HOME雑誌・書籍・店舗第7号目次 > 第7号 シリーズ「「安全な社会」って何だろう」
シリーズ「「安全な社会」って何だろう〜最近の刑事立法を考える」
第4回 閉じ込めればそれでいいの? 〜刑法重罰化がもたらすもの
 最近の世論調査では、「あなたは、日本の治安が五年前に比べて良くなったと思いますか、悪くなったと思いますか」という質問に対して、81%が「悪くなった」と答えています。他方、「あなたが住んでいる地域の治安が五年前に比べて良くなったと思いますか、悪くなったと思いますか」という質問に対しては、58%が「とくに変わらない」と答え、「悪くなった」は33%にとどまっています(二〇〇四年一月二七日付朝日新聞の定期国民意識調査より)。
 これが、最近言われる「治安の悪化」の中身です。周りを見ると実際に犯罪が増えているわけではない、けれども、そんな気がする。この「そんな気がする」、すなわち、客観的な治安状況ではなく、主観的な治安状況のことを「体感治安」と呼びます。マスコミを通じて煽り立てられる「治安の悪化」「治安の危機」が「体感治安」を悪化させ、悪化した「体感治安」に媚びるセンセーショナルな犯罪報道が繰り返し作り出される悪循環。
 しかも、「体感治安」は、あくまでも「そんな気がする」にすぎないので、打ち消すのも至難の業です。根拠のない疑い、得体の知れない不安は、どこまでもふくらんでいきます。その行き着く先はどこなのでしょうか。
 シリーズ第四回は、刑法の重罰化を採り上げます。
 去る九月の法制審議会答申を受けて、刑法・刑事訴訟法の改定案が今秋の臨時国会に提出されました。この文章を書いている一一月一八日の時点で衆議院本会議で可決されていますので、この文章が出る頃には成立してしまっているかもしれません。
 この改定案は、@有期懲役・禁錮の法定刑の上限引き上げ、A強姦罪等の下限引き上げ、B殺人罪等の下限引き上げ、C傷害罪等の上限引き上げ、D強盗致傷罪の下限引き下げ、E公訴時効期間の延長が主な内容です。
 @は、現在は有期懲役・禁錮の法定刑の上限は一五年、加重された場合で二〇年とされているのですが、それをそれぞれ二〇年、三〇年に引き上げるというものです。また、死刑や無期懲役・禁錮を減軽して有期懲役・禁錮とする場合に、現在は「一五年以下」とされているものを、「三〇年以下」に引き上げるとされています。その根拠として、法制審議会部会の議論の中では、平均寿命が伸びたから必要であるなどと説明されていました。しかし、刑罰の効果としては社会生活上の時間の長さが問題であり、現代では物事の流れのテンポが速くなっていることからすれば、むしろ今の一年は昔の三年五年に匹敵すると言っても良いと思います。それなのに五年、一〇年という単位で上限を引き上げるとしているのです。また、一〇〇以上もの罪について、それぞれの犯罪の性質などを考慮することなく、一律に上限が引き上げられることになるのです。これは、刑法の大改悪です。
 Aは、強姦罪の下限を二年から三年に、強姦致死傷罪の下限を三年から五年に、強制わいせつ罪の上限を七年から一〇年に引き上げるとともに、二人以上による強姦(致死傷)罪を新設するというものです。刑罰はその侵害された利益の重さに比例すべきであると考えられていますが(比例原則)、その意味では、現行法は女性の性的自由を軽く扱っていておかしいと批判されてきたことに応えたものです。なお、三年に引き上げても強盗罪の下限である五年よりも軽いという批判もありますが、比例原則は相対的な関係なので、強盗罪の方を引き下げるという方法もありえます。ただし、本来は被害者に対する精神的経済的ケアがきちんとなされることがまず必要ですし、その上で、司法手続きの中でのセカンドレイプや差別的女性観の是正、加害者に対する更生プログラム等が必要でしょう。それらの伴わない単なる重罰化では、結局は、対策をしているというポーズを取るための言い訳にすぎません。
 Bは、殺人罪の下限を三年から五年に、組織的殺人罪の下限を五年から六年に引き上げるというもの、Cについては、傷害罪の上限を一〇年から一五年に、傷害致死罪の下限を二年から三年に、危険運転致傷罪と暴力行為等処罰に関する法律違反の上限を一〇年から一五年に引き上げるというものです。これらについても、○○罪よりも軽いのがおかしいなどというバランス論が根拠の一つとされていますが、刑罰引き上げの方向でバランスを取れば、あちらを立てればこちらが立たずという形でシーソーゲームのように重罰化を進めていく可能性が高いと思います。バランスの問題(比例原則)は、一方を重くするという方向だけではなく、もう一方を軽くするという形もあり得るはずです。
 Dは、強盗致傷罪の懲役刑の下限を七年から六年に引き下げるというものです。酌量減軽をしたとしても半分までしか減軽できませんから、下限が七年ということは三年六ヶ月より短くすることはできないということです。執行猶予にすることができるのは三年以下の場合ですから、強盗致傷罪の場合には、前科もなく、どんなに同情すべき事情があって、ケガが幸いごく軽いものにとどまっていたとしても、執行猶予を付けることは法律上どうしてもできませんでした。執行猶予がつくかつかないかは天と地ほどの差があるのに、です。今回の改定により、執行猶予という選択肢ができることになります。
 Eは、公訴時効期間について、死刑にあたる罪は一五年を二五年に、無期刑にあたる罪は一〇年を一五年に、長期一五年以上の有期刑にあたる罪は七年を一〇年に、それぞれ延長するというものです。処罰感情や科学捜査の発展などを理由としているようですが、有罪立証する検察官側にとっては科学捜査の発展は有利かもしれませんが、防御する弁護側にとっては時間が経って記憶が薄れれば薄れるほど不利であり、えん罪が生まれる可能性が高まると思います。しかも、現在の警察の人的体制からすれば、時効期間満了まで継続して全面的な体制が取られるわけではなく、重大事件についてのみ時効間際に最後の集中捜査が行われるような状況であり、時効期間が延長されればその時期が今よりも遅くなり、新規証拠が発見されにくくなり、必ずしも検挙に結びつくとも言えません。しかも、二五年ということになれば、民事上の損害賠償請求権の除斥期間(請求ができなくなる絶対的な期間)である二〇年よりも長くなり、民事上の責任は追及できないのに刑事責任だけが追及されるということになります。これは被害者保護に資するものとは言えないのではないでしょうか。とすれば、見た目は「処罰感情に配慮した被害者保護」のためのものであっても、実質的にはポーズだけであまり意味のない安上がりの被害者対策だと思います。
 この法案が成立すれば重罰化が進み、その結果、現在も過剰拘禁になっている刑務所がさらにあふれるでしょう。そして長期間にわたって社会から隔離され、「ムショ帰り」のレッテルを貼られた人たちが、スムーズに社会に戻ることもできないまま、さらに社会への不適応や憎悪を増幅させていったとしても不思議ではありません。
 そもそも、今回の法案は、法制審議会に対する「凶悪・重大犯罪に対処するための刑事法整備に関する諮問」への答申がもとになっています。しばしば検挙率が下がったと問題視されますが、これまでまともに聞こうともしなかった被害者の訴えをともかくも警察が受け付けるようになった結果として犯罪の認知件数が増えたことが一因です。分母が急激に増えたから率が下がったのです。また、凶悪・重大犯罪が増えているのかというと、そうではありません。たとえば、殺人事件は二〇年くらい前まで減少傾向で、その後は横ばいです。しかし、殺人事件等の記事の数はこの一〇年あまりで一〇倍くらいになっているというのです。これが、最初に述べた「周りを見ると実際に犯罪が増えているわけではない、けれども、そんな気がする」を作り出しているのです。
 「治安の回復」という点数を稼ぐための安上がりの「対策」は、その根拠も効果も科学的に考えられてはいないのです。統計のマジックとマスコミのイメージが作り出した「体感治安」に惑わされてはいけません。被害者に対する経済的・精神的支援に金も人手もかけることこそが必要です。また、刑務所を出てきた人へのフォローも必要なのです。
 政府は、引き続き、逮捕・監禁罪、誘拐罪などの重罰化のための刑法改定の準備を進めています。刑法の重罰化をなし崩し的に進めさせてはなりません。
大杉光子(おおすぎ みつこ)
一九六九年生。二〇〇〇年四月、京都弁護士会登録。在日外国人「障害者」年金訴訟弁護団員。京都弁護士会人権擁護委員会、刑事委員会、子どもの権利委員会、「心神喪失者等医療観察法」対策プロジェクトチームなどで活動。