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チリ 新しい憲法案について

(1)憲法草案の完成

 7月4日、憲法制定議会が新しい憲法草案を完成させ、ボリッチ大統領が提出されたコピーの一つを受け取りました。これにより、ちょうど一年前のこの日にスタートした制憲議会はその役目を終了しました。

 新しい憲法案の是非を問う国民投票は9月4日に行われる予定で、すでに6日からそのための運動期間に入っています。

 今回の憲法改正プロセスは、2019年10月に発生した社会的抗議行動が求めた様々な改革措置を集約し実現するものとして取り組まれてきました。

 現在の憲法が「1980年憲法体制」と言われるように、ピノチェト軍事独裁期に作られた憲法であり、何度かの改正を経たとは言え、1990年の民政移管以降も新自由主義的な性格を色濃く持ち、政治的には大統領の強い権限を認めたものであることから、これと決別して新しい社会的合意をベースにした憲法を作ろうというのがその目的です。

 今回取りまとめられた草案は全178ページ、388の条文と54の経過措置から成っています。ちなみに現行憲法は129条(経過措置は除く)ですので大幅に増えていることがわかります。

 新しい憲法案を受けて、承認の是非を問う国民投票を9月4日に行うための法令に署名したボリッチ大統領は、制憲議会の閉会セレモニーで次のようにコメントしました。

「我々みんなが誇りに思うべきである。それは、チリが何十年にもわたって経験してきた深刻な政治的、制度的、社会的危機の中にあって、チリ人が、非民主的な選択ではなく、より民主的な選択を行うからである。」

「今日という日は、チリの歴史の歩みに刻まれるだろう。今日、我々は新たな段階に進む。それは、憲法草案を読み、検討し、討議することである。」

「この憲法草案と国民投票が、政府に対する審判であってはならない。これは今後40年から50年のチリの将来と運命についての議論である。」

 国民投票で「承認」が多数になれば、新しい憲法が有効となります。否決された場合は、現在の憲法が引き続き有効となります。

(2)新しい憲法案の大きな特徴とは?

 BBCのウェブ記事(2022年7月4日付)では、現行憲法との重要な相違点を6つ取り上げて解説しています。憲法草案のテキストを合わせて参照しながら、まとめてみたいと思います。

①「パリテ(男女同数)民主主義」の導入

 まず、第1条を見ると、以下のように規定しています。

「チリは社会民主主義的法治国家である。それは多民族的、多文化的、地域的、環境保護的である。」(1条1項)

「それは連帯的共和制として組織される。それは包括的、パリテ(男女同数)民主主義である。(以下、略)」(同2項)

 1項の「多民族・多文化」については②で触れることにして、ここでは「パリテ(男女同数)民主主義」について取り上げます。

 そもそも、今回の憲法制定議会それ自身が、「パリテ原則」(代議員の定数に対してほぼ男女同数になるように調整する)に則って運営されました。こうした形での憲法の起草は、世界的にも初めての試みと言われています。

 先の条文は、この「パリテ原則」を民主主義国家の在り方として取り入れたものです。具体的には、6条2項で「国家に属するあらゆる機関(略)は、男女同数の構成になる(少なくとも構成員の50%が女性であることを保障する)ことを義務とする」と規定しています。

 同3項では、その他の機関、あらゆるパブリック、プライベート・スペースにおいてもそうなるように国家が推進すること、さらには、法律を制定して、多様なジェンダーの人々の代表に対する措置もとることを促しています。

 現行憲法の「男性と女性は法の下で平等である」という規定から、社会的マイノリティに対してより実質的な平等を保障するための考えや仕組みが新しい憲法案には随所に盛り込まれています。これは、チリおよびラテンアメリカ地域でのフェミニズム運動を始めとする社会運動の成果と言えます。

②「多民族・多文化国家」へ

 先に見たように、新しい憲法案では、チリ国家を「多民族・多文化国家」として規定しています。

 5条1項では、「統一国家の枠内において様々な民族の共存を認める」とし、2項では、11の先住民族(マプーチェ、アイマラ、ラパ・ヌイ、リカナンタイ、ケチュア、コージャ、ディアギータ、チャンゴ、カウェスカル、ヤーガン、セルクナム)と、その他にも法律によって認められる民族を挙げています。

 さらに、政治的自治を伴う先住民領土自治区を設けることが認められています(187条、234条)。その実施に当たっては、チリ国家の「単一不可分性」に反してはならないこと、その権限については別途法律によって定めるとしています。また、土地、領土、資源に関する権利も保障されます(79条)。

 その枠内において、先住民族は、自らの権利に影響を及ぼす事柄については意見を求められ、同意が必要とされることになっています(66条)。

 同時に、先住民の司法制度も、憲法と国際条約の尊重義務を前提として認められています(309条)。実際の権限や運営、さらにその判決に対する異議申し立てなど係争事案の解決については、法律によって規定される必要があります。こうした制度は、南米ではボリビアやエクアドルでも2000年代の憲法改正の際に導入された経験があります。

 今回の憲法改正で最も根本的な変化の一つが「チリ国家と先住民族との関係を変えること」であり、それを通じて「国家の在り方それ自身が変わること」だと言われています。

③「中絶の権利」の保障、「性と生殖の権利」の明記

 チリでは、2017年に3つの理由(①胎児の生存危機、②性的暴行、③母体の命の危険)に限定して中絶の非処罰が認められるようになりました。裁判所は、例外なき中絶の処罰化は女性の人権と対立していると判断しています。

 こうした状況、及びラテンアメリカでの中絶の合法化への流れを受けて、新しい憲法案では、すべての人が「性と生殖の権利」を持つとしています(61条)。

 その中で、「自分の身体、セクシャリティや産む・産まない」などについて、情報を得て自由で自主的かつ差別のない形で権利の行使を認めています。同時に、自発的で保護された妊娠や出産、さらに自発的な中絶に関しての諸条件を国家が保障することを義務づけています。

 ただし、中絶が可能とされる期間や処置の安全性確保などについては法律による規制を受けることにはなります。

④「社会民主主義的国家」の中身:社会保障、医療、教育などについて

 2019年10月の社会的抗議行動が激しくかつ全国的に拡大した背景には、従来の社会経済モデル(新自由主義的モデル)によって人々、とくに貧困層の生活が苦しくなったことがあります。

 その下にある1980年憲法は、教育、医療、年金といった社会的サービスの供給に関して、国家(公共)よりも民間セクターの役割を強化することを謳っていました(公共サービスの民営化による競争、公共部門の弱体化)。

 こうした動きを逆転するために、新しい憲法案では、チリ国家を「社会民主主義的法治国家」と規定することで、人権を保障するための財とサービスの供給を国家に義務づけるものとなっています。

 教育、住宅、医療、社会保障、労働について気を配ることを「国家の義務」とすることは、チリの社会経済モデルのパラダイムチェンジを意味しています。

 社会保障では、新しい憲法案は、法律に基づいた公的な社会保障制度の制定について規定しています(45条)。財源は、国の一般収入と労使の義務的な拠出金によるとしています。現行の民間の年金基金運営会社(APF)による確定拠出型年金のような民間の給付者についてはとくに条文では言及されていません。

 医療では、国民医療制度については、誰もが受けられる普遍主義、公的で統合されたものであると規定しています(44条5項)。その中には民間の提供事業者も含まれることが可能ですが、その条件については法律によって決められるとしています。ただし国家には公的医療の発展・強化に留意することが義務とされています。制度の財源は、国の一般収入と、法律による加入者からの義務的な拠出金によるとされています。

 教育では、「教育は国家の基本的かつ避けられない義務である」(35条)としています。

 続く36条7項で「公教育が全国教育システムの戦略的軸を構成する。」「公教育システムは、世俗的(非宗教的)、無償を性格とする(略)」ことが規定されています。さらに高等教育機関(大学や職業機関や技術養成所など)では、「あらゆる形で利益を上げることが禁じられる」(37条1項)として、営利活動に制限が課されています。

 その他にも、家事労働やケア労働を「社会的に必要不可欠な労働」として承認する(49条)、ケアする/ケアを受ける権利(50条)、適切で尊厳ある住居の権利(51条)、などが条文として含まれています。

⑤水に関する人権規定

 水については、すべての人にとっての人権であると規定しています(57条)。140条では「水は命や人権と自然の行使にとって不可欠である」としています。

 また、水は「自然の共有財」の一つ(他には空気、海など)と位置づけられ、これらは「所有できない」と述べられています(134条3項)。その上で、国家がその保護・保存などの義務を負うことが書かれています。

 持続可能な利用を目的として「全国水道庁」の創設(水専門の分権的な行政機関)を謳っています(144条)。

 BBCの記事では、水問題の深刻さについて言及されています。大規模な干ばつが起こっており、数多くのコミュニティが水不足の非常事態に直面しています。地方では給水トラックでの配給に依存しているところがあり、首都のサンティアゴでも水の制限がなされる可能性もあると書かれています。つまり、水の使用、アクセス、保存といった問題は、大きな社会問題となっていることが背景にあります。

 新しい憲法案では、自然に対する権利までも認めています(127条)。反対に、それを保護し尊重する義務が国家と社会にあると規定しています。

⑥政治制度の変更

 新しい草案では、大統領の資格について、年齢を現在の満35歳から30歳に引き下げています。任期については、現在と同じく4年のままですが、一度だけの連続再選を認めています(現在は不可)。

 立法府については、現行憲法では、下院と上院の2院制をとっていますが、新しい案では、下院はそのまま存続しますが、上院をなくして新たに「地方院」を創設するとしています。

 「地方院」は「審議機関」であり、選挙で選出された地方の代表者によって構成されることになっています。その主な役割は、「地方の取り決め(協定)に関する法律の形成に参加すること」、「その他憲法によって任された権限を行使すること」と書かれています(254条)。議員の定数などの詳細については法律によって決められることになります。

 「地方院」に専属する権限としては、「下院が行う告発を審理すること」が書かれています(255条)。

 これには、政治権力の中央への集中度を下げて、分権化とより民主的な制度を強化する意図があると見られます。

 その他にも「参加型民主主義」の強化を図る条文を設けて、直接民主主義的な方法を取り入れることを掲げています(153条)。

(3)国民投票へ向けて

 一方で、制憲議会で議論されたけれども反対が強くて盛り込まれなかったテーマもあります。例えば、鉱物資源の国有化や、自由貿易協定に対する消極姿勢などです(日経新聞2022年7月5日夕刊)。

 今後は、9月4日の国民投票に向けて、承認派と否決派の運動・対立がますます激しくなることが予想されます。世論調査CADEMによる調査(8日付)では、反対が53%(前回より2ポイント上昇)、承認は35%(前回より1ポイント上昇)、わからないが12%(3ポイント下落)と、不承認がリードしています。

 また、新しい憲法案に対する感情についての問いには、「期待」(35%)よりも「不安/怖れ」(61%)が多数を占める結果が出ています。

 6日の運動開始から承認派は、「承認はチリを団結させる」というスローガンを掲げて運動を展開しています。軍事独裁期の憲法と決別し、新しい民主主義の憲法の下で再スタートすることができるかどうかはまだわからない状況にあると言えます。

2022年7月13日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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