ここにあげた以下の文章は、「アジェンダ」66号(2019年秋号 2019年9月15日発行)に「ラテンアメリカの現在」の第1回として掲載したものです。
前回の配信(7月27日投稿)ではベネズエラの新型コロナウイルスの感染状況と経済状況について簡単に書きましたが、感染が広がる以前の状況について少し触れておきたいと思いましたので、約1年前の文章ではありますが、ここに掲載することにしました(一部変更あり)。ですので、言及しているデータや人物の肩書などは掲載当時のままとなりますので、よろしくお願いいたします。
(1)高インフレに苦しむベネズエラ経済
ベネズエラでは、深刻な〈危機〉が続いています。本稿では経済面と政治面に分けて現状(2019年時点)を見ていきたいと思います。まずはベネズエラの経済状況についてです。
2019年5月28日、ベネズエラ中央銀行(BCV)が主要な経済指標の数値をホームページ上で公表しました。2015年以降、こうした数値は明らかにされてきませんでした。
2018年第3四半期の国内総生産(GDP)は22.5%の減少(前年同時期比)。2013年(ニコラス・マドゥーロが大統領に選出された年)との比較では52.3%もの減少です。各生産分野を見ても、建設業が約95%の下落(2013年との比較。以下同じ)。製造業(約76%)、商業(約79%)、金融(約79%)というように軒並み大きなダウンを記録しています。
消費者物価のインフレ率ですが、2018年は13万60%に達しています(2015年は180.9%)。但し、2019年の3月以降、月単位のインフレ率には変化が見られます。
BCVの数字では、3月(34.8%)、4月(33.8% これ以降はこの時点では未公表)、他方野党が多数を占めている国会の財務・経済開発委員会が公表している数字を見ると、3月(18.1%)、4月(44.7%)、5月(31.3%)、6月(24.8%)です。(ちなみに、経済学者のフィリップ・ケーガンは、月率50%(年率1万3000%)を超える物価上昇をハイパーインフレと定義)
先の数字をもってハイパーインフレから脱したと言えるかは疑問が残りますが、少なくとも鈍化傾向にあるとは言えます。
なぜそうなっているのかですが、国の経済活動が著しく縮小している状況の中で、BCVを含めた政府の政策変更、中でも①財政支出の縮小と、②銀行など金融機関に対する貸出し規制強化が影響していると専門家は見ています。
①では、公共部門の最低賃金の引上げについて以前ほど頻繁に行っていないのもインフレ抑制のためと考えられています。②では、2018年9月から金融機関の支払い準備率を100%にしました。通常、預金者の払戻し要求に備えるために預金の一定割合を中央銀行に預け入れますが、今回の措置によって金融機関は事実上融資ができなくなり、結果として市中の貨幣流通量を抑制しています。
国の主要な収入源である石油輸出収入については、2013年の856億300万ドルから2018年の298億1000万ドルへと約3分の1に減少しています。原油生産が急激に低下しているからです。2019年に入って、原油生産は日量74万バレルと歴史的な低水準です。生産低下については国営石油会社PDVSAの経営上の問題や汚職などが指摘されていますが、とりわけ資金不足が足かせになっています。
また、外貨準備高は80億1700万ドル(2019年7月26日付)で、ここ20年間で最も低い水準です。対外債務(2018年)は、1111億4600万ドルに達しています。
この時期に経済指標が公表された理由として、エコノミストのトニー・ボサ(マドゥーロ政権の経済顧問)は、実勢相場に基づいて物価をコントロールする制度を持とうとしている点に注意を向けています。異なる見方では、国際通貨基金(IMF)との関係改善を図る意図があるのではと指摘する専門家もいます。
2019年5月、BCVは外国為替管理の柔軟化政策を公表しました。「為替テーブル」と称する制度によって、公的銀行と民間銀行にドル取引を認め、企業や個人の外貨アクセスを可能にし、これに基づいて平均為替レートを日々公表します。これには国内通貨(ボリーバル・ソベラノ:Bs)の価値の安定化を図る意図がありますが、一方で過大評価されてきた価値の下落を招くのでインフレを後押しすることにはなります(2019年8月13日のレートは1Bs=13613.32ドル)。
(2)米国による経済制裁の影響
次に、米国による経済制裁の影響について触れておきます。米国のシンクタンクである経済・政策研究センター(CEPR)が2019年4月に公表したレポートは、2017年以降の米国による経済制裁は、ベネズエラの原油生産と収入の劇的な低下を招いたと指摘しています。とくに制裁の結果、輸入支払いに必要なドルを奪うことによって、医薬品や食料の輸入が困難になり、「2017年からのあらゆる制裁が住民の生活と健康に深刻な影響を与えていることは疑いようがない」と述べています。
米国による制裁は、ベネズエラを国家安全保障上の「特別な脅威」としたオバマ政権下の2015年から始まっていますが、トランプ政権下の2017年からは、経済全体に大きな打撃を与える措置へとエスカレートしています。それは2017年8月の金融取引に関する措置と、2019年1月末から始まった石油貿易に関する措置です。
2017年8月の大統領令では、ベネズエラ政府や、PDVSAとその傘下にある米国子会社CITGOの米ドル建て債権の取引に米国の個人・法人が関与することを禁止しました(その後、金やベネズエラ政府発行の仮想通貨の取引へと拡大)。その目的は、対外債務の再編(新規債券の発行を通じた借換え)や融資による外貨獲得を妨害することです。
2019年1月末の措置は、PDVSAを制裁の対象とするものでした。これにより、米国内のPDVSAの資産を凍結し、米国企業によるベネズエラからの石油輸入を停止させました。子会社CITGOの操業は認められたものの、収益は指定された口座に入金しなければならないことになりました(マドゥーロ政権に収益を渡さないことが目的)。
ベネズエラにとって石油輸出は外貨獲得の不可欠な手段(9割以上)ですが、そのうちの大きな割合は米国市場から得ています。今回の措置は、米国市場から遮断して外貨獲得源を絶つことを意味しています。これはトランプ政権がグアイドー国会議長を「暫定大統領」として認めたことと軌を一にしています。
先のレポートでは、このような米国の制裁が、ベネズエラをハイパーインフレに追いやった要因であり、ハイパーインフレを抑制して深刻な経済危機から脱する可能性を奪っていると批判しています。つまり制裁が融資を含めた外貨獲得の機会を奪ったことで、企業業務の維持・遂行のための費用負担や新規投資ができなくなるとともに、様々な生活物資や医薬品などを輸入する購入資金が減少する事態にベネズエラが陥っていると分析しています。
但し、制裁の発動以前からベネズエラの経済状況は悪化していたという反論があるように、ハイパーインフレに陥った要因が米国の制裁だけにあるわけではないことに留意する必要はあります。
さらに2019年8月5日、トランプ政権は新たな制裁措置を打ち出してマドゥーロ政権に対する圧力を強めています。それは米国内にあるすべてのベネズエラ政府の資産を凍結するという全面的な制裁を課すものです。これにより、これらの資産はブロックされ、移動や支払いも含めていかなる形での取扱いもできなくなります。ベネズエラ政府は「経済的テロリズムの横暴な行動」として反発を強めています。
(3)政治的対立の行方
続いて政治的な状況を見ます。
2019年7月4日、ベネズエラの人権状況に関する国連の報告書が公表されました。ミシェル・バチェレ国連人権高等弁務官(チリの前大統領)が、6月19日から21日までベネズエラを訪問し、558名を超える人にインタビューして作成したものです。
この報告書では、治安部隊によって数多くの人が殺害され、反政府勢力への過剰な弾圧が行われていること、汚職や資材の横流しなどによって人々の生活水準が悪化していること(370万人が栄養失調状態にある)などが書かれています。
また、「ベネズエラ経済、とくに石油産業と食料生産は、いかなる分野別の制裁が課されるような以前からすでに危機にあった」と述べた上で、「最近の経済制裁が経済危機の影響、したがって人道上の状況をさらに悪くしている」と指摘しています。
マドゥーロ政権は、誤りとして70個の「所見」を示した上で、「客観的でも公平でもない」としてこの報告書を批判しました。
野党側の動きですが、グアイドー国会議長が2019年1月に「暫定大統領」を宣言してから半年以上が経ちました。しかし、同年4月30日の軍事クーデター(「自由のための作戦」)の失敗によってグアイドーの「人気」にも陰りが見える中、野党勢力間の亀裂もあらわになっています。
グアイドーに対する批判の一つはマドゥーロ政権との対話を巡ってです。対話はノルウェー政府の仲介で継続中ですが、対話に反対する勢力は、政権にとっての時間稼ぎになるだけだと主張しています。グアイドーが米国の軍事介入をきっぱりと拒否しないと批判する勢力もいます。2020年末に国会議員の任期が来る中、野党内のヘゲモニー争いが活発化していくと考えられます。(米国の新たな制裁発動へのグアイドーの歓迎・支持を理由に、マドゥーロ政権は対話を一時凍結。再開に向けてノルウェー政府と再接触。)
世論の動向ですが、インテルラセス社が2019年2月に行った世論調査では、81%の人が問題解決のために政府と野党の対話を支持すると答えています。また8割が米国政府との対話が生まれることに賛成しています。
最後に、危機の出口はどこにあるのかを探るためにテミール・ポラスの英BBCによるインタビュー記事を紹介します(BBC Mundo 2019年5月9日付)。ポラスは2007年から2013年までチャベス派政府の高官として活動し、現在はフランスのパリ政治学院の客員教授になっています。
「ベネズエラの問題はマドゥーロか、グアイドーか、ということではない。ベネズエラ社会が直面している問題とは、社会、経済、民主主義システムとして持続可能かという問題である」とポラスは述べています。
政治が再び機能するには「国民的合意による一種の協定」が必要であり、「今の政府が経済を理に適った方向にしなければと思っても、制裁を受け、合法性が争われているためにその能力がない」と指摘しています。
「グアイドーを(合法的な大統領として)認めることは、全く馬鹿げている」と批判した上で、「マドゥーロとグアイドー、という二派について語るのは単純化」であり、「野党の中にも民主的で理に適った勢力もいるし、チャベス派の中でも同じである。」「この危機に対してこうした勢力がまとまるための余地が生まれる必要がある」と述べています。
最後に、何のために権力を維持するのかと問うた上で、「社会的諸権利、経済的に達成したものを守るため」であるべきだが、今の状況はそれを壊しており、国家の能力を回復することが求められると答えています。
なお、ベネズエラの国会選挙は、2020年12月6日に実施される予定です。
2020年8月4日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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