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チリ 新憲法案を否決

(1)新憲法案は承認されず

 9月4日、新しい憲法案の是非に対する国民投票が行われ、「拒否」が多数(6割超)を占めて否決されました。国民投票の結果は以下のとおりです。

「承認」:486万93票(38.14%) 「拒否」:788万2958票(61.86%) ※開票率:99.99%
投票数: 1302万1063票(投票率:有権者の85.81%)
有効票数:1274万3051票(97.86%)
無効票数:20万722票(1.54%)
白票数:7万7290票(0.59%)

今回の投票は義務制であったため、高い投票率を記録しました。
地域別での結果を見ると、すべての州で「拒否」が「承認」を上回っています(表参照)

州別の結果(%) (チリ選挙管理委員会のサイトより)

全346のコムーナ(最小の行政単位)のうち、「承認」が「拒否」を上回ったのは8つだけでした。

各国からの海外投票では、「承認」(60.92%)が「拒否」(39.08%)を上回りました。
日本からの投票は、「承認」が120票(67.04%)、「拒否」が59票(32.96%)でした。

この結果により、現行憲法が引き続き効力を持つことになります。

(2)国民は憲法改正を望みながら、なぜ新憲法案を拒否したのか

 2020年10月に行われた国民投票では、投票した人の約80%が、選挙で選ばれた制憲議会による憲法改正を望みました。それにもかかわらず、なぜ今回は新しく起草された憲法案を拒否したのでしょうか。

 結果として現行憲法が引き続き有効となり、憲法は改正されないので、それが「パラドックス」に見えるとBBCの記事(「『拒否』の勝利 チリの(見かけ上の)パラドックス」2022年9月5日付)は指摘しています。

 では、なにがこの結果をもたらしたのか、上記の記事を参照してまとめてみます。記事では3つの要因を取り上げています。

①憲法改正の別の選択肢

 新しい憲法案について、与党勢力は「承認」を後押しし、野党勢力は「拒否」を推進していましたが、国民投票の数日前には、両陣営とも、今回の国民投票の結果に関係なく、憲法改正プロセスを継続することを約束していました。

 これは、「拒否」という結果になったとしても、それが憲法改正そのものへの反対ではなくて、今回の改正案だから反対している可能性が十分にあると理解していたことを意味しています。

 野党勢力は、すでに今回の憲法案との違いとして、国家の性格を「社会的な法治国家」と規定すること(新憲法案では「社会的・民主的な法治国家」と規定)、新しく提案されていた地方院(上院は廃止)ではなく現在の上院を維持すること、先住民族の権利を認める「多民族国家」という規定を「多文化国家」にすることなどを提案しています。

 さらに8月には国会(上下院)で、新しい憲法案が承認されなかった場合を見越して、現憲法の条項を修正・廃止するのに必要とされる議席数を引き下げる法案を可決しました(必要な議席数は3分の2から7分の4へ変更)。

 その法律(憲法組織法)では「新しい憲法案が国民に承認されなかった場合、憲法改正プロセスを継続するために必要な多数を構成するのを容易にすることになる」と規定されています。

 ボリッチ大統領も、国民投票の前(8月末)に、新憲法案が否決となった場合は新しく憲法改正の手続きを開始する考えをメディアで明らかにしていました。

「私にとって現在問題なのは、否決が勝った場合に再び最初に戻って、新たな憲法改正プロセスを開始しなければならないかどうかである。」

 事前の世論調査などによって、国民投票の実施前から今回の憲法案が否決される可能性が高いことが想定されており、「プランB」に向けての駆け引きがすでに進行していたことがわかります。

②憲法草案に対する批判

 海外などでは、その革新的な内容が評価されていた今回の憲法案でしたが、国内では様々な批判や疑問が表明されていました。

 その一つが、「多民族国家」の規定についてです。草案では「国の一体性」を強調していましたが、先住民族の領土自治区の承認などが「国の統一を損なう」、先住民族を「特権的な集団」と関連づけて、「法の下の平等に反する」などの意見が「拒否」を訴えるグループから出されていました。

 また「承認」を支持する人たちからは、草案テキストを広く普及させたり、草案を読む必要性などが訴えられていましたが、SNSなどを通じて誤った情報が広まるなど有権者の間で草案の内容に対する疑問などが広がっていったことが言われています(右派によるメディア戦略が一定の「効果」を持ったことが他の分析でも指摘されています)。

③制憲議会の評価

 マイナス面として、制憲議会内で行われた議論やその仕事を市民に伝えることの難しさなどによって、次第に市民と制憲議会の間の溝が大きくなっていったことを挙げています。とくに最初の数か月は議会の規則に関する議論に時間が費やされました。

 ある世論調査でも、国民投票で「拒否」に投票する理由の多くが、制憲議会に対する批判的な評価に関連していることが示されていました。

 社会運動の高まりによって作られた制憲議会と市民社会との関係が、時間の経過とともに次第に疎遠になっていったことがその背景にあると考えられます。

(3)今後の想定されるシナリオ

 別のBBCの記事(「チリでの『拒否』の勝利:可能性のある4つのシナリオ」9月5日付)では、今後の見通しについて、可能性の高い4つのシナリオを挙げています。

①新たな制憲議会の制定。ボリッチ大統領が支持するシナリオ

 先にも述べましたが、ボリッチ大統領は、「拒否」が勝った場合、別の草案を起草するための新しい制憲議会を立ち上げていく考えを明らかにしていました。

 2020年10月の国民投票(この時は憲法改正を行うか否かを問うたもの)では、投票した人の約80%が憲法を改正すること、選挙による制憲議会で草案を起草することに賛成しました。

 ですので、今回の草案が否決されても、制憲議会には合法性(正当性)があると考えられています。しかし、大差がついての否決によって、そうしたシナリオがスムーズに通るかどうかは不透明になったとも伝えています。つまり、再び新しい憲法案を作成するというこのシナリオにはそれなりの紆余曲折が予想されます。

 単純に考えてみても、再度議員を選出し、草案作成のための議論をやり直すのに、それを支持する民衆の熱意が高まるのかどうかは簡単なことではないと言えます。

 また、大統領が新しい制憲議会を招集するには議会の承認が必要ですが、与野党ともそれを進めるのに十分な議席を持っていないため、事前に何らかの合意を取り付ける必要があり、国会の協力が欠かせません。

 ボリッチ大統領もそのことがわかっているため、「国会が大きな主役を担う必要があるだろう」と述べています。

②専門家委員会による改憲

 今後の事態の打開についてメディアなどで意見表明されていることの一つに、専門家委員会の設置があります。これは、新たな制憲議会の選挙や議論のやり直しを回避して、委員会が新しい憲法草案の起草を担うとするものです。

 今回の憲法草案が多くのチリ国民が期待していたものとはならなかったことから、政治や学術分野からそれにふさわしい人物に担ってもらう方がいいと考える人たちが出てきています。

 これによって、今回否決された憲法案の条項のうち、「多民族国家」の規定など、大きな議論を呼んだ条項について何らかの変更や制限がかかることが十分予想されます。

 事実、ボリッチ大統領自身が今回の憲法案が承認されたとしてもその後、何らかの修正が必要と約束していたほどで、左派の中でも憂慮せざるをえない事態になっていました。

 ただし当然のことですが、少数の専門家グループによるシナリオが、すべての人を納得させるわけではないですし、こうした専門家委員会の設置が、制憲議会の設置による憲法改正という国民の選択とは正反対の道のりでもあり、その実現は疑問視されていることも記事は伝えています。

③1980年憲法の部分的改正

 いずれにしても事態を打開する上で主導的な役割を担うのが国会になります。与野党間、左派・右派(中道派も含めて)の間での意見の相違が埋まらない場合、現憲法の部分的な改正を求めることが選択される可能性もあります。

 チリの歴史では、リカルド・ラゴス大統領時代の2005年の憲法改正がそれに相当すると言われています。この時ラゴス大統領は、「権威主義の遺産(enclaves autoritarios)」と呼ばれた、軍や軍政支持者の権益擁護を目的とした一連の憲法条項を廃止するために、議会の野党勢力と交渉・修正を重ねて、憲法改正法案の成立に必要な議席数を確保してこれを実現しました。

 ただこれについても、必要な議席数を確保するために何をどう修正するかについての合意を得ることが左派内部でも簡単ではないこと、さらには右派との間ではさらに困難な仕事になることが指摘されています。

 また、国民投票で多くの国民が、現憲法の改正ではなく、あくまで新しい憲法の制定を望んでいることも考慮する必要があります。

④すべてが同じまま

 新しい憲法の実現は、ボリッチ氏を大統領に押し上げた旗(公約)の1つでしたが、今回の大差での否決は政権にとって大きな打撃となりました。この以前から大統領の支持率も低下しています。

 しかも、上がり続ける物価高や、犯罪の増加、南部地域(ラ・アラウカニア)での先住民族との領土紛争などの問題が山積しており、政策課題としての憲法改正の順位が低下して後回しにされる可能性も指摘されています。

 右派政党の中には、否決されたことで新しい憲法の必要性を問題にしない勢力も存在しています。特に大統領選挙でボリッチ大統領のライバル候補であったホセ・アントニオ・カスト氏の共和党は、1980年憲法の維持を望んでいると言われています。

 とはいえ、反対票を投じた人でも新しい憲法を望んでいるという世論調査もあるように、どの政党も現在の憲法をそのまま維持することをはっきりと打ち出すことはできないというのが実際のところです。

 専門家も言うように、「拒否」が勝ったことで、今後の憲法改正プロセスの不透明さが深まり、さらに長引くことになったことだけがはっきりしたように見えます。

 この行き詰った状況を新たに切り開くのは、今回の憲法改正プロセスのきっかけとなった、新たな民衆の社会運動の進展でしかないのかもしれません。

 次回の配信記事では、チリの左派の立場から今回の「否決」という事態をどう見るのかについて少しまとめてみたいと思います。

2022年9月13日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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