このテーマについては、今年1月にアップした記事に書きましたが、今回はその続きになります。
(1)目玉法案の成立
6月28日(金)、国家改革「一括法案」の修正案(法案名称は「アルゼンチンの自由のための出発点と根拠法」。以下「根拠法」)が下院で可決、成立しました(上院では6月13日に可決済み)。
これが昨年12月にミレイ政権が発足してから初めて成立させた法律となります。
この法案が最初に国会に提出されたのが昨年12月27日でした。その後、野党との協議で「修正」された法案が下院で審議入りしましたが、法案の主要な条文が否決されたため、政府は法案を撤回して一旦は白紙に戻されました。
新しく修正された法案が再提出され、4月30日(火)に下院で可決されました。その後、上院ではさらに修正された法案が6月13日(木)に可決されました。
上院では賛成と反対が36票ずつの同数でしたが、上院議長(ビクトリア・ビジャルエル副大統領)が賛成票を投じてかろうじて可決となっています。
上院では修正された法案が可決されたため、再度下院に送られて審議されたのち、ようやく6月28日に可決・成立に至りました(賛成票147票、反対票107票)。
当初、664あった条文は最終的には238条に削減されています。もともと一体だった税制改革に関する条文は切り離されて、「税制改革」法案として別途提出されました(4月中旬に提出、根拠法と同じく6月28日に可決・成立)。
(2)成立した「根拠法」の主な中身
BBCの配信記事(2024年6月13日公表、28日更新)を参考にしてまとめてみます。なお、ここでは「雇用」に関する部分は省略しています。「税制改革」についても別の機会に取り上げたいと思います。
①非常事態:政府に立法権限の付与
根拠法の最も重要なポイントの1つは、「行政、経済、財政、エネルギー分野における公的非常事態」を宣言し(第1条)、行政権力に1年間の特別な権限を与えるというものです(憲法76条に基づく権限)。
これによって、ミレイ大統領は2025年半ばまでの間、立法権限を持つことが可能となり、先の分野については立法府を通さずに政令によって立法措置をとれるようになりました。
但し、今回の法案の承認を得るために、一定の制限を受け入れています。例えば行政改革について、公的機関を再編するために解散を含めた権限が政府に認められていますが、その中でいくつかの公的機関については、介入したり解散させたりはできないことが確約されています(国立大学、司法機関、立法機関、憲法上の独立組織である公共省など)。
それ以外にも、軍事独裁政権下で誘拐されて他人に養育された子どもたちの親子関係を特定するために行方不明者の情報を保管する国立遺伝子データバンク(BNDG)や、国家農畜産品衛生管理機構(SENASA)、国立工業技術院(INTI)などが、介入や解散の対象から除外されています。
また、政令による立法権の行使と結果については、毎月議会に詳細を報告することになっています。
②国有企業の民営化
根拠法の成立により、政府は一部の国有企業を売却することが可能となります。政府の当初案とは違って、すべての国有企業が民営化の対象になるわけではありません。
今回可決した根拠法の付属文書Ⅰに民営化が明記されている企業は、インテルカーゴ(空港グランドハンドリング事業)と、エネルヒア・アルヘンティーナ(炭化水素の探査・開発)の2つです。
また法律の条文に「民営化の対象」と明記されているのが、アルゼンチン原子力発電 (NASA)と、リオ・トゥルビオ炭鉱(YCRT)です。
それ以外に、同じく付属文書Ⅰに「民営化/コンセッション」の対象として名前があげられているのが以下の4つです。
アルゼンチン国営水道会社(AySA)、ベルグラーノ貨物物流(鉄道貨物輸送)、オペラドーラ・フェロビアリア(鉄道旅客輸送)、コレドーレス・ビアレス(高速道路、幹線道路の運営)
一方で、国営石油会社YPF、アルゼンチン航空(2008年に再国営化)、公共メディアであるアルゼンチン・ラジオ・テレビなどは民営化の対象から外されることになりました。
③大規模投資奨励制度 (RIGI)の創設
RIGI は、国内外を問わず、アルゼンチンへの大規模投資を長期的に促進するための制度です。
2億ドルを超える投資に対して、税金、関税、為替規制上の優遇措置を30年間にわたって提供するとしています。
また、法的安定を保障し、国や地方自治体などがRIGIの条文内容を制限したり妨害したりなどすれば、それは完全に無効になるとの規定を盛り込んでいます。
対象となるのは、エネルギー、林業、鉱業(リチウム採掘を含む)、観光業、インフラ、テクノロジー、製鉄、石油・ガスの8業種で、国の発展にとって戦略的と考えられる分野です。投資額の20%相当を地場のサプライヤーに発注することが義務付けられています。
政府は、RIGIについて、アルゼンチン経済を活性化する資本を呼び込むための重要なツールであると考えています。
恒常的な経済危機と債務不履行によって、アルゼンチン経済は投資家からの信用を得られてこなかったことから、投資を引きつけるには特別なインセンティブが必要であるとしています。
しかしRIGIについては、大企業、とくに多国籍企業に大きな利益をもたらし、現在雇用の70%を生み出しているアルゼンチンの中小企業に損害を与えることになるとの批判的な意見が出されています。
左派のクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル元大統領は、RIGIは外国企業の手によるアルゼンチンの自然資源の開発をもたらし、「付加価値のない採掘主義経済」を作り出し、「21世紀版の植民地主義」を確立することになると警告しています。またそれにより失業が深刻化することも指摘しています。
(3)最近の経済状況
このように、内容的に大幅な譲歩を余儀なくされたものの、ミレイ大統領による新自由主義改革は目玉となる法律ができたことによって、「新たなステージ」を迎えたと言われています。
ここでは政権が発足して以降、アルゼンチン経済の状況がどう変化しているのか、いくつかの数字を取り上げて概観してみたいと思います。
まず財政赤字の削減についてです。財政収支は今年1月から黒字に転じ、今年3月には約2766億ペソの財政黒字を達成しました(6月まで連続で黒字を記録)。四半期ベースでの黒字は実に2008年以来のことです。
続いてインフレについてです。今年7月の消費者物価指数(CPI)上昇率は、前月比4.0%増(全国平均値)でした。
前月比の伸び率については、ミレイ政権が誕生した昨年12月の上昇率は25.5%でしたが、今年に入ってから減速(6月を除く)を続けています。
しかし年率換算では263.4%増、今年1月から7月までの累計では87%増です。このようにインフレ率は抑制されているとは言え、高止まり傾向にあると言えます。
政策金利を見ると、ミレイ政権発足時は133%であったのが5月には40%にまで引き下げられています。しかしながら、実質金利は依然として大幅なマイナスであり、これでは投資が進まないのも当然と言えます。
物価高と高金利の共存が依然として経済活動の重荷になっていることが経済成長率にも表れています。
経済成長率については、今年第1四半期(1月~3月)の実質GDP成長率は前年同期比マイナス5.2%を記録しました。第2四半期(4月~6月)はマイナス幅が縮まったものの、マイナス1.7%でした。これで政権発足以後、2期連続のマイナスで、改善傾向が見られるとは言え、景気の悪化が継続していることが見て取れます。
最近のマイナス要因としては緊縮財政による国内需要の縮小、それに伴う消費の落ち込みや生産活動の低下が指摘されています。業種では建設業がマイナス22%、製造業がマイナス17.4%となっています(前年同期比)。輸出はプラス31.4%ですが、輸入はマイナス22.5%を記録しています(前年同期比)。
完全失業率については、今年第1四半期で7.7%、前期比(23年10月~12月)で2.0ポイント増加しています。この数字については、大幅な悪化ではなかったという見方もあるようですが、景気悪化による失業率の上昇には今後も留意する必要があります。
こうした経済状況の悪化に伴って、貧困が広がっています。アルゼンチンカトリック大学(UCA)所属機関によると、今年前半期に人口の半分以上(52%)が貧困状態にあり、17.9%が極貧状態にあるとの推計値が公表されています。
これは2004年以来最も高い数値です。これらの家庭では、基本的な食糧品類をカバーするのに十分な所得がないことを意味しています。
貧困が広がっている要因として、経済のインフォーマル部門(法的な保護下にない職種)での働き口が減っていること、民間部門のフォーマルな労働者の賃金が低いことが指摘されています。
ここから見えてくるのは、経済の立て直しが決して容易ではないこと、それが労働者を含めた民衆の生活を犠牲にした上で進められていることです。
ミレイ政権は内外からの大規模な投資を呼び込むことで、景気を良くし、雇用を増やすことを考えているようですが、アルゼンチンに限らず、これまでの新自由主義改革と言われるものの「結果」を見れば、そううまくはいかず、反対に経済的不平等が拡大していることが明らかになっています。
したがって、政権発足時から始まっているミレイ政権の政策に反対する労働者、民衆の運動が今後も粘り強く続けられていくことは必至だと考えられます。
2024年9月25日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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