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アルゼンチン 大統領選挙は決戦投票へ

10月22日(日曜)、アルゼンチンで総選挙が実施されました。この選挙では、正副大統領が選出される他、下院議席の半数、上院議席の3分の1が改選されます。この記事では大統領選挙についてまとめています。

各種報道によると、与党連合のセルヒオ・マッサ候補(現経済大臣、51歳)と、リバタリアン(自由至上主義)で右派のハビエル・ミレイ候補(下院議員、53歳)の上位2名が11月19日(日曜)に予定されている決選投票に進む結果となりました。

開票率98.51%の段階で、マッサ候補の得票率が36.68%、ミレイ候補が29.98%、3位のパトリシア・ブルリッチ候補が23.83となっています。ブリッチ候補は元国家安全保障大臣で右派の候補です。

アルゼンチンの大統領選では本選の前に候補者を選定する予備選挙が行われます。今回本選に進んだのは5名でしたが、事実上上記3名の争いと見られていました。

ちなみに、左派の政党連合「左翼と労働者戦線ー団結」のミリアム・ブレグマン候補の得票率は2.7%でした。投票率は77.65%でした(前回2019年と比べると約3.7%低い)。

1回目の投票で勝利するには、得票率が有効票の45%以上に達するか、得票率が40%を超えてかつ2位の候補と10%以上の差をつけることが条件となっています。今回はこの条件に該当する候補がいなかったため、上位2名による二回目の選挙(決戦投票)を行うことになりました。

アルゼンチンの政党政治は、歴史的に「ペロニズム」と「アンチペロニズム」という対立構造の下で展開されてきました。

「ペロニズム」についての詳しい説明については省略するとして、簡単に触れておきます。

1943年に発足した軍事政権において労働福祉庁長官に就任したフアン・ペロン(軍人)が労働者寄りの政策を推進し、第二次大戦後は大統領として中道左派的な政策を実行したことから、一般的に「ペロニズム」とは、ラテンアメリカの左派的「ポピュリズム」の代名詞として語られてきました。

現在でも、ペロンが結成した「正義党」(ペロン党とも呼ばれる)が最大政党として大きな影響力を持ち続けています。

今回の選挙で1位となったマッサ候補は、政党連合「祖国のための連合」から出馬しています。この政党連合は正義党を中心に左派の政党で構成されており、政治的傾向としては進歩派ないしは中道左派と言われています。マッサ候補はこの連合を構成する政党の一つである「刷新戦線」の党首です。また、現在のアルベルト・フェルナンデス政権(正義党所属)では経済大臣を担当しています。

今回の大統領選挙が国内だけでなく、衝撃を持って広く世界に知られるようになったのは、8月に行われた予備選挙の結果でした。

そもそも現職のフェルナンデス大統領は、経済の危機的状況(高いインフレと対外債務負担)の影響による支持率の低迷と、正義党内の対立が相まって今回の立候補を断念していました(大統領の連続再選は一回のみ可能)。

その結果、正義党からは候補者が立てられない事態となり、与党連合からセルヒオ・マッサ経済大臣が立候補して選挙を争うことになりました。

その中で行われた8月の予備選(8名で争った)で、まったく予想されていなかったハビエル・ミレイ候補がトップの得票率29.86%を獲得したことが大きなニュースとなりました。次点がマッサ候補の21.43%、投票率は70.43%でした。

ミレイ候補は、「自由前進」(自由は前進する)党の党首で、2021年から下院議員を務めています。それ以前は経済学者として活動していました。

ミレイ候補は自らを「アナルコ・キャピタリスタ」(無政府資本主義者)と称しています。思想的には自由市場を重視する考えを提唱しており、右派リバタリアン(自由至上主義)と見られています。今回の選挙での象徴的な公約が、国内経済のドル化(通貨ペソをなくす)と中央銀行の廃止です。

また、自らが「政治カースト」と呼んでいるもの(体制)に対する攻撃的な主張を繰り返し、ブラジルのボルソナーロ元大統領、米国のトランプ元大統領を称賛する発言を行っていることから「極右派」と見られています。

これまでにも、同国で合法と承認されている場合であっても中絶の権利は認めない(「殺人」と主張)、気候変動(地球温暖化)に対しては「ウソである」と主張しています。

彼を主に支持して票を入れているのは、30歳未満の男性で現状に不満を抱えている層であると専門家は分析しています。

今回の選挙の大きな争点は、危機的な状況にある経済をどう立て直すのか、です。

その一つが、対外債務問題です。現在アルゼンチンは国際通貨基金(IMF)に対して、約450億ドル(約6兆5000億円)規模の債務を抱えています。

これについては2018年に受けた融資の返済が期限までにできず、IMFとの交渉を行った結果、新たな信用許与による分割払いという形で支払うことで合意しています。

その代わりとして、合意した経済政策プログラムを実行しなければならず、IMFが定期的(四半期ごと)に行う「実施レビュー」をクリアーすることが必要です。政策プログラムの中身は、財政赤字の削減、輸出の奨励と輸入の抑制、通貨ペソの信用を高める(政策金利の引上げ)などです。

もう一つが高いインフレ率です。具体的に見ますと、アルゼンチン国家統計局(INDEC)が今月12日に発表した今年9月の消費者物価指数は、前年同月比138.3%の上昇となっています(前月比では12.7%の上昇)。インフレ(ペソの価値下落)を抑えるために中央銀行は利上げを続けていて、今では政策金利が133%に達しています。

こうした中で、貧困率(貧困ライン以下で生活している国民の割合)が引き続き40%台で推移しています(22年のデータは43.1%)。

中央銀行の外貨準備高も非常に厳しい状況にあります。今年8月のIMFのレビューによると、外貨準備高の純増(2021年末比)については、目標の65億ドルに対してマイナス47億ドルと報告されています。
(ジェトロ・ビジネス短信cc0707820a9e5ba0  2023年8月30日)

このような現状に対する不満の高まりが、8月の予備選において、極端な主張で現体制批判を繰り返すミレイ候補の押し上げにつながったと見られています。

その一方で、現在の経済状況を考えれば、今回の投票で現職の経済大臣が「逆転」してトップの票を得たことも大きな「驚き」だとして報じられています。

マッサ候補が経済大臣に就任にしたのは昨年7月末でした。ちなみにフェルナンデス政権がスタートしたのは2019年12月です。

同候補は、経済政策としては、ペソを防衛するための財政赤字の削減、国家介入型の経済モデルの堅持を打ち出しています。具体的には、「経済の安定化」を前提として、所得分配の拡大、公教育の拡大、大学への投資の拡大を進めていくことを謳っています。

こうしたアルゼンチンの政治状況について、ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領(左派)は、「アルゼンチンは解読不可能である」「アルゼンチンのようなインフレを抱えている国の経済大臣が大統領選を争うのをどう説明するのか?」と選挙前に語っていました。つまり、経済大臣こそが現在の事態の責任を問われるべきであって、その人物が次の大統領になろうとしているのが「不可解だ」ということです。

これは一つの「矛盾」とも言えます。BBCのニュース記事では、マッサ候補は、「彼が所属する政府の代表であると同時にオルタナティブ(別の選択肢)」としても自らを示さないといけないので、そのバランスをとるのが難しいと指摘しています。

そのためか、マッサ候補は大統領になれば、「現在の閣僚の少なくとも半分は変わることになるだろう」とテレビ番組で述べています。

11月の決選投票では、今回3位につけたパトリシア・ブルリッチ候補に集まった票の行方が影響すると見られます。この1ヵ月弱の間で世論がどう動くのか、注目していきたいと思います。

2023年10月25日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
©2023アジェンダ・プロジェクト

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チリ 軍事クーデターから50年の今

1973年9月11日、ピノチェトによる軍事クーデターから今年で50年が経過しました。今回は、この日を迎えるに当たってどのような出来事が起こったのか、いくつかのトピックを取り上げてみたいと思います。

(1)強制失踪被害者に対する真相究明の課題

8月30日、ガブリエル・ボリッチ大統領は、9月11日のピノチェトによる軍事クーデターから50年目を迎える前に、軍事政権下における強制失踪の被害者のための全国捜索計画を正式なものとする法令に署名しました。

8月30日は国連が定めた「強制失踪の被害者のための国際デー」です。2006年に国連総会で「強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約」(強制失踪条約)が採択されたことがその由来になっています。

(注)「強制失踪」とは、「国の機関または国の許可、支援もしくは黙認を得て行動する個人もしくは集団が、逮捕、拘禁、拉致その他のあらゆる形態の自由のはく奪を行う行為」であり、「失踪者の消息もしくは所在を隠蔽することを伴い、かつ、当該失踪者を法の保護の外に置くもの」と定義されています。(同条約第2条より)

「民主主義とは、記憶であり、未来であることを私は確信している。どちらかが欠けても成り立たない。」

ボリッチ大統領は、大統領官邸(モネダ宮殿)で行われたセレモニーの中でこのように発言しました。セレモニーには政治家、人権活動家、被害者の家族などが参加していました。

「政府だけでなく国家として、強制失踪の被害者の失踪と死亡の状況を明らかにするために、あらゆる障壁を動かす責任が我々にはある。」との考えを大統領は示しました。

今回の計画の目的は、国家の責任と国際基準に従って、恒久的かつ体系的な形で強制失踪の被害者の失踪と死亡の状況を明らかにすることにあります。

こうした取り組みは、ボリッチ政権の初年度から「真実と正義のための全国捜索計画」として行われてきましたが、今回の法令はこれを恒久化するものです。

この計画は次の3つを目的にしています。

①強制失踪の被害者の失踪・死亡の状況と所在を明らかにする。
②強制失踪の被害者の捜索プロセスに関して、家族と社会の参加と情報へのアクセスを保障する。
③強制失踪の犯罪に対する賠償措置と再発防止策を実施する。

「この計画は、被害者の失踪経路を追跡し、司法捜査と協力し、記憶の定着と再発防止の保障を支援するものであり、刑事責任の確立を損なうことはない」との考えを政府は明らかにしました。

そのための予算も割当てて、政府全体で取り組むべき政策であることを強調しています。

これまでの様々な司法調査と、国が設置した委員会などの様々な機関の評価によると、ピノチェトが統治していた1973年から90年までの間に、少なくとも3200名の人が殺害または失踪となったことが分かっています。これらの犠牲者のうち、約1500人の遺体はまだ発見されていません。

そして推定ですが、以下の被害者数が明らかにされています。

・強制失踪の被害者:1469人(うち1092人は拘留失踪者に該当)
・遺体が引き渡されずに政治的に処刑された人:377人

政府の出した声明によると、これまでに司法当局は、加害者、共犯者、幇助者として国家公務員や民間職員に有罪判決を下したと述べていますが、その具体的な人数については明らかにしていません。

強制失踪の被害者のうち身元が特定されるに至った人の数は約307人に留まっています。計画では、1100人以上の拘留・失踪者の捜索を進めていくことになっています。

「被害者の家族が懸命に捜索している間、失踪者の妻、息子や娘、母や父、孫や孫娘らに対し、チリ国家からは何の説明も、敬意を表す行為もなかった。」と強制失踪者家族会のギャビー・リベラ会長は述べています。

(2)地下鉄運賃の値上げと、抗議行動の呼びかけ

上記の出来事に先立つ8月21日、首都圏の公共交通機関の運賃値上げ(10ペソ)に抗議して、中高校生たちが、首都サンティアゴの地下鉄での無賃乗車行動に再び立ち上がりました。

「再び」と言うのは、2019年10月に同じ闘争が行われたからです。当時はそれがきっかけとなって、「社会的爆発」と呼ばれる大規模な反政府の社会闘争へ、そして憲法改正プロセスへと発展していきました。この時の値上げ幅は30ペソでしたが、闘争によって値上げは凍結されました。

凍結されていた運賃値上げが8月20日から開始されました。チリの地下鉄運賃は時間帯で変動します。今回はピーク時が800ペソから810ペソに、バスについても700ペソから710ペソと、10ペソの値上がりとなりました。ちなみに地下鉄のピーク時は午前7時~午前8時59分、午後6時~午後7時59分の2回あります。

他に、谷(オフピーク)の時間帯が午前9時~午後5時59分、午後8時~同44分で運賃は730ペソ。また最安値の時間帯が午前6時~同59分、午後8時45分~午後11時で650ペソとなっています。

今回の値上げに当たり、政府(運輸大臣)は、補助金を当てて値上げを半額に抑えたと説明していました。また学生と高齢者については今年いっぱいは値上げが凍結されることもアナウンスされています。

値上げのアナウンスに対して、学生たちは、8月21日(月)から25日(金)までの期間、「逃走、騒乱、妨害週間」というスローガンを掲げて、いくつかの駅で自動改札機を飛び越えたり、改札機を破壊するなどの抗議活動を行いました。これにより駅が部分的に閉鎖されるなどの事態に至りました。

この事態に対して、運営会社と警察は協力して、170名以上のカラビネロス(武装警察)を配置して警戒に当たりました。

学生団体の一つは今回の行動に関連して、「生活の値段が上がっている一方で、最下層にいる人々は、ただ上流階級にのみ奉仕してきた政府のせいで苦しんでいる。」とのメッセージを発しています。

(3)憲法改正第2ラウンドをめぐる動き

続いて、昨年9月の国民投票で新憲法案が否決された後、仕切り直して今年から新たな形のもとで始まっている憲法改正第2ラウンドの状況について見ておきます。

詳細は省きますが、第2ラウンドでは、議会の関与が強化されるとともに、予め草案の前提となる考え方のすり合わせが行われています。

まず3月から成案のたたき台となる草案を作るための専門委員会(24名。主に法律家など。議会で承認)が動き出し、5月30日に草案が作成されました。

メディアの報道によると、草案では、チリ国家を「社会的民主主義の法治国家」と性格づけています。新しい内容としては、「立法過程への市民参加」の仕組みの導入、先住民を単一で不可分の国の一部として承認、政治参加における男女平等、その他、適切な住宅やディーセント・ワークへの権利保障、「環境保護、持続可能性と開発」といった章が含まれています。

この草案を受けて、国民投票にかける成案を作る機関が憲法審議会(現50名。選挙で選出)で、6月7日から議論が始まっています。

選ばれた議員の内訳を見ると、問題は中道を含めた右派の議員が多数を占めていることです。とりわけ、極右の共和党議員が22名(当選は23名でしたが1名不適格で欠員)で最多となっています。この政党は、ピノチェトを賛美する言動を見せたり、現憲法の改正は必要ないと反対の姿勢を示してきました。

憲法審議会の議論において共和党は、草案への追加として中絶の権利を制限する条文(胎児の命と母性は保護される)を提案しています。チリでは現在、3つの条件において中絶の権利が認められています。右派はそれを後退させて保守色を強めようと画策しています。

チリ初の女性大統領となったミチェル・バチェレ氏は「新憲法案が女性の権利で後戻りすれば、賛成票は投じられない」とラジオのインタビューで答えています。

(4)「人権のための大行進」と右派の否認主義への批判

クーデターが起こった前日の9月10日に、首都サンティアゴで被害者団体が主催した「人権のための大行進」に約5000人が結集して行われ、軍事独裁下の拘留失踪者の家族とともにボリッチ大統領も参加しました。

政府は平和的なデモを呼びかけていましたが、一部の参加者が大統領官邸のモネダ宮殿に投石(窓が割られる)、安全柵を破壊するなどして、警察との衝突が発生しました(警察は催涙ガスや放水銃などを使用)。

強制失踪や拷問、政治的に処刑された被害者の家族とのデモ行進について、ボリッチ大統領は「誇りを持って参加した。」とX(旧ツイッター)に投稿しました。「なぜなら、彼らの真実と正義のためのたゆまぬ闘いのおかげで、今日我々はここにいるからである。そう確信している。」と綴っています。

一方で、一連の暴力行為については大統領として「その不寛容さと暴力は、民主主義の中に含まれてはならない。これらの行為に加わった者は法治国家とその法に対立している。」と批判し、あくまでも「平和と対話で社会変革を進めていこう。」と述べています。

ボリッチ大統領は、9月11日に「サンティアゴ合意」という文書にすべての政党が署名するように働きかけましたが、右派政党はこれを拒否しました。

この文書は、権威主義の脅威や不寛容に対して、民主主義を大切にして守り、法治国家の憲法や法律を尊重することを訴えています。また、民主主義の課題にはさらなる民主主義で立ち向かうこと、暴力を非難し、対話と相違点の平和的解決を促進するなど、4つの項目からできています。

保守派のセバスティアン・ピニェラ前大統領は、最終的に文書に署名はしたものの、クーデターの主な責任は、少数でマルクス主義の社会モデルを押し付けようとした当時のアジェンデ率いる人民連合政権にあるとテレビのインタビューで発言しています。

こうした右派の態度に対して、デモ参加者の一人は、「右派の否認主義に我々は反対する。歴史を忘れることはできない。それでは歴史は前進しないからだ。」と声を上げています。

軍事クーデターという国家的暴力とその後のチリ社会を蝕んでいった新自由主義の脅威が、今なお影を落としています。歴史の事実を明らかにし、民主主義を確かなものにする粘り強い闘いが引き続き求められています。

2023年9月23日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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キューバ 国会で報告された最近の経済状況

7月20~22日、首都ハバナで第10期第1回通常期国会(人民権力全国議会)が開かれました。通常、全国議会は年2回(7月と12月)に開催されます。

今年3月に選挙が行われて474名の議員が選出されています(任期は5年)。なお議員数は、2019年の選挙法改正(同年の憲法改正に伴う法改正)に伴い減少しています(以前は605名)。

本会議に先立って、18~19日に常設の作業委員会(11の分野)で報告・討論が行われました。

今回は、そこでの報告も含めて国会で明らかになったキューバ経済の現状についてまとめてみます。

(1)GDPの回復は徐々に

まず経済成長率についてです。昨年(2022)の成長率について報告がありました。経済問題の作業委員会での報告(経済計画省のレティシア・モラレス第1副大臣)によると、22年初の予測では4%のプラス成長、年末にプラス2%に再調整されましたが、実際にはそれも下回るプラス1.8%であったことが明らかになりました。

コロナ禍で落ち込みが激しかった2020年の成長率はマイナス10.9%(2019年比)でした。続く2021年の成長率はプラス1.3%でしたので、昨年のプラス1.8%と合わせて、2年間でプラス3.1%は回復したことになります。

しかし20年のマイナス分が大きいので回復分を考慮に入れても、コロナ禍前の2019年の水準よりもまだ8%近く(7.8%)落ち込んだ状態にとどまっていることがわかります。

GDP(国内総生産)の総額は、522億4500万ペソ。こちらでもコロナ禍前の2019年の数字には届いていない現状が浮き彫りになっています。

GDPの増大に寄与した分野は、観光業(+193%)、教育(+52%)、輸送(+21.6%)、通信(+31.6%)、文化・スポーツ(+12.5%)ですが、反対に落ち込んだ分野は、農畜産・林業(−5.3%)、製造業(−6%)、商業・日用品の修理(-4.9%)、電気・ガス・水の供給(-13.2%)、公的医療・社会扶助(-16.6)です。

これを見ると、日常生活により密着した分野の経済活動の落ち込みが気になるところです。

(2)外貨収入と通貨事情

経済活動を支えるのに必要不可欠なのが外貨収入です。しかし、外貨収入がマイナスであることが最終日(22日)の本会議で報告されました(アレハンドロ・ヒル・フェルナンデス経済計画相の報告)。

外貨収入を確保する上で大きいのは輸出によるものですが、この点については、計画予想を下回っており、今年前半期の輸出(財・サービス)による外貨収入は12億8200万ドルで、計画より9400万ドル少なく、年間計画の総額(35億8700万ドル)の35.7%となっています。

この点について、ヒル・フェルナンデス経済計画相は、「外貨を必要とする経済活動に直接的な悪影響がある」こと、「経済計画で予測された活動を保証するためには輸出を実現する必要がある。外貨収入を実現するために後半期には多大な努力が求められる。」と述べています。計算上、今年の後半期で23億500万ドルを稼ぐ必要があります。

輸出品目別で見ると、プラスなのが、たばこ、ラム酒、バイオ医薬品、海産物などで、予想を下回っているのが、ニッケル、砂糖、蜂蜜、石炭となっています。

また輸出ではないですが、大きな収入源の1つである観光業については、現在までに130万人の観光客がキューバを訪れており、これは計画の約80%に上るものの、2019年同時期に記録した数字と比べるとその約51%であると報告しています。

その上で、「パンデミックで深刻な影響を受けた観光業の回復を迅速に進める必要がある。」と述べています。

こうした外貨事情を背景に、キューバの通貨価値は、インフォーマルな市場で下落し続けています。7月22日の時点で、1ドル=220ペソで取引されています。対ユーロではそれよりも安く1ユーロ=225ペソを記録していると報じられています。

なお、このレートは、さまざまなデジタルプラットフォームや Web サイトでの取引を元にしています。

※非公式の対ドルレートはその後も下がり続け、8月初めに1ドル=240ペソを記録しています。

公式の為替レートは、法人の場合、1ドル=24ペソ、一般の人と小売部門では、1ドル=120 ペソとなっています。ただし銀行や両替所(Cadeca)を介して取得できるドルの額は1人あたり100ドルまでに制限されています。

こうした厳しい外貨事情の下で、期待されているのが外国資本による直接投資案件の増加です。

ヒル・フェルナンデス経済計画相の報告によると、今年前半で新たに15の事業(総額4億3700万ドル)が認可されたこと、事業内容としては観光業と食料生産が4事業ずつで最も多いと報告されています。

(3)続く物価高、農業生産の低迷

続いて、7月19日に行われた経済問題の常設作業委員会での財政・価格省のウラジミール・レゲイロ・アレ大臣の報告を取り上げます。

まずは、物価高ですが、昨年末の時点で消費者物価指数は39%上昇しています。今年初めから物価は約18%上昇しており、昨年と比べて年率45%の上昇となると報告しています。こちらも近年上がり続けています。

インフレ要因については、主に国際的な経済危機(注:コロナ禍による影響+ウクライナ戦争による影響と思われる)、米国の経済制裁・封鎖による影響を指摘していますが、それに加えて国内的には、収入以上の支出による国家予算を賄うための多額の財政赤字を挙げています(赤字分は国債を発行して賄っています)。

レゲイロ・アレ大臣は、物価高に対する住民の不満が多いことを認めており、具体的かつ明確な解決策が必要だと述べています。とくに心配されるのは、生活必需品とサービスの消費における国民の購買力の低下です。

政府がとっている措置としては、価格の統制(国民の需要がとくに高い品目について)が際立っており、その他にも、基本的なサービス分野についての安定供給と価格についての調整や、売り上げとサービスに関する税の改善措置などがとられているとしています。

その一方で、エステバン・ラソ国会議長が「供給と生産がなければ、効果的な価格のコントロールは実現しない。」と指摘しているように、需給バランスの不均衡(とくに輸入を含めた供給不足)が改善されないと、この傾向は改善されていかないと考えられています。

次に、キューバでネックとなっている農業生産について、農業・食品委員会での報告から見てみます。

この分野については、2021年に63の改善措置がパッケージとして承認されましたが、報告では、今年5月までの主要生産品目の結果は芳しくないものだったとされています。22年の同時期と比べると、計画の未達成、あるいは減少となっています。

計画で予想された生産量の水準に到達していない品目には、根菜類や野菜、豆類、トウモロコシ、果物類、米、さらに、豚肉と牛肉、卵と牛乳、コーヒー、ココア、蜂蜜など日常生活に欠かせないものが多数挙げられています。

同じく報告書では、肥料、殺虫剤、燃料、動物用飼料、その他の基本的な投入財に制限があることや、組織上および管理上の問題について指摘しています。これらは生産拡大にとってのネックとして挙げられています。

例えば、肥料については、今年5月末までに農業用に輸入・生産が予定されていた2万8900トンのうち、受け取ったのはわずか168トン(0.6%)。ちなみに、昨年の同時期に受け取ったのは1万4700トンでした。また、予定されていた国内生産量の9600トンは生産されていないと報告されています。

ディーゼル燃料については、5月末までに計画の68%しか準備できず、これは昨年同時期よりも8500トン少ない数字です。

主要品目の状況がいくつか説明されています。(報告は主にその品目を生産する企業グループの代表)

豚肉の生産については、昨年の同じ時期より生産量も出荷量も多くなっているけれども、国内需要を満たす水準にはなく、市場価格は依然として高騰していると述べています。その背景には飼料の不足が影響していると指摘しています。

牛肉・牛乳についても同様で、飼育に必要な投入財の入手が難しく、生産者に損失をもたらしていると述べています。

日常的に必要な配給品では、とくに小麦とコーヒーの生産に問題が見られると報告されています。

小麦については、昨年半ばから小麦の確保が非常に難しくなり始め、今年前半にはその状況が悪化していることを認めています。

これは小麦の買い付けがうまくいっていないことが要因となっていますが、その一方で、国営企業以外の経済アクターが一定レベルの小麦粉を輸入して、サプライチェーンに参加していることも報告されています。

小麦の供給不足によるパンの生産への影響については、代替の原材料として、キャッサバやサツマイモのでん粉を使用していることなどを報告しています。

コーヒーについても、国内生産では賄えず、今後もどれだけ輸入できるかにかかっていると述べています。

イダエル・ペレス・ブリト農業相は、「危機の時には中小規模農業が強化されるべき」との見方を示しています。一方、マヌエル・ソブリノ・マルティネス食料産業相は、食品加工の分野での新しい経済主体として食品加工に従事する800を超える零細中小企業の存在に期待を寄せる発言をしています。

今回の報告からは、ようやくコロナ禍による経済の落ち込みから立ち直りつつあるキューバ経済の実情が見えてきますが、長年の経済システムの改善(経済主体の多様化や経済活動の分権化など)によって、それを持続可能なものへとつなげていけるのかが引き続き課題になっています。

2023年8月11日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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ブラジル ボルソナーロ前大統領に被選挙権停止の判決

6月30日(金)、ブラジルの高等選挙裁判所(TSE)は、ジャイール・ボルソナーロ前大統領の被選挙権を8年間停止とする決定を下しました。在任中に確認された「政治的権力の濫用」が理由です(詳しくは以下で説明)。

これが確定すれば、2030年までは国内のいかなる選挙にも立候補することができなくなります。特に2026年に行われる予定の次の大統領選挙には出馬できないことになります。

今回の決定は、ボルソナーロ氏と彼を支持する右派勢力にとって深刻な打撃を与えることは間違いありませんが、一方でこれでボルソナーロ氏の政治生命が完全に終わるとは見られていません。

TSEの決定がブラジルの右派運動にとってどのような意味を持つのか、その背景を考えて見たいと思います。(まとめるに当たってBBCの2023年6月30日付記事を参照しています。)

(1)高等選挙裁判所による決定とは

今回の審議は6月22日に始まり、計4回の審議で終了しました。

立候補資格を停止する決定には、TSEの7人の裁判官のうち5名が「政治的権力の濫用」に当たるとして賛成しました。

8年間の停止期間は、法律によると、2022年の大統領選挙の第1回目からカウントされ、2030年10月2日に終了する予定になっています。

この審議は、政党(民主労働党、PDT)の告発によるもので、ボルソナーロ前大統領が在任中(2019年~22年)にブラジルの選挙制度の信頼性に関して根拠のない疑義を呈する発言をしていたことを問題にしています。

具体的には、大統領選前の昨年7月、大統領官邸で開かれた外国大使との会合の場で、ボルソナーロ大統領(当時)が、電子投票システムの欠陥を根拠もなく主張したことが問題視されました。そして、この時の発言が「政治的権力の濫用」に当たるかどうかが審理の対象となりました。この時の会合はテレビやソーシャルネットワークで放送されていました。

弁護側は、前大統領は制度改善のための公開討論を提案しようとしただけだと弁明していました。

前大統領は、それ以前にも根拠を示さずに電子投票制度について「不正が行われる恐れがある」などの批判を繰り返していました。

今回の件の予審判事であるベネディト・ゴンサルベス氏は、「選挙の正当性についての信頼を脅かす嘘や暴力的な言説の反民主主義的な影響を無視することはできない」と主張しました。

別の判事であるアンドレ・タバレス氏は、基本的権利である表現の自由には「嘘の蔓延は含まれない」と述べました。

同氏は、この会合が「再選を狙う意図を持ち、民主主義を不安定にするための、長期にわたる真の戦略的連鎖の一部である」との見解を示しています。

一方、ルーラ現政権は、「民主主義の勝利」、「極右」の敗北として、今回の決定を称賛する姿勢を示しました。

(2)ボルソナーロ前大統領と右派勢力の今後

ボルソナーロ前大統領は、今回の決定を「背後からの一突き」と批判して、次のようにコメントしました。

「私は死んではいない。私たちは仕事を続けるつもりである。来年の選挙で数名の市長を選出するつもりでいる。ブラジルの右派の終わりではない。」

前大統領の弁護団は、今回の決定に対して連邦最高裁判所(STF)に控訴するつもりであると述べています。しかし専門家の見解では、今回の内容を覆すのは困難であると見られています。今回の7人の判事のうち、3名はSTFにも属しており、控訴審に参加する可能性があります。

しかも、ボルソナーロ前大統領が直面する法的係争問題はこれだけではありません。他にも、新型コロナウイルスのワクチンに関しても虚偽を広めたとする疑いや、今年1月8日の支持者による首都ブラジリアの政府庁舎襲撃事件への責任などが問われています。

今回の決定はすでに有効であるため、このままでは、右派勢力は2026年の次期大統領選挙を戦う新しい候補者を見い出さなければならないという難しい課題を背負うことになります。

ブラジル極右監視団のコーディネーターであり、サンパウロ大学の人類学者でもあるイザベラ・カリル氏は、「おそらく今後起こるのは、ボルソナリスモ(ボルソナーロ支持派)の分裂である」と述べています。

その一方で、今回のことだけで前大統領の政治生命が終わるとは考えていないとも述べています。

ボルソナーロ前大統領を支えているのは、主に保守派とキリスト教福音派ですが、それに加えて、軍国主義者、極端な国家主義者、銃の擁護者などからも支持を受けていると言われています。

「ボルソナーロは公衆と非常に多様な有権者の層を自らに結びつけることに成功した。現在、ブラジルには同じことをできる人物はいない。ボルソナーロの代わりになる人物はいない」とカリル氏は答えています。

「例えば、有権者のある層は無宗教の保守派の候補者を支持し、他の層は宗教的な保守派を支持するだろう。また他には、銃の問題により強い関心を持った候補を支持する層や、より過激な候補を支持する層、反ジェンダーやトランスフォビアのリーダーを支持する層がいる」と、支持が分かれていく可能性を指摘しています。

また、ジェトゥリオ・バルガス財団の政治学者であるマルコ・アントニオ・テイシェイラ氏も、「ボルソナリスモの中に空白ができて、時間の経過とともに新しい右派の指導者が現れるかもしれない」と述べています。

具体的な後継者の一人として、ボルソナーロ氏と同じく陸軍の軍人出身で、ボルソナーロ政権でインフラ大臣を務めた経験を持つタルシジオ・デ・フレイタス氏(現サンパウロ州知事)を挙げています。

他にはボルソナーロ氏の家族の名前などが挙がっていますが、いずれも可能性は低いと見られています。

後継者の存在が言われる一方で、本人も述べているようにボルソナーロ氏自身の政治キャリアがこれで終わってしまうわけではないとする見方もあります。とくに最近のブラジルの歴史を見ると、そうした事例があることがわかります。

わかりやすい例は、現在のルーラ大統領です。ルーラ氏は、過去に大規模な汚職事件に関連して有罪判決を受け、2018年の大統領選に出馬する資格を失いました。この時勝利したのがボルソナーロ氏でした。ルーラ氏は19カ月間収監された後に釈放となり、最高裁で有罪判決が取り消されました(元の裁判の手続き上の誤りが理由)。そして、2022年の大統領選挙でボルソナーロ大統領を破って当選を果たしました。

仮にボルソナーロ前大統領がこのまま2030年まで資格停止になったとすると、その時75歳となります。ちなみに現時点でのルーラ大統領の年齢は77歳です。

しかも資格停止の終了は、2030年10月2日の予定で、これは、同年に予定されている大統領選挙の実施予定日よりも前になります。

こうしたことからも、テイシェイラ氏は「8年はあっという間に過ぎ、(ボルソナーロは)まだ復帰を目指すには十分な年齢である」と指摘しています。その一方で「ボルソナリスモは弱体化するだろう」と見通しを述べています。

同じくカリル氏も、「8年かそれ以上、資格を失ったままだとしても、彼は政治的に行動できる。今後も候補者を支援することで政治的な力を持ち続けるだろう」と述べています。

果たして、今後8年の間でボルソナーロ氏が「過去の人」となるのか、それともブラジル政治を動かすキーパーソンであり続けるのか、それはブラジル社会の民主主義がどのような状態にあるかによって決まることなのかもしれません。

2023年7月22日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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チリ 軍事クーデターから50年、人々の評価

(1)はじめに

今年は1973年の軍事クーデターから50年となります。5月31日に一つの世論調査(タイトルは「ピノチェトの影の下のチリ」)が公表されました。

これは、CERC- MORI(チリの世論調査機関)が、ピノチェトの軍事独裁時代、1973年の軍事クーデターについてのチリ国民の意見を調査する目的で、1987年(独裁政権の末期)から現在まで定期的に実施されてきたものです(コロナ禍のみ中断)。

調査は、チリの有権者を3つの世代に分けた中から代表して対面で行い、約1000件のデータをもとにまとめています(今年の3月に実施)。

3つの世代分けは、①独裁時代を経験している世代(53歳以上)、②民政移管以降(1990年から、ピノチェトが死亡した2006年)の世代(36歳~53歳)、③2006年当時未成年だった世代(18歳~35歳)となっています。

※(補足)歴史的経過

ピノチェトによる軍事クーデターは1973年9月11日に発生。目的は、冷戦対立の下、社会主義を選挙を通じて平和的に実現しようとした当時のサルバドール・アジェンデ政権を打倒することでした。これに伴い重大な人権侵害(殺害、拷問、失踪など)が引き起こされました。

その後ピノチェトを大統領とする軍事独裁が続きますが、1988年10月、憲法の規定により自らの統治期間の延長の是非を問う国民投票が行われ、反対多数で否決されます。ピノチェトへの賛成得票率は44%でした。

1989年の大統領選挙でピノチェト派の候補が敗れ、1990年に民政移管が実現。

その後、「コンセルタシオン・デモクラシア」(民主主義を求める政党連合)と呼ばれる中道から中道左派政党の連合による統治が2010年まで続きました。

ピノチェトは、大統領を辞任したのちも1998年までは陸軍最高司令官に留まりました(退役後、終身上院議員に就任)。同年、病気療養中のロンドンで逮捕されましたが、2000年に帰国。2006年に死去。

今回の記事は、BBCがこの調査結果について、CERC- MORIの創設者であるマルタ・ラゴス氏に行ったインタビュー記事(2023年6月6日付)を参照しながらまとめました。

なお、BBCの記事では、他のラテンアメリカ諸国における権威主義やポピュリズムの問題についても言及されていますが、ここでは割愛します。

(1)ピノチェト軍事独裁に対する人々の評価

今回の調査結果について、「軍事クーデターに正当性があった」と回答した人の割合が36%に達したことが海外メディアでも大きく報じられました。

軍事クーデターの正当性を問う設問は2003年からのデータがありますが、「正当性があった」の割合は、最低だった2013年(16%)からこの10年で20ポイントも増えています。

反対に、「いかなる正当性もない」との回答は41%(10年前は68%)と多いのですが、今回が最低の数値となり、両方の差は5ポイントに縮まっています。

これについて、報告書では「現在の経済的・政治的・社会的危機の下でピノチェト主義(支持)が復活しているようである」と指摘しています。

マルタ・ラゴス氏は、今回の調査結果について「とても驚きました。」「2023年ほど彼のイメージが良かった時はない。」と答えています。

例えば、調査の中で軍事クーデターの主要な責任者を問う設問について、ピノチェトと回答した人の割合の比較を見ると、2003年(24%)、2013年(41%)、2023年(22%)と今年が最も低くなっています。

上記の評価と世代との関係について、ラゴス氏は若い世代による影響を否定した上で、「ピノチェトに傾倒しているのは、旧世代の人々、つまり独裁政権の時代を生き、独裁制が秩序と安全をもたらすという、過去の間違った考えに基づいてノスタルジックな気持ちを抱いている人々」と見ています。

「これと対照的に、ピノチェトに批判的な見方をしているのは若い世代」と述べた上で、「問題なのは、若い世代のほとんどが、クーデターと独裁時代の状況、ピノチェトが行ったことを知らないことです。」「このままの状態が続けば、国民全体が独裁時代について十分に知らなくなる時期が来るでしょう。」と懸念を表明しています。

実際に調査報告を見ると、18歳~35歳の中で、「正当性がない」と答えているのは36%で多数ですが、「正当性があった」を選んでいる人も31%を占めています(残りは無回答)。

また、ピノチェト体制についての評価では、半数近くの47%の人が「良い所もあったし、悪い所もあった」と答えています。

この点について、ラゴス氏は「ピノチェトは純粋に悪いことだけを行ったのではないとする考え方が変わらず存在していることを裏付けている。」と述べ、「これは、民主主義政党の教育・文化上の失敗である。」とも指摘しています。

ラゴス氏は、「過去のデータからその変化について検討してみると、ピノチェトに対する決定的な判断は明確ではなく、その判断は社会的な出来事の影響を受けている。」と述べています。

今は、経済の停滞、移民の増加、治安の悪化などの問題にチリ社会が直面しており、その状況の下で人々の意識がより保守的かつ反動的なポジションになっていることが評価に反映されていると指摘しています。

その一方で、現在の評価がこれからも維持されることを示す証拠はないとも述べています。ドイツのナチズムと比較して、ピノチェト時代とは何であったのかについて、決定的ではっきりした判断(社会的合意)がないことが問題であると結論づけています。

その後の民主化との関係で言えば、ピノチェトは1998年まで陸軍最高司令官に留まり、民主主義体制の内部にピノチェトを支持する多くの代理人が存在し、事実上独裁者の存続を容認していたとラゴス氏は述べています。

「私たちの民主主義はピノチェト主義者によって浸食されており、2006年にピノチェトが亡くなってからも、ピノチェト主義(者)を政党や発言の中から取り除くためのことをしてこなかった。」と厳しい評価をしています。

その上で、「彼を支持した世代が今も生きていて、強く応援し続けている」ことによって、「いまだ、恐怖、胃の痛み、この問題を扱うことに対する抵抗感(ためらい)が残っている。」としています。

73年のクーデターの意味について、36%の人が「チリをマルクス主義から解放した」と答えています。これも2013年(18%)と比べて大きく増えています。一方、「民主主義を破壊した」と答えた人は42%でした(2013年は63%)。

軍事クーデターから50年という節目の年を迎えて、「根本的には私たちは何も前進していないのです。それどころか、我々は後退しており、今日ピノチェト主義者たちは厚かましくも自らを擁護している。」と批判しています。

(2)民主主義の中で生き続けるピノチェト体制との闘い

政治レベルでは、チリにはピノチェト主義を継承する政党がいま2つ存在していると述べています。

一つは、軍事独裁下の1983年に結成された独立民主連合(UDI)です(当初は独立民主連合運動)。

もう一つが、現在支持を伸ばしている極右の共和党(PLR)です。同党は、今年5月7日に実施された憲法審議会議員選挙で最多の議席を獲得しました。その他の右派政党にもピノチェト主義者がいると述べています。

ラゴス氏は、「ピノチェト体制は今も有効性を持っている。」と言います。少なくとも「独裁はOK」という言説を変えなければならないし、「ピノチェトは独裁者だ」と言わなければならないと訴えています。

このことは、この間の憲法改正のプロセスとも関連しています。ピノチェト時代の憲法(80年憲法)を引き継いでいる現行憲法を改正することに2021年の国民投票で国民の多数が賛成した点については、次のように答えています。

得票数を見てみると、そう(多数が賛成した)とも言えません。21年の国民投票は自由投票制で、投票した人の80%が憲法改正に賛成票を投じました。しかし、その時の投票率は50.90%(756万2173票)でした。つまり全有権者の約半分です。言い換えれば、憲法改正に賛成票を投じたチリ人は全有権者の約40%しかいないということになります。

一方、昨年9月4日に行われた国民投票(新しい憲法草案の是非を問う)は義務投票制でした(結果は反対多数で否決)。そのため投票数は1300万超でした(投票率は85.81%)。

この投票数の差が、民主的でリベラルな新憲法案を否決し、再びピノチェト主義を支持する票の掘り起こしにつながっていると考えられています。

では、ホセ・アントニオ・カスト党首が率いる共和党の台頭は、1973年の軍事クーデターに関するこうした意見の変化の結果なのか?という問いかけに対しては、次のように答えています。

「その因果関係を立証するのは非常に困難です。しかしデータを見ると、民主主義体制への移行期間を通じて、民主主義よりも権威主義を支持する人々がかなりの割合で存在していました。」

「そして、右派に位置づけられる人々の増加とともに、独裁体制のモットーである『秩序と安全』という考えが定着していきました。こうした層が、カスト氏と共和党の選挙における支持基盤であるように思えます。」

さらに、「このまま何も起こらなければ、次の大統領選でカスト氏が当選する可能性が高い。」と指摘しています。

この調査が公表された日と同じ5月31日に、ボリッチ大統領が自身のツイッターを通して、共和党の党員で新しい憲法審議会の議員に選出されたルイス・シルバ氏がテレビ番組でピノチェトを政治家として称賛する発言をしたことに対して、次のように発信しました。

「ピノチェトは独裁者であり、本質的に反民主主義者であり、彼の政権は、異なる考えを持つ人々を殺害し、拷問し、追放し、失踪させた。また彼は腐敗しており泥棒でもあった。最後まで卑怯であり、司法の裁きを逃れるために全力を尽くした。決して政治家ではなかった。」

この発言についての評価を問われて、ラゴス氏は、「チリの大統領がそう発言するのは初めてのことです。これがすべてです。これほど明確にこのような発言をした大統領は歴史上いません。」と答えました。

また、自身の言う「教育・文化上の敗北」の意味について、「以前からこうした具体的な形で言われていたならば、おそらくピノチェトのイメージは異なる形で定着していただろう。」と説明を加えています。

「もちろん、彼を擁護するエリート集団はつねに存在するでしょう。それは変えることができません。しかし、世論を変えることはできます。」と述べています。

ボリッチ大統領は、ピノチェト独裁末期の1986年2月に生まれました(調査で言えば、②の世代に該当)。彼を支える与党議員は、軍事政権下で行われた人権侵害の否認を罰する法案を提出し、問題の解決に向けて動き出しました。

こうした状況について、ラゴス氏は、「私たちの民主主義への移行は非常に異例であって、独裁者は国民投票で敗北しましたが、その後も民主主義の中に入り込み、張り付いたままです。したがって、権威主義的な立場が存在しているという意味で、チリ政治の中にピノチェト主義がまん延しているという問題を解決しない限り、不完全な民主主義という問題を解決することはできないでしょう。」と結論づけています。

2023年6月27日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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