きこのんでホコリまみれの路上で他人の視線を浴びながら寝たい人はいない。この人たちに今現金がないのは、何らかの偶然の積み重ねによるところが大きいはずである。この人たちが救済されない社会とは、私も含めて、誰もが何かあっても救済されない社会であるに他ならない、と思えたのである。
 ところで、実務修習中には、「あいりん地区」の周囲を回る見学があった。(「あいりん地区」は「釜ヶ崎」とも呼ばれ、それぞれの名称には歴史的背景もあると思われるが、本稿では大阪弁護士会野宿者問題プロジェクトチームで使用している前者によることとした。)日雇労働者の寄せ場である。場所はミナミの繁華街のすぐ南である。JR環状線の南のふち、というと分かりやすいだろうか。
 日々、早朝四時頃から「手配師」がマイクロバスでやってきて、待ちかまえる日雇労働者と日当決めの交渉をしてバスに乗せ、現場に連れて行く。日雇労働者は、稼いだ金で「ドヤ」と呼ばれる一泊千円から二千円くらいの簡易宿泊所に住み、外食をしたり酒を飲んだりして、ほとんど貯蓄もすることなくその日暮らしを送っているのが多くのパターンのようだった。ほとんど単身の男性労働者ばかりだ。
 そういう地域が大阪の街中に存在する、ということにも、私は何か強い印象を持った。
 なお付言すると、大阪では一九七〇年の「大阪万博」に向けての建設ラッシュから日雇い労働者の需要が急増し、日給で欲しいだけの人数を簡単に「調達できる」、実は雇う側にこそ「大変便利な場所」として、あいりん地区が存続してきた経緯がある。
あいりん地区から周辺公園での青テント生活へ
 さて、大阪で弁護士登録をして一年目の終わり、二〇〇〇年の二月から、私は「近畿弁護士会連合会人権大会ホームレスシンポ実行委員会」に配属された。その年にシンポが終わってからも、大阪弁護士会の中に「野宿者問題プロジェクトチーム」が存続することになり、引き続き関わっている。ちょうど、各地で野宿生活者が急増し、その実態を把握するために大阪市でも大阪市立大学に依頼して実態調査を始めていた頃であった。私たちも実情を把握するため、ボランティアの人が「野宿者への襲撃」を警戒して行う「夜回りパトロール」に同行させてもらう機会を持った。
 あいりん地区の周囲をボランティアが野宿者に声を掛け、情報紙を渡して回る。難波駅の東の一角、「道具屋筋商店街」を歩くと、既にシャッターを閉めた商店街のアーケードの下、軒先に隙間なく段ボールハウスが並んでいた。この人たちは、商店の閉まる時刻から早朝まで、段ボールハウスで寝て、あいりん地区へ日雇仕事を探しに行く。道具屋筋の商店主に迷惑が掛かれば排除されてしまうから、ゴミの始末など、マナーはきっちりしている。


大阪城南側、水晶橋の上の「段ボールハウス」

 この人たちは、まだ路上生活を始めて日の浅い人である。日雇いで日当が稼げることを期待して、あいりん地区周辺路上から離れないのである。
 しかし、老齢化したり体調が悪くて日雇いの肉体労働にあぶれることになると、生計の手段は「空き缶拾い」になり、空き缶のあるところを目指して居場所を近郊に広げていく。そして、水とトイレがあり、拾った空き缶を置いておける「公園の片隅」に青テントを張って「定住」するのである。


中ノ島の川べりに建つ「定住」型の青テント。

 難波の阪神高速高架下近くの公園では、青テントより安定性を増した小屋に住む男性に話を聞いた。
 誰でも好きで野宿をしているわけではない、とその人は言った。公園を占拠しているのが近隣住民に迷惑なのも分かる。だから、野宿者の中で自治組織を作って、「公園の遊具に洗濯物を干さない」とか、「交代で早朝に公園掃除をする」とか決まり事を作って排除されないようにと気を遣っているのだと。
 全ての束縛を嫌って好き勝手に暮らしている人、という印象を持たれる「野宿者」は、実はこんなに気を遣って生活している人たちなのだった。
生活保護は受けられないのか?
 しかし、日本国憲法では「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とされ、この「生存権」を保障するために「生活保護法」があるのではなかったか? 野宿生活者は生活保護を拒んでいるのか?
 確かに、生活保護制度はある。けれども従来、大阪市において日雇労働者が野宿に至り、生活保護を申請したときの対応は、明らかに違法運用であった。
 日雇労働者は、遠くの飯場まで何日も連れて行かれることもあり、あいりん地区に定住していないので、ほとんどの場合、住民票を置く所がない。
 そういう「大阪市内に住所地のない日雇労働者」を、大阪市では「大阪市立更生相談所」という機関で一括して担当している。そして、生活保護の相談に来た者につき、病気があれば病院に送るが、健康であれば年齢が六五歳を超えていない限り「まだ働ける。生活保護は受けられない。」果ては「住民票がないと受けられない」と大嘘までついて申請受理もせずに追い返すのである。生活保護法には「居住地保護」とともに「現在地保護」の規定もあり、住民登録は支給要件ではない。
 ただし、支援団体と弁護士の協力による粘り強い訴訟活動や、「ホームレス自立支援法」制定による政策の流れがあって、大阪市の運用は本年夏頃からようやく変化してきており、「働きたいのに働く場がない」人には希望により敷金を提供して居宅保護を行うようになってきた。
 そうなると、今後の課題は、野宿生活者への情報提供の徹底と、「福祉の世話にはなりたくない」と頑なに拒む野宿生活者たちの心のケアの問題が主になってくる。というのは、ひとつには、生活保護を受けることを恥と捉える考え方が決して少数ではない中で、「生活保護は権利である」ということを野宿生活者に認識してもらうということである。さらに、もうひとつは、かつて生活保護を求めて役所の窓口に行ったものの、にべもなく追い返されたり人扱いされなかったりして、すっかり精神的に傷ついてしまった人たちの存在である。職員の人たちは、配慮を欠いた一言が人を路上生活に追いやってしまう、という責任の重みをよく感じてほしい。この点の改善なくしては、「もう窓口に行っても大丈夫ですよ」とは言えない。
「自立支援センター」という施設
 二〇〇〇年秋、大阪市内に「自立支援センター」という施設が三つ設けられた。定員は合計二八〇名である。全国的には、東京と名古屋にも設置されている。「センター」は、大阪市から社会福祉法人に委託料を払って運営させる方式で、野宿生活者のうち就職意欲の高い人に原則三ヵ月間(三ヵ月延長可能)入所をさせ、宿泊と食事を提供し、かつ、スタッフが就職の相談に乗り、就職活動用の衣服も提供して、センターを連絡先としてスムーズに就職が決まるように支援する施設である。
 主に野宿を始めて間もない、まだ就職してやり直したい思いの強い人が入所してくる。集団生活(二段ベッドが何十と入った大部屋での暮らし)であり、所内飲酒は禁止である。野宿の「気楽さ」からすれば窮屈である。そういう意味では、野宿者(大阪市内で二万名を超えるといわれる)で入所をためらう人も多いようである。
 私たち「野宿者問題プロジェクトチーム」は、この施設に対して「パイロット無料法律相談」を持ちかけ、法律相談のニーズがどこにあるかを探ることになった。
夜逃げ生活に自己破産で終止符を!
 センター入所者を対象に法律相談をしてみると、「借金から逃げ出してきたので、高利がだいぶ溜まっていて払いきれない。」また、「借金取りに追われるのが怖くて住民票が移せないが、これでは就職ができない。」という相談が多数出てきた。
 そこで、弁護士として具体的に関われる内容として、借金を自己破産・免責申立により「チャラにする」ことを企画した。
 先の収入に頼って借り入れをしてしまい、思わぬ失業で「借金で借金を返す」生活に陥る。安易な生活設計、と突き放せばそれまでだが、資本主義経済はとにかく物・カネを流通させなければ景気が良くならないのであるから、一方では大々的に消費が奨励されている。その一方で「労働力の流動化」は資本の意向により推し進められ、労働者はこれらの間で強風に舞う落ち葉のように生活を翻弄されている。その一つの漂着点が「野宿生活」なのである。
 ただし、「自己破産申立」を無料でどんどん引き受けられるほど、弁護士も余裕があるわけではなく、限られた篤志家による活動では広がりがない。かといって、センター入所者に通常の申立費用(現在の標準では三〇万円強)が出せるわけもない。
 そこで当チームでは「野宿生活者の自立支援は大阪弁護士会の課題である」ことを力説して回り、法律扶助協会大阪支部から「大阪支部の独自事業として、自立支援センター入所者の自己破産申立も扶助の対象とする」という決定を引き出すことができた。
 扶助が下りる、ということは、利用者からすると「費用は分割の後払いでよい」ということである。そして受任する弁護士には、まとまって一二万円程度の費用が扶助協会から支払われ、「通常と比べると安いが、ただ働きにならずに済む」のである。
 そういうことで、野宿生活者の中のごく一部の人が対象ではあるけれども、強いられた野宿生活からの脱却を手助けするシステムが動き出した。

 次稿は「女性野宿生活者の問題」「生活保護行政の一定の改善」「戸籍売買の問題への取り組み」等についてまとめてみたい。
大橋さゆり(おおはし さゆり)
一九九九年四月弁護士登録。二〇〇二年九月より女性二人の「大阪ふたば法律事務所」開設。「小泉靖国参拝訴訟」では大阪と松山の訴訟代理人。ほか大阪弁護士会人権擁護委員会で野宿者や刑務所処遇問題に関わる。女性・労働・外国人問題にもとりくむ。