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チリ 新憲法案否認についての左派の見方

 9月4日、新しい憲法案の是非に対する国民投票が行われ、反対多数で否認されたこと、予想される今後の展開などについて、前回の配信記事でお伝えしました。

 今回は、この結果を左派の立場からどう見るかについて、下記の文書を参照しながら考えてみたいと思います。

「驚くべき結果:広範な多数により否認が勝利した。」マリオ・ガルセス・デュラン(チリ・カトリック大学所属の歴史学者、ECO運営スタッフ。※ECOは教育とコミュニケーションについての専門家団体)2022年9月5日執筆、9月8日公表。 

(1)チリ共産党の対応

 その前に、承認派の1つであったチリ共産党の発言を紹介しておきます。

 ギジェルモ・テイリエル(Guillermo Teillier)共産党議長(下院議員)は、9月5日、国民投票後の大きな課題は、進歩的で革新的な新しい憲法のための闘いを継続することであるとコメントしました。

 9月10日には党の中央委員会が行われ、国民投票と憲法改正に関する見通しについてコメントしています。

「いかなる面においても敗北主義は存在せず、今すぐ新しい憲法のための闘いを引き続き進めていく必要がある」と述べています。

 さらに議長は、右派が憲法改正プロセスについて合意するかどうかが一番懸念されることであり、そうならなかった場合、我々は複雑な政治的危機に陥ることになるだろうと指摘しました。

 共産党の立場として、新しい制憲議会をこれまでと同じ形で設置して草案を作り直すことに変わりはないと強調しています。右派が主張する専門家委員会による憲法草案の起草については否定的な見解を示しています。

(2)今回の結果に対する分析

 マリオ・ガルセル氏は、文章の初めに「私が強調したいのは、否認についてのデータがたくさんあったにもかかわらず、私は承認が勝つだろうと思っていたことです。」と率直に述べています。その上で、逆の結果になった要因について考察しています。

①制憲議会と市民社会(民衆)との関係

 制憲議会については、この機関が「代表制」であるがゆえの問題点を持っていたことを挙げています。つまり「直接的な人民主権の行使」との乖離が存在していたということです。

 具体的には、議会が運営規則などを決めるのに最初の数か月間を費やしたこと(内向きの議論)や、民衆との乖離を埋めるための方策の導入(公聴会の実施、無効にするための国民投票、規則についての民衆からの発案など)が弱かった点を挙げています。

 その上で、制憲議会に対する「活発な民衆の支持とその基盤」、制憲議会を支えるために民衆との密接な関係をつくることの必要性を訴えています。これらは「代表制」がつねに抱える原理的な問題とも言えます。

 その一方で、個々バラバラの民衆が継続して「どのようにして集団的な政治的主体になるのか?」という民衆の側の課題についても問題提起をしています。

 2019年10月の大規模な民衆叛乱から今回の国民投票の実施までに3年近くの歳月が経過しています。その間にコロナ禍、昨今の物価高といった生活に直結する問題があり、憲法改正のための国民投票、制憲議会の代議員選挙、大統領選挙などの投票行動が立て続けにあり、重要とは言え、憲法改正だけに関心を持続することが難しい状況にあったと見ることができます。

②右派による情報操作(フェイクニュースなど)とチリ国民の保守的心情

 次に、資金力などで上回る反民主主義的な右派勢力がメディアの利用に関して優位にあった点を挙げています。(注:この点については、否認派がキャンペーンのために集めたお金は、承認派より約200倍も多かったことが7月の時点で報道されていました。)

 そして否認派のキャンペーンの多くは、様々なウソと操作(ごまかし)に基づいていたと批判しています。

 住宅について「セカンドハウスを持っていたら接収される可能性がある」とか、「女性は妊娠9か月まで中絶することができる」、「マプーチェ族はチリ人よりも上級の一等市民となる。さらに国が分割される可能性がある」などが、その代表例です。

 一般的には、「財産権が脅かされる」「(教育や医療などの分野で)選択の自由がなくなる」というタイプのウソが流布されていました。

 その上で、「なぜこれらのウソや情報操作がうまく機能したのか」が根本的な問題であるとも述べています。その理由は1つではなく様々な要因が考えられますが、イデオロギー的な問題として、「(かつてのような)共産主義に対する恐怖」、「新自由主義による文化的(心理的)影響」を指摘しています。

 「財産権の侵害」は、「国家による接収」というかつての社会主義の姿や「(持たない者としての)貧者の夢による介入」としてイメージ化され、それに対する「恐れ」が喚起されたといった具合です。

 「選択の自由」は、新自由主義のイデオロギーそのものであり、個人主義的な心情に訴えるものです。

 その他にも、マプーチェ族を始めとする先住民族や移民に対するレイシズム、国家の統一を強調するナショナリズムなど、一連の背景にあるのは「保守主義的な心情」です。

 このようなチリ国民の保守主義的な心情を背景にして、新しい憲法案が「すべてのことを一度に欲する過激主義」とレッテル貼りされて攻撃されたと説明しています。

 今回否認された憲法案をめぐっては、否認派の中でも現在の憲法がいいという人は少数であり、承認派の中でも今回の憲法案のままでいいという人が少数であることが事前の世論調査などで明らかになっていました。

 今回の憲法案で示された内容と、承認派・否認派を含めたチリの人々との間に「ギャップ」があったことが、①と②の分析の根拠になっていると考えられます。

③左派のユーフォリア(多幸感)

 次に、左派の問題についてです。チリの左派は、すべてがうまくいっている時はつねに多幸感と勝利主義に罹り、その後、様々な問題で紛糾して望んだように事態が進まなくなると、悲観主義と集団的な憂鬱(落ち込み)に陥ると指摘しています。

 これに加えて、世代間の軋轢も取り上げています。闘争の第一線から退いて若い世代に席を譲るのを拒否する古い世代がいる一方で、あらゆる問題に対して答えを持っていると知ったかぶりをする早熟な若者たちがいると述べています。

 多幸感や勝利主義に罹った事例として、2019 年の大規模な民衆叛乱や、2021年の制憲議会選挙で左派・リベラル派が多数派となったことなどを挙げています。そこに一種の「油断」があったと言えるのかもしれません。(注:1つの比較として、1970 年9月4日にサルバドール・アジェンデ氏が大統領選で勝利した時の得票率が36.6 パーセントでした。過半数に届かなかったため議会投票で決定。このように歴史的な左派の得票率はだいたい30%台後半であって傾向的に多数派というわけではないこと、今回の承認派のそれも同様であったことが指摘されています)

 ガルセス氏は、これと連動して、数十年前からチリの左派には「戦略的見通し」が欠けていることを挙げています。「戦略的見通し」というのは、左派の運動の根拠となる価値観や原則(例えば、社会的平等や人民主権など)だけでなく、「資本主義に対するオルタナティブ」を含むものだと言います。

 つまり、新自由主義的資本主義に代わる新しい社会のビジョンを人々の前に説得的に提示できていないことを問題視しています。この点については、チリだけでなく、ラテンアメリカを含めたグローバルなレベルでの再構築が必要であり、さらなる検討が求められます。

(3)今後の展開について

 ここからは、今後の展開に関する問題です。

④もう一回元に戻るのか?:政党の復権か? 無所属派の終わり? 社会運動の後退か?

 新憲法案の否認がもたらす今後の政治的影響として、再び政党がリーダーシップを取り戻すことになると述べています。

 事の始まりであった2019年の民衆叛乱は、これまでの新自由主義的な内容を引き継ぐ国家体制と政党政治に反対するものでした。制憲議会の代議員も既存政党所属よりも無所属派が影響力を持っていました。ですので、これは既存の秩序への逆戻りを意味することになります。

 事態を動かすために、政党が主導権を持って、中庸的な内容による何らかのコンセンサスを作ることが想定されています。それは、変化を生み出すことよりも容易なことだと言います。

 それとともに、社会に変化をもたらす原動力となってきた新しい社会運動、特にフェミニズム、先住民の権利擁護、環境保護運動などの進展に対して「否定的な影響」を与えることになるだろうと指摘しています。

⑤「新しい共通認識」を生み出すことができていない

 ④で述べたような社会運動の進展が、新しい憲法案を生み出した原動力となってきたことは言うまでもないのですが、その一方で、否認派が勝利したことで、これらの運動が提起してきた内容とその根拠となる「新しい知」が、まだ社会の「新しい共通認識」にまでなっていないことが明らかになったと述べています。

 「新しい知」とは、例えば、フェミニズム、脱植民地主義、様々な観点のエコロジーおよび環境保護などです。しかもそれが社会の中で循環し成長することで、政治的変化の土台となる文化的変化が準備されると説明しています。

 それは一種の「予言的な意味合い」(将来社会に対する変化を予示する)をもった活動を展開することで、様々な主体の間で、新しいコミュニケーション、新しいアプローチ、新しい考え方をもたらすだけでなく、新しい社会的実践をも刺激すると指摘しています。

 「人間が立ちむかうのはいつも自分が解決できる課題だけである。」というカール・マルクス(『経済学批判』序言 岩波文庫)の言葉を引用しながら、限界を持ちつつもすでにそうした事態が芽生え、発展してきているとガルセス氏は述べています。

⑥ボリッチ大統領の今後の対応は?

 否認派の勝利は、当然、憲法改正を支持してきた若いボリッチ政権にとって大きな打撃となったことは言うまでもありません。とくに就任以降、支持率を落としてきている中にあって、今回の国民投票の結果はその傾向を後押しするものとなっています。

 実際、世論調査で否認派が勝利する可能性が強まる中、ボリッチ大統領は、9月4日以前から「新しい憲法改正プロセス」を始める可能性について言及していました。

 これについてはまだ確定的ではないものの、右派からも左派からも幅広いコンセンサスができるような新しい憲法案を起草する可能性について、その方向で政党間での合意が図られようとしていると述べています。

(4)最後に

 ガルセル氏は、このテキストの途中で、次のようなある若いカップルの会話(9月5日朝、サンティアゴの地下鉄で)を紹介しています。

「くそったれな国だ…20年も後戻りしたと感じる」

 この言葉が、チリ社会の現状を端的に表現していると言えるのかもしれません。そして新しい希望はそこからしか生まれてこないのだろうということも。新しい憲法、新しい社会を生み出す闘いはまだまだ続いていきます。

2022年9月28日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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