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小泉靖国訴訟―各地の第1審判決をめぐって
 二〇〇一年八月一三日、「首相靖国参拝」を公約として掲げ自民党総裁選に勝利した小泉純一郎が、内閣総理大臣の肩書付きで記名・供花をもって靖国神社に参拝し、「内閣総理大臣である小泉純一郎が心を込めて参拝した」と言明した。
 同様の行為は年に一度、四回繰り返された。
 これに対して、全国六カ所(東より、千葉・東京・大阪・松山・福岡・沖縄)で訴訟が提起された。これら訴訟の概要は、「アジェンダ」創刊号(二〇〇三年夏)で紹介している。各地で、各原告と弁護士が法律構成・立証方法に創意工夫を重ねて進めてきた、バラエティに富む訴訟であるが、去る四月二六日の東京地裁判決をもってひととおり第一審判決が出そろった(ただし、二〇〇四年元旦参拝をめぐる松山訴訟は係属中)。
 国内よりも中国他アジアからの反対が大きく報道される中、間もなく七月二六日には大阪高等裁判所で控訴審判決がトップを切って出されることになっている。ここで現段階の概略を紹介したい。
●小泉靖国訴訟の論点二つ
 小泉首相の靖国神社参拝に対する訴訟は、各地訴訟に共通して、二つの論点がある。
 一つは、「首相の靖国参拝行為が政教分離原則違反で違憲であるか否か」である。
 そしてもう一つは、「原告らは首相の靖国参拝行為によりどんな被害を被ったか」である。
 両方の論点を原告側が理論立て、立証できないと、訴訟自体は請求棄却(敗訴)となる。
 この二つ目の論点がなぜ必要なのかを少し説明したい。
 各訴訟は様々なバリエーションで請求を組み立てているが、どの訴訟も「慰謝料請求」を掲げたことは共通している。
 つまり、小泉純一郎が首相として靖国神社に参拝するというのは政教分離原則違反の違憲行為であって、著しい違法行為であり、この行為(参拝シーン)をマスコミで繰り返し見せつけられた原告らは著しい精神的苦痛を被った、だから慰謝料を請求する、という理屈である。
 もちろん、原告らはお金で「慰謝料」をもらうことを目的にしているわけではない。小泉純一郎の行為が「政教分離原則違反であって違憲」であることを公に認めさせ、およそ首相の地位にある者は首相として靖国神社を参拝しないよう、自制させることが目的である。そういう意味では、一つ目の論点が認められるだけでも訴訟目的は達成される。
 しかし、日本で裁判所を利用するには、原則として、訴える者が「訴えの利益」を有していることが必要になる。地方公共団体が政教分離原則に違反して靖国神社に玉串料を支出した場合は、例外的に「住民訴訟」という形態があってその地方の住民であるというだけで訴えることができるのだが、一国の首相に対しては、原則どおり、訴える方が何か直接に利害関係を有していることが必要になるのである。
 それで、訴訟団の中では、一つ目の論点について主に弁護士が理論的に詰めることに取り組んだ。一方、二つ目の論点は、「どんな被害を被ったのか」の理屈は弁護士と協力学者で詰め、実際の被害については原告一人一人がその被害感情を文字にまとめ、あるいは法廷で証言するという方法により具体的に立証する、という形で進めてきた。
●第一審裁判所の対応
 一つ目の論点、「首相の靖国参拝行為が政教分離原則違反で違憲であるか否か」について。この論点でさえ、裁判所の対応は分かれた。
@違憲であると言い切ったもの・・・福岡
A首相の靖国参拝行為は職務行為性があると認めたもの(違憲という言葉は入れなかった)・・・大阪(第一次)、千葉
B首相の靖国参拝行為には職務行為性がないと判断したもの・・・大阪(第二次)
C判断しなかったもの(二つ目の論点の理屈が立っていないため、一つ目の論点の判断などそもそも不要、として請求を棄却した)・・・松山、沖縄、東京
 そして、二つ目の論点、「原告らは首相の靖国参拝行為によりどんな被害を被ったか」については、結論は「原告に守られるべき法的利益はない」というところで各裁判所が一致した。原告らは確かに靖国参拝を自分が強制されたわけではないところから、難しいハードルではあった。ただし、やはり福岡地裁判決は、これについて「原告らの主張するような人格的な利益は、それがただちに法的に保護すべき利益であってその侵害が不法行為に当たるとはいえないものの、そのような利益を主張する者の立場、当該宗教的活動による影響の程度、侵害の態様いかんにより、単なる不快感、嫌悪感等の域を超え、個々人の具体的な利益を侵害されたと認められる場合には不法行為も成立し得、それによる損害の発生も観念し得るものと解するのが相当である。」という解釈を示し、場合によっては不法行為も成立するという判断をした。


靖国神社

●福岡地裁判決に対するバッシング

 上記のとおり、訴訟の二つの論点について、最もましな判断をしたのは福岡地裁判決であった。この判決のバックボーンとなっている考え方は、請求棄却の結論を記載した後の「なお書き」部分に最も明確に現れている。長くなるが引用する。
「なお、前記のとおり、当裁判所は、本判決において、本件参拝につきその違憲性を判断しながらも、結論としては、本件参拝によって原告らの法律上保護された権利ないし利益が侵害されたということはできず、不法行為は成立しないとして原告らの請求をいずれも棄却するものであり、あえて本件参拝の違憲性について判断したことに関しては異論もあり得るものとも考えられる。
 しかしながら、現行法の下においては、本件参拝のような憲法二〇条三項に反する行為がされた場合であっても、その違憲性のみを訴訟において確認し、又は行政訴訟によって是正する途もなく、原告らとしても違憲性の確認を求めるための手段としては損害賠償請求訴訟の形を借りるほかなかったものである。一方で、靖国神社への参拝に関しては、前記認定のとおり、過去を振り返れば数十年前からその合憲性について取り沙汰され、「靖国神社法案」も断念され、歴代の内閣総理大臣も慎重な検討を重ねてきたものであり、元内閣総理大臣中曽根康弘の靖国神社参拝時の訴訟においては大阪高等裁判所の判決の中で、憲法二〇条三項所定の宗教的活動に該当する疑いが強く、同条項に違反する疑いがあることも指摘され、常に国民的議論が必要であることが認識されてきた。しかるに、本件参拝は、靖国神社参拝の合憲性について十分な議論も経ないままなされ、その後も靖国神社への参拝は繰り返されてきたものである。こうした事情にかんがみるとき、裁判所が違憲性についての判断を回避すれば、今後も同様の行為が繰り返される可能性が高いというべきであり、当裁判所は、本件参拝の違憲性を判断することを自らの責務と考え、前記のとおり判示するものである。」
 福岡地裁判決は、簡単に原告らの利益侵害を否定した点は肯定できないが、総体としては原告らの目的とするところを一定掴んで、これに応えたということができるだろう。
 この判決を受けた福岡訴訟団は、控訴するかどうかをかなり議論したが、控訴をしなかった。勝った小泉と国には「控訴する利益」がないから控訴はできない。その結果、この地裁判決が確定した。福岡の原告らは、結論は敗訴でも、この判決の精神を尊重して闘いを終了させたのである。実際、控訴して高裁に行っても、これ以上の判決を出す裁判官に恵まれるとは考えにくかったと思われる。
 さて、この福岡地裁判決に対して、大阪訴訟団では諸手を挙げて支持しているわけではなく、「原告に守られるべき法的利益はない」とした判断には批判を向けている。福岡訴訟団でも、一人一人の原告について、大変なエネルギーを注いで、その被害感情を細かく書面にまとめ、証人尋問で訴えた。その被害が「利益侵害」と言えないのだろうか、ということである。
 しかし、まだしも最もましであった福岡地裁判決をした裁判長に対して、今、靖国支持側からのバッシングが凄まじい。靖国支持の学者ら、靖国支持遺族の代理人弁護士らのみならず、現役の裁判官が本まで書いて、「蛇足判決だ」と批判するのである。「蛇足判決」とは、要するに、裁判官は必要最小限のことだけ判断するべきであって、「原告に守られる法的利益がない」という結論があるならば、小泉首相の靖国参拝行為が違憲か合憲かなどという「余計な」論点に判断を加えるのは「蛇足だ」ということなのである。
 なんということだろうか。「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」と憲法でも保障されている。この裁判体(裁判官三名)の良心の発露がこの判決の「なお書き」に集約されているのだ。内容がまっとうであるだけに、「なぜ書いたのか」という批判は間抜けにしか聞こえないのだが、「書くな」「書くな」と大きな声で言われ続けて裁判官が萎縮する事態を招くのは大いに問題がある。
●法廷だけで終わらせないで!
 最後に、短く感想を述べたい。在日・在韓の原告からの被害申告を書面にまとめる機会に恵まれ、私は「一人一人が歩んできた人生」の重み、価値について身に応える思いがしてきた。自分がそこそこの年齢に来たからかも知れないが。これまでの人生があって、その上に、小泉が首相として行った言動の一つ一つが深い意味を持ってのしかかってくるのだ。
 各原告がまとめたこの被害事実、振り返った自分の生き様について、法廷に書類として出すだけでなく、身近な人に語っていってほしい。また、各原告の思いに多くの人が触れ、関心を持ってほしいと願っている。裁判官だけに見せるのではあまりに甲斐がないというものである。
大橋 さゆり(おおはし さゆり)
一九九九年四月弁護士登録。二〇〇二年九月より女性二人の「大阪ふたば法律事務所」開設。「小泉靖国参拝訴訟」では大阪と松山の訴訟代理人。ほか大阪弁護士会人権擁護委員会で野宿者や刑務所処遇問題に関わる。女性・労働・外国人問題にもとりくむ。