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シリーズ「「安全な社会」って何だろう〜最近の刑事立法を考える」
第3回 サイバー犯罪条約 国内法整備の問題点
 シリーズ第三回は、サイバー犯罪条約の批准にともなう国内法整備について考えます。
 サイバー犯罪というと、「サイバーテロ」とか、SFの世界のような特殊な領域の特別の犯罪だと思うかもしれませんが、この条約も法案も、いわゆる「サイバーテロ」に関するものではなく、広くサイバー領域に関わるもので、普通の犯罪の捜査のためにパソコンを差し押さえる場合なども含みます。また、パソコンやインターネットを使わなくても、携帯電話のメールやiモードもサイバー領域ですから、実は案外身近な問題なのです。
 サイバー犯罪条約とは、コンピュータの不正アクセスや電子ウィルスの作成などを犯罪として取り締まるとともに、電子データの捜索差押えやそのための保全措置などを可能とし、さらには他の加盟国のための捜査をも可能とすることを求めるもので、二〇〇一年一一月に欧州評議会で採択されました。実は、条約作成の中心となったアメリカ、イギリスなどはまだ批准しておらず、二〇〇四年二月六日現在、締約国はアルバニア、クロアチア、エストニア、ハンガリーの四カ国にとどまっているのですが、日本の国会は、同年四月二一日に批准を承認してしまいました。
 このサイバー犯罪条約の国内法整備のための法案が、共謀罪とセットで今通常国会に上程されています(「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」)(なお共謀罪についてはアジェンダ三号・シリーズ第一回参照)。
 その主な内容は、電子ウィルスの作成・提供等やわいせつデータの送信等の犯罪化、LAN等でつながっている記録媒体データの差押え、記録命令付差押え(ハードディスクにある電子データをフロッピー等に複写して差押える)、プロバイダー等への協力要請・保全要請、国際捜査協力としての保全要請などです。以下、主な問題点について見ていきます。
 一つめは、電子ウィルスの作成・提供等の犯罪化についてです。
 これは、「人の電子計算機における実行の用に供する目的」で電子ウィルスを作成・提供したり、実行させたり、取得・保管したりすることを犯罪として刑事罰を科すというものです。
 電子ウィルスは迷惑だから、どんどん取り締まって欲しいと思う人もいるかもしれません。しかし、単に「実行の用に供する目的」というのでは、セキュリティ試験のために電子ウィルスを作成した場合までも含まれかねません。また、誰かから勝手に送りつけられてきた電子ウィルスをそのまま保管してしまった場合でさえも、「実行の用に供する目的」があったとされれば犯罪になってしまいます。ちなみに、サイバー犯罪条約においては「(システム妨害等の)犯罪を行うために使用されることを意図して」とより明確に目的が規定されていることと比較しても、この規定は不明確すぎます。
 二つめは、LAN等でつながっている記録媒体データの差押えについてです。
 差押えというのは、強制的に他人の占有を排除してものを取得する処分ですから、正当な理由に基づき、捜索範囲、差押えるべきものなどを明示した裁判官の令状によってのみ、許されることになっています(憲法三五条)。これは自由を制限してもやむを得ないほどの正当な理由と必要性があるのかどうか、必要最小限の制限なのかどうか等を裁判官にチェックさせることにより、自由を保障しようとしているのです(裁判官が本当にきちんとチェックしているのかという問題はありますが)。
 ところが、この法案で新設される差押え方法は、Aというコンピュータを差押えすれば、Aで処理するための電子データを保管していると「認めるに足りる状況」にあるBという記憶媒体にある電子データについても、Aについての令状のみで差押えできる(電子データをフロッピー等にコピーして差し押さえできる)というものです。たとえば、私のパソコンに登録されているアカウントのメールボックスや私のパソコンとLANでつながっていて私がアクセスできる領域にある電子データについては、私のパソコンに対する令状のみで差押え可能なのです。しかし、私がアクセスできるからといって、必ずしも私がその領域を保管に使っているとは限りませんし、ましてやそこにある電子データのすべてを私が使っているとは限らず、むしろ他の人と共有したり他の人が使っていたりすることもあり得ます。例を挙げれば、社内LANの管理者のAというパソコンが置いてある場所の捜索差押令状でAを差押えすれば、管理者はLAN内部のすべての領域にアクセスする権限を持っているはずですから、Aというパソコンの電子データだけではなく、共有サーバやその社内のLANでつながっているB、C、D、E、・・・というすべてのパソコンの電子データを差押えできることになります。その際に、B、C、D、E、・・・が遠く離れた場所にあったとしても、その置いてある場所の捜索差押令状がなくても、それらのパソコンの使用者に告知する必要もなしに、その内部の電子データをAを通して閲覧することができるのです。これでは、令状なしに別のパソコンの電子データの捜索を可能とすることになり、裁判官が令状を審査して捜索範囲を限定している意味がなくなってしまいます。しかも、電子データですから、差押えまではできなくても、閲覧するだけでも情報収集の目的を達成することはできます。ある犯罪の捜査にかこつけて、別の犯罪捜査や情報収集のために悪用されることもないとは言えません。
 三つめは、プロバイダー等への保全要請についてです。
 プロバイダー等は、長期間の通信履歴の保存には相当の記憶媒体容量が必要であることや漏洩のリスクが高まることなどから、通常は短期間で通信履歴を消去することが多いようです。そこでプロバイダー等に対して、捜査のために、通信履歴(送信元、送信先、通信日時など)を最長九〇日間保存することを求められるというのが、この保全要請です。
 誰が誰とコミュニケーションしているかという情報もプライバシーの一部なので、通信記録も通信の秘密の保障(憲法二一条二項)を受けるとされていますが、この保全要請は通信の秘密に抵触するおそれがあります。
 しかも、一応、任意処分の形式をとっていますが、実際には捜査機関の要請を拒否することは難しいでしょうから、事実上は強制処分です。その上、差押令状を得るまでの間に通信記録が消去されないようにするために必要なのだと説明されているにもかかわらず令状請求とリンクされておらず、要請自体は司法審査を受けずに捜査機関が一方的に行うことが可能なため、濫用される危険性が高いと思われます。
 また、この保全要請を毎日繰り返した上で差押えをすれば、盗聴法でさえ保障している対象者への事後的通知もなされないまま、盗聴法の規定する範囲外の犯罪に関しても、事実上、通信履歴の傍受を認めるのと同じことになってしまいます。  このように、今回の法案は、サイバー領域という見えにくい分野で、これまで保障されていたはずの通信の秘密や私的領域の保護をなし崩し的に侵害していくものなのです。
 コンピュータやインターネットなどのサイバー領域は、その簡便性、即時同報性、匿名性や双方向性から、犯罪に結びついた場合には、行為者の特定や被害回復に困難さがつきまといます。しかし、同じ簡便性、即時同報性、匿名性や双方向性が、一個人が全世界を相手に情報を収集・発信し、様々な問題提起や行動を呼びかけることを可能にしているのです。新聞やテレビが採り上げないイラクの状況をインターネットを通じて知った人もいるでしょう。ネット署名によって、あっという間に多くの人の声が集まり、形になることもあります。
 サイバー領域でも、実空間でも、利便性とリスクは隣り合わせです。サイバー領域だから、監視が優先されて憲法上の人権保障すら及ばないなどということは許されません。誰にとってのどんな「安全」が必要なのか、サイバー領域でも、実空間でも、同じ問いがあるのです。
大杉光子(おおすぎ みつこ)
一九六九年生。二〇〇〇年四月、京都弁護士会登録。在日外国人「障害者」年金訴訟弁護団員。京都弁護士会人権擁護委員会、刑事委員会、子どもの権利委員会、「心神喪失者等医療観察法」対策プロジェクトチームなどで活動。