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映画評「ヒバクシャ−世界の終わりに」
(2003年 鎌仲ひとみ監督)
 この映画は、イラク・日本・アメリカの被曝状況を描いている。
 イラクでは、湾岸戦争で破壊されたままの水道、ばら撒かれて放置されている劣化ウラン弾。病院では治療できない子供たち、ほとんど空の薬品保管庫。日本では、被曝認定されない被爆者、原爆で家族全員を失い自らも症状に苦しみつつ体験を語るサバイバーたち。自身も被爆しながら精力的に被曝調査を進める肥田医師。アメリカでは、2万5千発もの原爆を製造したハンフォード研究所、放射能汚染を知らされず附近に住んでいた農民たち。所有者がみなガンになり、荒れ果てるのを待つ家屋。広い畑で収穫されるジャガイモの山、国際市場へ出荷されフライドポテトになる。
 これらが際立った強調もなく淡々と流れていく。ヒバクシャみなに共通しているのは、貧乏、あるいはさして裕福ではないということである。治療をするにも、補償を要求するにも、資金が足りない、日々生きるのが手一杯、不安だけれど仕方がないとあきらめる人のなんと多いことか。金があればいいというのではない。彼らの「勇気」のなさを責めるわけではない。権力者の言う「自由」とはこんなものなのだ! 「補償よりも次の戦争で頭がいっぱいさ」。政府を相手に補償を求めている農民トムの言葉は印象深い。
「誰がこんな目にあわせた! 」スクリーンからはこの声が伝わってくる。現在、再びイラクに劣化ウラン弾が落とされ、アメリカが小型核兵器の開発を計画し、日本が核保持も視野に入れた軍国化を進めている。2時間弱と長く、やや足りない部分もあるが、「ヒバクシャ」は一見の価値はあると思う。
 終幕、チェルノブイリ事故から10年を数え、日本とくに東北・北海道で乳がんの発症率が急増しているとの報告。じわじわと、見えないカビのように広がる放射能被害、これこそ脅威だろう。
(百々野 環)