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外国人労働者問題を考える
難民・移民・出稼ぎ
―共生社会をめざして―

1 はじめに
 二〇〇二年五月、アメリカへの亡命を希望する朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の難民五人が中国瀋陽の日本領事館に駆け込み、結果的には韓国が受け入れたことによって収束を見たものの、当初わが国は、国家主権への中国による侵犯として騒ぎ立てた。しかし、この事件で問われたものは、わが国の外国人受け入れ政策ではなかったかと思うのである。
 日本の人口・労働力人口の絶対的減少を目前にして、かつ世界的な人材獲得競争のなかで、産業界を中心として、外国人労働力導入の論議が喧しくなってきた。
 この際、外国人労働者問題の所在と今後の在り方を、政策を中心に考察しようとするものである。
2 難民
 二〇世紀は戦争の世紀といわれる、民族と宗教の対立も大きい。当然のことながら国家間の戦争・国内の紛争によって、多数の政治的あるいは経済的難民を生んだ。世界では、一億五千万人が自国を離れて暮らし、うち一五〇〇万人は難民であるという。
(注・この難民の有様を、豊田直巳は『難民の世界〜漂流する民 二〇〇二・九』により生々しく伝えた。)
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の調査によると、二〇〇一年の難民認定数は、アメリカ二八三〇〇人、ドイツ二二七二〇人、イギリス一九一〇〇人、 カナダ一三三四〇人、 フランス九七三〇人、イタリー二一〇〇人に対して、日本は二六人である。
 日本は、七〇年代からの二〇〇万人に及ぶインドシナ難民については特例措置(九四年廃止)を設け、七八年以来一七〇〇〇余人を受け入れており、これを契機に難民条約にも加入した。しかし、いわゆる条約難民については、条約加入後の二〇年間で二五二三人の申請があったのに、僅か二九一人を受け入れたに過ぎない。UNHCRの『世界難民白書』では、日本は「人口移動と出入国管理を厳しくして、民族的・文化的な同質性を維持してきた」と述べている。つまり、難民の受け入れについては、日本はまだ鎖国状態に近い。
 今回の領事館事件や最近のアフガニスタン難民の認定をめぐるトラブルを受けて、在外公館での対応、支援体制の拡充のほか、入国後「六〇日以内」に申請しなければならないというルールの撤廃、「仮滞在許可」など出入国管理法の改正による認定制度の見直しが進められている。
(注・国連の「難民の地位に関する条約」は、難民を「人種、宗教、国籍、もしくは特定の社会的集団の構成員であること、または政治的意見を理由に迫害を受ける恐れがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができない者、またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を望まない者」と定義。これを「条約難民」あるいは「狭義の難民」と呼ぶ。アフリカ統一機構の「アフリカ難民条約」は「外部からの侵略や占領、外国による支配または出身国もしくは国籍国の一部もしくは全体における公の秩序を著しく乱す事件」による者とし、さらに中南米諸国は要因に「大規模な人権侵害」を付加し、これを「広義の難民」と呼ぶ。また迫害よりも生活苦から逃れるための「経済難民」が存在し、移民と区別が難しくなっている。)
3 密入国
 二〇世紀後半における経済のグローバリゼーションは、人、労働者の国際移動に拍車を掛けることとなった。しかし、その移動は経済格差や宗教の違いをもつ国間のものであるだけに、受け入れ国との摩擦を避けることができない。「何人も、迫害からの避難を他国に求める権利がある」と世界人権宣言は宣言し、また「すべての難民に対し、漂着国は正当に住み働く権利、社会保障もろともに与えること」を難民の地位条約に掲げている。にもかかわらず、難民といえども人道的見地だけで無条件に受け入れられていない現実がある。さらに、難民ではないがよりよい生活を求めての移動もあるために、正規のルートによらない密入国も増大してくる。
 二〇〇〇年六月、英国の港町ドーバーで、フェリーから上陸した中国人密航者五八人が冷凍トラックの荷台で死亡した。中国福建省出身の彼等は、蛇頭や旧東欧・イタリアのマフィア等密輸斡旋組織によって、飛行機、鉄道、車、フェリーを乗り継ぎ密航してきた。
 欧州全域に広がる夥しい移民・難民(二〇〇一年までの一〇年間で欧州連合機構内の難民申請は三七五万人)は各国の経済不況・失業の増大とともに、外国人排斥論や極右の台頭を招き政治的問題と化した。フランス大統領選挙におけるルペン氏の躍進、オランダのフォルタイン党の伸長など、記憶に新しいところである。
いちどEU圏に入れば自由に移動できるEU諸国は、国境の管理や難民審査を強化し、不法入国者の送還を強化している。オーストリアでは、越境監視のために東部国境へ軍隊を動員、また講座受講後もドイツ語を話せない非EU人の国外追放。イタリアは、非EU外国人居住者への指紋押捺の義務付け、雇用主との労働協約がなければ滞在不許可など。
 原則的に移民を認めない日本への、中国や東南アジアからの密航は後を絶たない。洋上で発見された密航船、コンテナ船に潜んだ集団密航、はては銀座での派手な逮捕劇、あるいは蛇頭組織の摘発等、集団密航の増加が報じられている。観光ビザあるいは留学で入学したのちの超過滞在や資格外就労も多数に上る。'二〇〇一年に強制送還された外国人は、不法残留二六四八四人、資格外活動五四二人、不法入国七五三四人、不法上陸六六二人、刑罰法令違反一五八人、計 三五三八〇人に及んでいる。(出典・『第四一出入国管理統計年報 平成一四年版』法務省大臣官房司法法制部編 二〇〇二年)
 なお、ひとこと人身売買・奴隷労働についても、触れておきたい。二〇〇一年四月、西アフリカのベニンで「奴隷船」が摘発され、貧しい国の子供たちが人身売買などによって強制労働や売春に従事させられている実態に注目させられた。当時、西・中アフリカのなかで年間二〇万人の子供が、中欧・東欧・ロシア・ウクライナから西欧・中東へは子供と女性を併せ一二万人にのぼる人身売買が、犯罪組織等を通じて行われているといわれた。
 日本でも国際犯罪組織等を通じて日本の性産業や工場などに外国人労働者が送り込まれ、暴力や借金(渡航費用や仲介業者の上乗せ経費など)で拘束される人身売買の状況が明るみに出されつつあり、被害者支援のNGOと政府、ILOなど国際機関との連携による解決が芽生えてきていると、朝日新聞は報じている。(二〇〇三年一一月四日および一一日)
 貧困をなくすことが基本であることには違いないが、国際的な連携による人身売買ビジネスをなくすための取り組みが喫緊である。
(注・人身売買は「搾取の目的で、暴力その他の脅迫、詐欺、権力の乱用、支配下に置くための金銭授受により人を採用、運搬、隠匿等すること」と、国連の国際組織犯罪防止条約を補足する「人身売買防止議定書」で定義されている。)
4 移民
 国際労働機関(ILO)は、移民、外国人労働者とは、「難民、旅行者、巡礼者および遊牧民を除く、広義の雇用を目的として、本人の国籍とは異なる国に移動したもの」としている。移民と外国人労働者の区別は、一方では、移住者自身の入国の目的の違い、他方は受け入れ国の姿勢の違いである。入国者が定着して市民になることを前提とするアメリカは「移民」であり、移民を認めないドイツやスイスは「ガスト・アルバイター(客員労働者)」、日本も「定住外国人」と区別して「外国人労働者」と呼んでいる。
5 外国人労働者
(1)日本では、外国人労働者の受け入れをこれまでどう考えてきたか。
 高度経済成長期にあった六六年、ビジョン研究会は『二〇年後の日本 豊かな国民生活への一つのビジョン』で「人口増加率の高い低開発国から労働力不足の日本へ、低賃金の移民が大量に流れこんでくる。有能で進取の気性を持つ人たちを外国へ追い出すことは、低開発国にとっても好ましくない。…このような移民の流れは、食い止めねばならない。」そして「日本ではほとんどないに等しい人種問題というやっかいなものを背負いこまねばならないことになる。」と述べている。その後の高度成長期にも、労働力不足は主として第一次産業からの労働移動によりカバーし、欧州各国のように外国人労働力に頼ることはなかった。

(2)日本に滞在する外国人の状況はどうか。
 外国人登録によると、日本に滞在する外国人は二〇〇一年末には、一七七万八四六二人で、一〇年前に比べ 五五・九万人増加している。国籍別では、韓国・朝鮮(六三・二万人)、中国(三八・一万人)、ブラジル(二六・六万人)、フィリピン(一五・七万人)、ペルー(五・〇万人)、アメリカ(四・六万人)である。(出典・『在留外国人統計 平成一四年版』法務省二〇〇二年)
 韓国・朝鮮国籍人が多いのは、朝鮮半島を日本が植民地としていた頃から、来日しまたは連行された人やその二世、三世を含むからであるが、戦後日本は、彼らが定住することを恐れて、「移民」として認めず、日本国籍・市民権を取り上げてきた経緯がある。在日韓国・朝鮮人については九一年の入管特例法で特別永住者とされているが、参政権はいまだ認めていない。

(3)一九六〇年以降、日本の外国人受け入れ政策は、専門・技術分野では可、単純労働では不可としている。その理由として外国人労働者を受け入れれば、労働市場を二層化する、産業構造の合理化・技術革新を遅らせる、定住化により、医療・教育・住宅など社会的コストが増える、地域社会の摩擦や犯罪が増大する、というものであった。
「労働者を入れようとしたら、やってきたのは人間だった」との言葉が使われるが、「労働力だけを使って、移民は受け入れたくない」との都合のいい考え方が頑ななまでに刷り込まれていた。当面の人手不足をカバーするため、一定期間後の帰国を想定して外国人労働者を雇い入れたところ、定着し、家族まで呼び寄せ、その対応に苦慮した欧州の轍を踏むまいとしたものでもあった。日本はこのような立場から、戦前から在日する韓国・朝鮮人をも市民として認めず、年金などの社会保障を含め種々の人権を保障してこなかったのである。

(4)一九九八年の「第九次雇用対策基本計画」においても、「専門的、技術的外国人労働者は積極的に受け入れるが、単純労働者の受け入れは慎重にする」とし、入管政策でも、「単純労働」を目的とした入国を認めず、これを「不法就労」として規制していた。
 もっとも、労働力不足が進行する八〇年代なかばから、外国人労働者の「不法就労」が増加した。円高が進んだからでもあるが、東南アジアの若者にとって日本は「黄金の国」と思われていたのである。一方、産業界からの要請によって技能実習生制度を制定し、あるいは日系人に定住資格を付与したことにともない、外国人労働者の多くを事実上の単純労働者として受け入れるようになった。
 就業者総数から見れば、外国人労働者の比率はまだ一%強に過ぎないとも言えるが、高失業率の雇用情勢にもかかわらず、三K職場を中心とした中小零細企業における採用難や景気の変動、業務の繁閑に応じて調整を図りうる労働力として、外国人労働力は「欠かせない」存在となって、不法就労者を含め九〇年の二六万人が、二〇〇一年には七四万人に達した。二〇〇二年九〜一〇月、茨城県大洗町の水産加工業者で、観光ビザで来日して滞在期限後も働いていたインドネシア人五〇人が、不法滞在として摘発された。不法滞在就労者はこのほか、四〜五〇〇人の見込み。「地元の主婦等が嫌う低賃金できつい仕事をこなしてくれる人はいない。インドネシア人がいなくなると倒産する業者も出てくる」と業者の組合は話している。
 業者にとって不法残留のインドネシア人は、安い賃金で雇えるうえに、解雇や社会保険の未適用にも、強制退去を恐れて自らは監督官庁の保護を求めないから、企業にとっては都合の良い労働力であり、人権侵害は日常のこととなる。
 日系人の就労も急増している。これは九〇年の入管法の改正により、在日朝鮮人に特別永住者資格を付与した絡みで、日系人三世までを「定住者」として、全職種について就労可能となったからである。その多くが南米日系人であり、業務請負業者を通じて自動車・電子等の製造業や農協・漁協での箱詰め・選別等に就労することとなった。日系人労働者の多い浜松市、豊田市、大泉市では、彼らの地域コミュニティーが形成されている。


就労目的在留資格者技能実習生留学生の資格外活動日系人など不法就労者合計
1990年67,9833,26010,93571,803108,49726万人
2001年168,78337,83165,535239,744224,06774万人

(5)さらに日本の総人口は、二〇〇六年をピークとして二〇〇七年から減少する。少子高齢化が進むので、労働力人口の減少は、二〇〇五年から二〇二五年まで年間四〇万人、その後二〇五〇年までは、年七〇万人に達すると見込まれている。経済を担う労働力を確保し、老齢年金をはじめ社会保障制度の維持を図るといった地域社会を運営していくためには、外国から移民あるいは労働者を受け入れることが必要だと言われる。国連人口部でも「日本が九五年の生産年齢人口を二〇五〇年まで維持するには、毎年六〇万人の移民の受け入れ、また生産年令比率の維持のためには、定年を七七歳に延長せねばならない」と推計している。

(6)しかも、問題は日本における若年労働力の質にもあるとされ、森内閣のIT立国の宣言以来、情報技術エンジニア等IT労働者を、インドや中国から採用しようという動きが加速化した。日本の人材不足を補おうとするものであるが、外国人にとって定住や昇進の展望を欠いている日本に、果たして誘引力があるのだろうか。

(7)日本人の活動が国際化し、他民族の文化、習性の理解も進んできて、世論調査では、現在および将来の外国人の受け入れについて、前向きで柔軟な意識の広がりが見られる。
(a)二〇〇〇年一一月九日 朝日新聞の「外国人労働者」世論調査では、「単純労働の受け入れ」に賛成六四%、反対二六%、「不法就労の取締り」に賛成四六%、不法就労を取り締まるのでなく「合法的に働けるようにする」が三九%、「外国人住民に対する医療・教育の充実」をはかるべきとの意見が六四%、「永住を前提とする移民の受け入れ」に賛成が、五七%である。
(b)移民は避けるべきだという意見はまだまだ強いが、多くの外国人が働いている現実と、単純労働は認めないという建前との乖離は限界にきている。まもなく人口減少時代を迎える時期がきており、外国人労働者を受け入れることにより、労働力を確保し、また社会を多様化して国の活力を高めることができるという声が産業界を中心に高まっている。

(8)外国人労働者受け入れ政策の変化
(a)「経済戦略会議の最終報告」
 九五年五月、日経連は『新時代の「日本的経営」』の中で、終身雇用、年功賃金制度の日本的雇用、経営慣行は見直すべきであると提言した。その後、日本の雇用労働慣行は法制度の改正を含め、この提案の方向に動いている。提言のように長期継続雇用者を減らし非正規労働者を増やしていくことは、いつでも取り替え可能な労働者として外国人労働者の雇用を容易にするもので、問題がある。
さらに、九九年二月、経済戦略会議は「日本経済再生への戦略」を出し、少子化対策として「外国人労働者受け入れ拡充のための法制度の見直し」を求めた。
(b)「出入国管理基本計画(第二次)」
 このような「外国人労働者の受け入れ」拡充の要求に応え、二〇〇〇年三月、法務省は「第二次出入国管理基本計画(二〇〇五までの五年間)」を公表し、外国人労働者受け入れ拡大を打ちだした。
 日本では、基幹産業での不安定な雇用、地場産業や農林水産業、食品加工や介護などの産業などでの劣悪な労働条件・職場環境のために人手の確保が難しく、外国人労働者の導入が求められてきた。一方、外国人労働者は、入国規制、在留管理のほか、一定期間後の帰国が求められている。また雇用が入国・在留許可の要件であり、失業すれば帰国を余儀なくされるため、解雇にたいして著しく弱い立場に置かれている。
 日本における不法就労者の膨大な存在は、これらの就業形態が地域産業にとってすでに欠くべからざるものに組み込まれていることを表しているのではなかろうか。
(注・就労を目的とする在留資格別外国人登録者は、教授七一九六、芸術三八一、宗教四九四八、報道三四八、投資・経営五九〇六、法律・会計事務九九、医療九五、研究三一四一、教育九〇六八、技術一九四三九、人文知識・国際業務四〇八六一、企業内転勤九九一三、興行五五四六一、技能一一九二七 合計一六八七八三、前記法務省統計より)
(c)「外国人雇用問題研究会報告書」
 厚生労働省では、二〇〇二年八月、世界的な人材獲得競争、少子・高齢化にともなう労働力不足に対応した外国人労働者の受け入れ政策について、研究会結果報告書を発表した。その施策は、受け入れにともなう国内労働者や産業への悪影響の防止、社会保障や社会的統合施策の国民的合意とコスト負担、さらに外国人の人権やアイデンティティへの配慮を基本としつつも、受け入れの在り方としては、わが国経済社会発展のための「起爆剤」となりうる「高度人材」の獲得を第一に掲げ、労働力不足対策には、「労働市場テスト」制度(注・一定期間求人を出して、国内労働者では充足されないことを確認して、外国人に就労の機会を与える制度。ドイツ・スイスなどで実施されている。)・受け入れ上限の設定・受入数や期間の二国間協定方式を考えている。
(d)「活力と魅力溢れる日本をめざして」
 二〇〇三年二月、日本経済団体連合会は、この中で外国人労働者の受け入れについて言及し、日本社会の扉をより多様な外国人に開くことは必然であり「少子高齢化による就業人口の減少には、…外国人をより透明で安定した制度のもとで受け入れるシステムを本格的に設計することが急がれる」とした。海外事業者による日本への人材派遣、外国人医師による診療、外国人が海外で得た弁護士、会計士など資格の相互認証をもとめている。また、台湾の二国間協定による受け入れシステムを推奨している。
(e)「二〇〇三年版通商白書」
 日本経済の活性化のために、専門的な技術をもつ外国人労働者を積極的に受け入れるよう、政府の白書としては初めて提言した。そして、医療や会計などの海外での資格が日本でも通用するよう相互認証の資格の拡大や、母国との年金支払いの二重負担をさけるための社会保障協定の拡大を提示している。
(f)「日本版グリーンカード」の創設
 一〇月七日、政府の総合規制改革会議は、高度な技術を持つ外国人の日本移住を促すための「日本版グリーンカード」の創設を、「公共施設・サービスの民間開放」―いわゆる官業の民営化―などとともに重点検討事項として取り上げ、年末の最終答申に盛り込まれることとなった。それより先、日本経団連は政治献金を行なう際の「優先政策事項」に「外国人の積極的受け入れ」を基準の一つとすると発表した。リストラ頻発のなか、政府・財界の政策意図を表わすものであろう。(注・グリーンカードとは、アメリカにおける永住許可証のこと)
6 外国人労働者を受け入れるために
「共生社会の実現」
 今後に予想される日本の人口・労働力減少社会にむけて外国人労働者の助力が必要なことは言うまでもない。しかし、外国人に日本の社会構成の一部を担ってもらおうとするにもかかわらず、そして日本人の国際化が進み、外国人に対する理解が逐次深まりつつあるとはいえ、人種差別、宗教差別の動きがなかなか減らないどころか、不況の深刻化とともに増加さえしていることが憂慮される。人権を守る立場にある為政者に問題が出ていることも心配される。たとえば、東京都知事の「三国人」発言、「中国人かな、と思ったら一一〇番」の空き巣予防チラシを配った東京都警視庁など。
 外国人労働者の受け入れを云々する前に、我々が重視し、その改善を図らねばならないのは数十万人に及ぶ在日韓国・朝鮮人の処遇である。就職に当たって通名での就職を勧めた大阪府の人権啓発パンフ(二〇〇〇年一一月、回収済み)でも象徴されるようになお存在する就職差別。
 資源小国の日本にとって、人材こそは宝である。若年労働者の高失業と不安定雇用、あるいは中高年者の過労自殺に象徴されるような労働者の使い捨てはあってはならないし、国内労働者の能力発揮、労働環境の改善、設備投資による生産性の向上こそが先決であることは当然である。経済効率のみが優先される社会であってはならない。
 また、もともと先進諸国が外国人労働者を利用する経済的な理由を、S・サッセンは「労働と資本の国際移動」の中で、「(ア)労働力を輸入することによる労働費用と労働力再生産費の低下を図ることができる」―すなわち外国人労働者受け入れ国は、必要とする熟練または非熟練労働者を必要とするだけ、ふるいわけて求められるから、労働者自身の生産費用はもとより、その家族を含めた社会的サービスを節約できるというのであり、「(イ)外国人労働者を本国送還することにより、失業の輸出あるいは失業補償を免れる」―外国人労働者が必要でなくなったとき、あるいは労働の力をそこなった時には、その母国に送り返される。したがって、失業・労働障害・療養に関連する費用は、外国に転嫁される。そして、失業増大の社会的不満も転嫁される。「(ウ)不法労働者に顕著な労働の無組織化は、労働条件引き上げの圧力をかわすことができる」―一般に外国人労働者は、地域との結びつき、とりわけ労働組合との連携の希薄さのために、組織化されることが少ないが、まして不法入国・不法滞在となると、強制送還を恐れるので雇用者への従属が強まり、いわゆる三K職場に使われることが多い、を挙げている。
 現実に多くの外国人労働者が働いているにもかかわらず、わが国は、移民労働者にかかるILO条約「移民労働者に関する条約」「移民労働者とその家族の権利保護条約」を未だ批准しておらず、その早急な批准が必要である。とくに国内労働者との均等待遇、非正規就労の防止等、外国人労働者及びその家族の公正な処遇についての配慮が欠かせない。 また、それとともに、外国へ出る労働者は通常高等教育を受けた率が高いと言われることからも、送り出し国に与える影響をも考慮すべきであろう。
 そしてこれら外国人労働者の人権保障によってこそ、外国人労働者のみならず国内労働者にとっても、労働条件切り下げへの不安を解消し、いたずらに外国人労働者を嫌悪し、ついには排除しようとする動きを抑え、労働者の連帯を築くことができるのである。もちろん、ともすればパートや臨時労働者など未組織労働者を対象外扱いしている労働組合の外国人労働者への対応が、労働者連帯の意識の欠如・組織率の低下への反省とともに必要であろう。
 その上で、外国人労働者の公正な受け入れ政策を確立すべきである。二〇〇二年に「ドイツは移住者を必要としており、移住をルールによって規整し、かつ統合を促進するべきである。」と制度改正したドイツを参考として、政労使、自治体住民と十分な検討、合意を得て、受け入れについてのルールを作るべきであろう。
参考文献
一九八九年『渇く大地』 犬養道子 中央公論社
一九九一年『国境を越える労働者』 桑原靖夫 岩波新書
一九九一年『在日外国人』 田中宏 岩波新書
一九九一年『グローバル時代の外国人労働者』 桑原靖夫編 東洋経済新報社
一九九二年『「労働鎖国」のすすめ』 西尾幹二 PHP文庫
一九九二年『外国人労働者と日本』 江橋崇 岩波ブックレット
一九九四年『長期変動』 溝口雄三・浜下武志・平石直昭・宮嶋博史編 東京大学出版会
一九九五年『日本の雇用システムと労働市場』 猪野木武徳・樋口義雄編 日本経済新聞社
一九九九年『ひとの国際的移動』 富岡宣之 嵯峨野書院
二〇〇一年『外国人労働者新時代』 井口泰 ちくま新書
二〇〇二年『国際社会 国際化する日本社会』 梶田孝行道・宮島喬編 東京大学出版会
二〇〇二年『国際社会 国民国家はどう変わるか』 梶田孝行道・小倉充夫編 東京大学出版会
二〇〇二年『在日コリアン権利宣言』 田中宏編 岩波ブックレット
二〇〇二年『「多民族・多文化共生社会」にむけて-包括的外国人政策の提言・二〇〇二年版』 移住労働者と連帯する全国ネットワーク

西村 兼太郎(にしむら けんたろう)
本会会員、雇用問題を研究。大津公共職業安定所長、滋賀障害者職業センター所長など、労働、福祉分野に従事五〇年。