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EXPLANATION 反戦思想
●反戦・非武装思想の変遷
 日本国憲法第九条は、「侵略戦争」のみならず「自衛戦争」をも放棄し、そのために「戦力の不保持」をも定めた、世界的にもきわめて先進的な内容を持つものと評価されている。日本の敗戦と米軍による占領という歴史的な経緯はあったにせよ、このような優れた「反戦・非武装」の内容を持つ条項が、当時、突然作り出されたわけではない。憲法九条はいかなる思想的背景の上に生まれたのか? 以下、世界的な反戦・非武装思想の変遷を簡単に追ってみよう。
●自衛戦争肯定=「正戦」論と、「征服(侵略)」戦争の放棄
 暴力の否定や、戦争の非合法化については、世界的には古代からキリスト教勢力などによる非暴力思想があったが、ローマ帝国での国教化にともない、「聖戦・正戦」肯定論に変化し、侵略戦争との区別があいまい化してゆく。
 自衛戦争肯定=「正戦」論にたち、「征服(侵略)のための戦争と武力行使の放棄」を最初にうたった憲法は、一八世紀末フランス革命後の人権宣言であるとされる。しかし、そのもとでナポレオンの領土拡大・侵略戦争が強行されていった。
●常備軍の廃止と、国際組織による戦争の非合法化の提唱
 同時期、カントは「正戦」論否定・絶対平和主義にたち、常備軍の廃止と国際平和組織による「戦争非合法化」を提唱。これはのちの国際連盟へとつながっていく。
 一九世紀には「正戦」論すらも後退し、先進資本主義諸国による帝国主義・植民地獲得戦争が「自由」に展開されてゆく。
 この帝国主義による見さかいのない侵略戦争にたいして、社会民主主義勢力は、常備軍の解体と、純国防軍=民兵組織の設立や、国際裁判所の設立による武力によらない国際紛争の解決などを構想してゆく。民兵組織の構想は、のちに反ファシズムのレジスタンスに結実する。第一次世界大戦の重大な被害にたいして、ウィルソンによる国際連盟が提唱されるが、米国の不参加や、軍事力や植民地の国家間格差の固定化、敗戦国への過酷な賠償要求などの抑圧的性格から破綻した。
●社会主義の反戦思想
 これに対し、マルクスなど社会主義勢力は、常備軍の廃止のみならず階級の止揚によって戦争を廃絶することを提起した。これは支配階級の侵略・反革命戦争に反対しつつも、被支配階級による生命と生活を守るための民族独立・解放戦争を肯定する一種の「正戦」論の提起であった。これは二〇世紀にはいってレーニンに引き継がれ、「帝国主義戦争に反対し、革命に転化することで戦争をやめさせ、民族自決と平和を確保する」という主張が展開され、実際にロシア帝国を打倒し、戦争終結を宣言し、フィンランドなどのロシアからの民族自決・独立を実現した。そしてこれは中国の抗日闘争や、ベトナムの民族独立・解放闘争、戦後のキューバ革命など多くの諸国に影響を与えた。しかし、ソ連に関しては、暴力革命と続くプロレタリア独裁から、常備軍が再組織されたまま解体されず、治安弾圧部隊が肥大化し、国内的な民主主義の破壊や、体外的軍拡・侵略を引き起こして、社会主義体制が崩壊した。
●不戦条約による「戦争違法化」原理の登場
 国際連盟の不備を補完すべく、一九二八年にはブリアンらによる不戦条約が成立する。これは「戦争の違法化」、すなわち「同義的のみならず国際法上違法である」とする原理を登場させた意義の大きいものである。ただし内容的には「自衛権」を留保しており、「侵略戦争」の違法化にとどまった。この思想は、「侵略戦争の否定」として第二次大戦後いくつかの諸国の憲法にも反映されてゆく。また「戦争」を禁止するが「武力行使」を禁じておらず、日本はこれに加盟しつつ、さまざまな「戦争」を「事変」すなわち「武力行使」と称して正当化してゆく。この時期の不戦条約を生み出す背景には、米国における「制度としての戦争を廃止する」絶対的平和主義と、集団的安全保障へと収斂する二つの「戦争違法化」思想があった。前者は戦後の日本の憲法第九条へ、後者は国際連合へと引き継がれる。同時に軍縮思想による軍縮条約も試みられており、毒ガスやダムダム弾などの残酷な兵器の禁止などが定められている。しかし、一定の軍縮を実施しつつも、帝国主義列強の保有する軍備や植民地の格差の固定化や、世界恐慌により破綻し、世界はふたたび帝国主義世界戦争へと突入するのである。
●良心的兵役拒否の思想
 また一九世紀には以前より行われていた宗教勢力による良心的兵役拒否(Conscientious Objectors =CO)が大規模に展開される。二〇世紀にはいり、第一次大戦以後の時期においても、クェーカー教徒らによる絶対的平和主義に基づくCOと、さらには絶対的平和主義ではなく、「ベトナム侵略戦争には従軍しない」とする選択的兵役拒否運動へと発展していった。現在では、九九年のハーグ市民平和会議などに見られるように、憲法第九条を持つ日本を「良心的兵役拒否国家(CO国家)」と位置づけ、CO国家を増やそうとする運動へと発展している。これらは、非核地帯宣言や無防備地域宣言にも連なるものである。
 さらに二〇世紀初頭から、ガンジーによる非暴力不服従行動―「サチヤグラハ」運動が展開され、インドの民族独立をかちとった。これは戦後のキング牧師の非暴力不服従による黒人解放運動へとつながる。シュヴァイツァーによる「生への畏敬」の倫理の実践は、のちの憲法九条の「平和的生存権」につながるとされる。
●国家主権から人民主権へ、「国家の自衛権」の否定へ
 これらの運動においては、個人としての自衛権や正当防衛のための一定の暴力行使についてはさまざまに議論があるが、重要な点は、国家主権としての国家の軍事権や自衛権・正当防衛権を基本的に否定したことにある。すなわち、国家主権を否定し、人民主権を宣言したのである。
 第二次大戦において、クラウゼヴィッツの「軍事は政治の延長」という命題を超えるかのような戦略爆撃による「皆殺し」が登場し、大量無差別殺傷兵器である核兵器が現実に広島・長崎に使用されたこと、そして米ソなどにより莫大な核兵器が軍備として配備されていったことなどから、反戦思想は新たな段階を迎える。人類の「平和的生存権」の保障のためには、単に侵略戦争の放棄や平和的国際組織による軍事的・集団的安全保障方式にとどまる国家主権の制限ではなく、もはや国家による軍備と、その使用を一切否定すべきである、すなわち国家自衛権事態を否定すべきであるとするものである。日本の憲法第九条は、このような新たな反戦思想を体現し得る、先進的な規定であるといえる。
●戦争の歴史に終止符を!
 憲法第九条は、米国占領軍の日本の武装解除の思惑と、天皇制という国体護持を第一の目的とした当時の日本政府の思惑とが合致したところで作られたものではあるが、その重要な理念は、これら歴史的な反戦・非武装思想の実践の延長上に成立したものにほかならない。
 かつて沖縄戦では、沖縄の住民の四人に一人が、日本軍によって死に追いやられていった。軍隊は「国」を守るものであって「住民」を守るものではない。軍隊は「国」を守るためには「住民」をも殺傷するということが明らかになった、忌まわしい歴史である。私たちはこの教訓を生かすことができるのか、それともまた同じ鐵を踏むのか。戦争の惨禍というものが、とめどなく拡大する一方の現代において、憲法九条の帰趨は、人類の行方を示すものであろう。
 今が正念場である。
(編集部員 藤井悦子)