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ブラジル 大統領選と民主主義の再生

はじめに

 ブラジルの大統領選挙は、10月30日に上位2名による決戦投票が行われ、左派・労働者党(PT)のルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバ候補(77歳)が、現職で右派・自由党(PL)のジャイル・ボルソナーロ候補(67歳)を僅差(1・8ポイント差)で破って勝利しました。

(1)大統領選の結果

 開票結果は次のとおりです(高等選挙裁判所(TSE)のデータ)。投票率は79・4%。

①ルーラ候補、得票率50・9%(6034万5999票)
②ボルソナーロ候補、得票率49・1%(5820万6354票)

 地域別の得票状況を見ると、ルーラ氏は、出身地域でもあり貧困層が多い北東部で票を得ています。

 11名の候補者で争われた10月2日の1回目の選挙(投票率79・1%)では、ルーラ候補が得票率48・4%(1位)、ボルソナーロ候補が43・2%(2位)でした(どの候補も過半数を獲得できなかったため、前述の決選投票に持ち越し)。

 勝利結果が公表されたのち、ルーラ氏は、ツイッターに、ブラジル国旗に自身の左手を載せた画像とともに「デモクラシア(民主主義)」のメッセージを投稿しました。

 ルーラ新政権は来年1月1日に発足します。任期は26年までの4年です。

(2)大統領選出馬までの道のり

 2003年から10年までの2期8年間、大統領を務めた経験を持つルーラ氏が3回目の大統領となるまでの道のりは、自身にとっても、ブラジルの民主主義にとっても平坦ではなかったと左派系のメディアは報じています。

 2016年、ルーラ氏は国営石油会社ペトロブラス絡みの汚職事件への関与(収賄とマネーロンダリング)を疑われ起訴されました。17年に1・2審とも有罪判決となり、18年に収監されました(収監から580日後に釈放)。法律の規定により被選挙権を失ったため、同年10月の大統領選に立候補できませんでした。

 しかし2021年3月8日、エジソン・ファキン判事がルーラ氏の汚職事件に関する1審と2審の有罪判決を無効とする判断を下し、再審理となりました(取り消し理由は、事件との関連で裁判を行った管轄地域が不適切であったため)。

 同年4月に連邦最高裁(STE)がルーラ氏の被選挙権を認める決定を下したことで、今回の大統領選に立候補することが可能となったのです。但し、汚職事件は再審理のため、無罪にはなっていません。

(3)選挙の争点と主な政策について

 今回の大統領選の争点の1つは、ポストコロナの経済と社会の立て直しをどう実現するか、でした。

 結果が公表されたのち、ルーラ氏はサンパウロ市で最初の演説を行いました。そこでも国内の分断の克服と、国の再建、とりわけ貧困との厳しい闘いの必要性を訴えています。

「私たちの闘いは選挙で始まり終わるものではない。 すべてのブラジル人が働き、学び、食べることができるという、公正な国を求める私たちの闘いは、私たちの残りの人生のために続くだろう。ブラジルは私の大義であり、その人民も私の大義である。貧困との闘いこそが命が尽きるまで生きるための理由である。」と述べ、最優先の課題は、飢餓を終わらせることだと繰り返し訴えました。

「2023年1月1日から、私に投票した人たちだけでなく、2億1500万のブラジル人のために政治を行う。ブラジルは2つではない。 私たちは1つのブラジル、1つの国民、1つの偉大な祖国である。」と呼びかけました。

 さらに「家族を再び1つにし、憎しみの許しがたい蔓延によって壊れた絆を作り直す時だ。分断された国に生きることを誰も望んでいない。」と訴えました。

「ブラジルはこれ以上、底なしの巨大な穴、国を分断する見えない不平等とコンクリートの壁とは共存できない。この国は自らを認識し、再発見する必要がある。」と、対立と分断に終止符を打つ必要があるとも述べています。

 ルーラ氏が掲げる新しいブラジルのイメージは「平和、民主主義、チャンスのあるブラジル」です。

 そのために、「ブラジル、世界、人類の主要な問題は、腕ずくではなく、対話によって解決できると信じている。」と言うように、「対話の回復」を強調しています。

 今回の勝利の要因は、「壮大な民主主義運動の勝利」であり、「(その運動は)民主主義が勝者となるために、政党、個人的利害、イデオロギーを超えて形作られた」と説明しています。

 その民主主義とは、「ブラジル人民がよく生き、よく食べ、よく暮らしたいと思うこと」であり、「インフレを上回って常に調整された公正な給与を伴う雇用と質の高い公共政策」のことだとも述べています。

 つまり「法律に書かれたきれいな言葉としてだけではなく、私たちが日々作り出せる、実感できるような何かでもある」、それを「リアルで、具体的な民主主義」と名づけ、「私たちの政府は日々それを作りだしていく」ことを約束しました。

 飢餓の現状に対しては、「私たちは、この国の何百万人もの男性、女性、子どもたちが食べられないでいること、カロリーやタンパク質の摂取量が少ないことを普通のこととして受け入れることはできない。」との認識を示した上で、経済の役割について次のように述べています。

「すべてのブラジル人の間で経済成長を分かち合う、不平等を永続させるためではなく、すべての人の生活を良くするための手段として経済は機能しなければならないからである。」として、食料生産では中小規模の農業生産者への支援、それ以外の分野でも潜在的な創造性を引き出すために零細・小企業に対してできるだけインセンティブを与えることを約束しています。

 また社会的な差別の克服としては、女性に対する暴力と闘うこと、同じ職務での男女同一賃金のための政策を強化する、レイシズム・偏見・差別に反対して不断に取り組んでいくことを約束しました。

 国際関係の分野では、公正な貿易関係に基づいたパートナーシップの再構築、世界的な気候危機に対して積極的に取り組む姿勢を示しています。

 国際的な経済関係では、「より公正な国際貿易」を望むとして、「永久に一次産品の輸出国としての役割をブラジルに負わせるような貿易協定には関心がない。」と主張しました。

 気候危機への取り組みとしては、特に「アマゾン熱帯雨林の保護」を訴えています。気候変動の原因となるガスの排出を大幅に削減するために「アマゾンの森林伐採ゼロ」を掲げています。そのために、違法伐採・採掘などに対する監視・警備を再開するとしています。

 最近の研究では、森林破壊によってこの地域がCO2の排出源になっていると言われています。

 すでに選挙公約としては、「ブラジルの再建と変革プログラムの指針 2023―2026」を公表(全121項目)しています。その中身は、飢餓・貧困対策、労働法の改正、エネルギー・気候変動対策、国営企業の民営化反対など多岐に及びます。決選投票前の10月27日には「明日のブラジルへの手紙」という政策文書を改めて出しました。

 そこに記された飢餓・貧困対策では、最低賃金の引き上げ(インフレ率以上)を実現し購買力の回復を図る、質の良い食料の増産、貧困層向けの雇用創出などの必要性を訴えています。産業政策では、デジタルとグリーンエコノミーへの移行の促進(知識経済へ向けた戦略)を掲げています。

 かつて実施した「ボルサ・ファミリア」(低所得層向け現金給付プログラム)については拡充するとしています。具体的には1世帯当たり月額600レアル(約1万7400円)と6歳未満の子供1人当たり150レアルの支給を考えています。

 ブラジルの飢餓の問題は深刻で、あるデータによると今年の飢餓人口は3310万人(人口比15・5%)、この2年で倍近くに増加しています。失業率も低下しているとは言え、8・7%に達しています。いずれにせよ財源の確保が課題となります。

(4)ボルソナーロ陣営の対応と今後の動向

 敗れたボルソナーロ大統領は、選挙直後に正式に敗北を認めるコメントは出さずに沈黙を守りました。2日後になって「憲法のすべての戒律は尊重する」との発言を行いました。

 一方、ボルソナーロ氏の支持者たち(主にトラック運転手)は、選挙の不当性を訴えて幹線道路を封鎖(全国20州以上で230カ所超の封鎖)し、軍の介入を要求し始めました。

 この道路封鎖についてボルソナーロ大統領は、不当だとする感情に理解を示しながらも、「合法的な」抗議方法ではないとして、他の形で行うように促しました。政権の移行作業については同意し、政権移行チームが立ち上がっています。

 連邦最高裁は封鎖解除の決定を下し、連邦高速道路警察(PRF)が解除に動きました(次第に減少)。

 大統領選とともに行われた議会選挙(総議席、上院は81、下院は513)では、自由党が議席を伸ばして上院14、下院99の第1党となりました。ブラジル議会は多党制なので、他の保守政党との連携次第で過半数を得る可能性があります。

 一方、労働者党は上下両院とも少数議席(上院9、下院68)です。

 このように立法府との関係で見ると、新政権の船出は決して安定優位が確保されているわけではなく、十分に困難が予想されています。

2022年10月22日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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