HOME雑誌・書籍・店舗第9号目次 > 第9号 シリーズ「「安全な社会」って何だろう」
シリーズ「「安全な社会」って何だろう〜最近の刑事立法を考える」
第六回 管理・監視システムの網の目の中で
 最近の治安関係の動きの中には、立法という手続きを経ないまま進められているものがいろいろあります(法律を作ればよいというわけではありませんが)。「体感治安」という作られた不安感に乗じて必要性や有用性ばかりが強調され、権力の恣意的な行使を制限するための条件や手続きさえも顧みられないまま進められている管理・監視システムの一端を見てみたいと思います。
 二〇〇五年一月から、外国を出発した航空機が日本に到着する前に航空会社が乗員・乗客の氏名等の情報を送信することにより、入管・税関・警察の保有する「要注意人物」リスト等との照合を自動的に行う事前旅客情報システム(APIS)が導入されています。いわゆる水際対策の一つであり、これによって航空機による入国者の早期把握が可能となるわけです。
 このシステムは二〇〇三年度予算で約二億六〇〇〇万円をかけて開発され、今のところは航空会社の「任意」参加という形をとっていますが、任意とはいっても参加せざるを得ない圧力は十分にかかるでしょう。約二〇社がすでに参加し、将来的には義務化も検討されています。
 このシステムでは、すでに同様のシステムを運用しているアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどと共通のデータ入力基準を用いることになっています。ということは、当然、情報の共有化も視野に入っているわけです。
 これ以外にも入管関係では、入管法を改定して、上陸申請時に特別永住者以外の外国人から指紋を採取してデータベースと照合することにより「要注意人物」の入国を阻止する制度の導入ももくろまれています。指紋押捺反対闘争によって外国人登録法からは撤廃された指紋制度を、今度は入管法に組み込むことを狙っているのです。
 四月二七日、漆間巌警察庁長官が被疑者のDNA型のデータベース化に踏み切る方針を明らかにしたという報道がありました。
 DNAとは、いうまでもなく人の遺伝情報が詰まったものであり、DNA鑑定は、そのDNAのうちの直接遺伝に関与しないとされる特定部分の繰り返し構造の繰り返し回数(DNA型)が人によって異なることを利用して、その特定部分を切り取って増幅しその長さを測定することによって同一性を判定するものです。DNAそのものは一卵性双生児でない限りは同じDNAを持つ人は一人だけですが、DNA鑑定はDNA全体を比較するわけではないので同じDNA型を持つ人は一人とは限りません。利用する特定部分の種類を増やすことによって、同じ組み合わせを持つ人が他にもいる確率は低くなり、二〇〇三年八月から導入されたDNA鑑定方法では、九種類の特定部分を比較することにより、同じ組み合わせを持つ人の確率は約一億八〇〇〇万人に一人とされています。しかし、これはあくまでも確率ですから、同じ組み合わせを持つ人が他にもいる可能性は否定できないのです。DNA型の一致だけで、犯人に間違いないと単純に思い込むことは危険です。
 実は、事件現場の遺留品から採取したDNA型のデータベース化というのは、すでに二〇〇四年一二月から始まっています。それはすでに発生した事件の証拠であり、そのデータベースに被疑者のDNA型を照会することによって、その被疑者の余罪探しに利用しているのです。今回方針化されたのは、将来発生する事件の捜査に利用するために過去の事件の被疑者から強制的に採取したDNA型をデータベース化するということです。なお、新しい鑑定方法はアメリカ等で行われている方法と共通するため、各国のDNAデータベースとの共同利用も技術的に可能になると言われています。
 強制的といっても一定の要件の元に裁判官の令状を得て血液採取をするのですが、その令状は、あくまでも過去に起きた具体的な犯罪の捜査のために許可されるものです。過去の犯罪捜査のために許可されたものを、まだ起きてもいない将来の犯罪の捜査に流用してもいいのかという問題が理論的にはあります。
 DNA型は遺伝情報には関係ないとされています。しかし、親子であればDNAの半分は共通するわけですから、DNA型も親子関係の判定材料にはなるようです。また、現在のところは遺伝情報に関係ないとされていますが、将来は何らかの遺伝情報が含まれていることがわかる可能性もないとは言えません。さらに問題になるのは、DNA型を検出する前のDNAサンプルをどうするのかです。DNA型は遺伝情報には関係ないとしても、DNAサンプルを残しておけば、そのサンプルから遺伝情報を得ることは可能です。遺伝情報の解析により、個人の身体的特徴や遺伝性疾患など本人も知らないかもしれない情報を含めて国家が把握することもできなくはありません。警察庁のガイドラインでは被疑者のDNAサンプルの残りは廃棄することとされてはいますが、捜査のためにより包括的に多くの情報を入手し管理したいという権力の欲求を規制しうるものなのか疑問です。
 DNA鑑定自体は、自白に頼らない犯罪立証方法として重要なものですし、アメリカでは死刑判決を受けた人がDNA鑑定によって無実であることが明らかになった例もあると聞きます。他方、イギリスでは有罪判決を受けた人や被疑者だけではなくすべての人のDNAデータベースを作るべきだという主張もされているそうです。
 二〇〇五年五月七日、被害者が一三歳未満の性犯罪に加えて、殺人、強盗など約二〇罪種で有罪判決を受けた人の出所情報が法務省から警察庁に提供されることが決まったという報道がありました。一三歳未満に対する性犯罪についてはこの六月から提供を開始し、警察庁ではその後の住所変更も追跡調査するとしています。提供される情報は、出所年月日と帰住予定地の二つとのことです。
 とりあえずは警察が監視対象として把握するということになるわけですが、二四時間監視できるわけではないので、結局は事件が起きた後に見込み捜査をするためのものになるのではないかと思います。監視され、捜査対象とされるほど、ストレスをためることにもなりかねません。
 今回は警察庁に対する情報提供ですが、議論の中では学校や地域住民にも情報提供すべきだという意見もありました。しかし、そうなるとアメリカのように、住まいも借りることができない、就職もできない、近所から出て行けと言われるということになり、却って更生を妨げ、場合によっては再犯に追いやることになってしまうと思います。
 再犯を防ぐという観点から考えれば、刑務所での教育の方がよほど大切だと思います。法務省もそれは考えているようですが、本当に効果的な方法を真剣に考えるべきだろうと思います。
 犯罪はできる限り防がれるべきです。犯人はすみやかに処罰されるべきです。しかし間違って処罰されることがあってはなりませんし、刑に服して定められた責任を果たした後までも不利益を受けるいわれはないはずです。
 私たちの生きるこの社会は、警察等の権力が拡大され、管理・監視システムの網の目がますます張り巡らされつつあります。これらの管理・監視システムのなし崩し的な広がりを、逆に監視していかなければならないでしょう。
大杉光子(おおすぎ みつこ)
一九六九年生。二〇〇〇年四月、京都弁護士会登録。在日外国人「障害者」年金訴訟、在日韓国・朝鮮人高齢者年金訴訟弁護団員。京都弁護士会人権擁護委員会、刑事委員会、子どもの権利委員会、「心神喪失者等医療観察法」対策プロジェクトチームなどで活動。