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キューバ 苦境が続く観光業

前回(「キューバ 回復の兆しが不透明な経済状況」)では、キューバ経済の現状として、インフレと賃金の動向について概観しました。今回は少し角度を変えて、観光業の現状についてまとめてみました。

(1)観光業の最近の動向

キューバ経済にとって観光業は、社会の主な収入源、貴重な外貨獲得源の一つとして戦略的な重要性を担ってきた産業です。それ以外の主な外貨獲得源としては、海外在住キューバ人からの送金、専門職サービスの海外輸出(医療従事者など)があります。

観光業の動向を見ることはキューバ経済の今後を考える上で必要不可欠とも言えます。それでは、今年に入ってからの観光業に関する統計データを引用してみます。

5月13日(火)に国家統計情報局(ONEI)が公表した報告によると、2025年第1四半期(2025年1月~3月)におけるホテルの稼働率が、24.1%でしかなかったことが明らかにされました(2024年同時期は35.6%)。つまり、昨年同時期と比較して11%のマイナスということです。

しかもこの数字がより深刻であるのは、この時期が観光の「ハイシーズン」(繁忙期)に当たっているからです。一般的にキューバ観光のベストシーズンは乾季の11月から4月と言われています。

次に海外からの観光客数の動向についてです。

海外からの訪問客数は、25年第1四半期が57万1772人でした。24年第1四半期が80万8941人でしたので、昨年同期比の70.7%、30%近い減少となっています。

同じ時期の主な国別の観光客数の減少率を見ると、ロシア(50.1%減)、カナダ(31.8%減)であり、国ではありませんが海外在住のキューバ人についても(20.4%減)となっています。
※ここで言う「海外在住キューバ人」は定義上「観光客」として扱われている人々のことを指しています。

カナダは30%を超えるマイナスを記録していますが、実際の数では27万2274人であり、依然としてキューバを訪れる観光客の国の中では第一位となっています。その次に多いカテゴリーが国ではありませんが、海外在住のキューバ人(5万9896人)、続いて、米国(3万9447人)、ロシア(3万3395人)、ドイツ(1万7242人)、フランス(1万4746人)、アルゼンチン(1万2275人)、メキシコ(1万1592人)、スペイン(9827人)、イタリア(8913人)と続いています。

一方、トルコと中国からの観光客は増えており、増加率がそれぞれ、32.8%と18%を記録したと報じられています。

観光客数の減少とともに、宿泊日数も28.5%の減少となり、国営の観光施設の収入についても21.5%の減少となっています(いずれも昨年同時期比)。

ちなみに海外からの観光客数の推移ですが、2020年と2021年は新型コロナ・パンデミックの影響で大きく減少しましたが、2022年には160万人と回復し、2023年には240万人に増加しました。

しかし昨年については、政府は300万人以上の受け入れを見込んでいたのが、220万人にとどまり、23年よりも減少して終わりました(23年より約9.6%減)。

新型コロナ・パンデミック以前の数年間は、年間400万人を超える観光客(2017年には約470万人に達した)が訪れていました。とくに2019年の約430万人と比べて昨年の数字は50%近い減少となっており、現在のキューバ経済の危機的な状況を端的に反映しているとともに、そこからの立て直しが容易でないことがこれらの統計数字から伺えます。

政府は今年の海外からの観光客数を260万人と見込んでいますが、先の統計データからはその目標達成も危ういと見られています。

専門家の見解では、こうした観光業の苦境を招いている要因として、必要な物資を保証できないという経済的な問題のほか、電力危機の影響、航空路線の減少、米国政府による制裁といった様々な要因が重なった結果であるとされています。

対照的に、ドミニカ共和国やジャマイカなどの同じカリブ海諸国が、高品質のサービス、競争力のある価格、近代的なインフラ設備などの提供によって観光客をひきつけていることから、キューバ政府の観光政策の不備を指摘する向きもあります。

いずれにせよ、国の重要な収入源の一つであり、政府が戦略的にも力を入れてきた観光業の現状からは、現在の経済の危機的な状況からの立ち直りがいかに難しいかが浮き彫りになっています。

(2)政府の分析と政策上の問題

政府の観光業に対する政策はどうなっているのでしょうか? 次にそれを見てみます。

観光業全般にわたる政府の政策を述べることはできないので、ここでは政府による国家投資の動向について触れておくことにします。

ONEIのデータによれば、2024年の分野別の国家投資の額を見ると、全体の4割近く(37.4%)が観光とホテル業に関連する事業(※)に割り当てられており、これは教育と医療分野に割り当てられた合計額の12倍超に上っています。

※項目としては①「企業サービス、不動産、賃貸」(249億730万ペソ)、②「ホテル、レストラン」(119億3650万ペソ)の合計が368億4380万ペソ。「教育」(9億9390万ペソ)、「医療・社会扶助」(19億7740万ペソ)で、合計が29億7130万ペソ。国家投資の総額は985億6950万ペソ。

これは、政府が国の経済をけん引する原動力としてこの分野を位置づけていることの反映であると言えますが、先に見たようにそれに見合ったような結果をもたらしていないとも言えます。

キューバ人経済学者のペドロ・モンレアル氏(スペイン・マドリード在住)は、この投資計画について「国家投資の慢性的な歪み」を反映したものと批判的な見解を示しています。

とくに国民生活に直結するような分野(教育、医療のほかには食料生産としての農牧畜業など)との優先順位の付け方、投資バランスに偏りが見られるのは明らかであり、それに対する批判や疑問の声が上がるのもやむを得ないように見えます。経済全体が悪化して国民生活が苦しさを増している中ではなおさらと言えます。

ホテルなどの観光施設の建設ブームは新型コロナ・パンデミック以前からの傾向を引き継いでいると言われており、現在のようにプラスの効果が十分には見られていない中でもその傾向が維持されていることは問題ではないかと思います。

キューバ政府(担当当局)も観光業の現状について、燃料価格の上昇や航空会社によるキューバ行きフライトのキャンセル(減便、運休)などの問題があることや、さらに現在の経済状況の悪化が観光業に影響を及ぼしていること(例えばホテルの供給についての遅れ、燃料不足による交通障害、停電による賃貸物件への影響など)は認めてはいます。

その他の外的要因として、米国政府による制裁措置、とくに第1次トランプ政権時の2019年にクルーズ船の入港が禁止されたことが大きな影響を与えたことなどを指摘しています。

2023年に公表された観光省の年次報告書の中では、2022年の観光分野の問題として、「主に食料、飲料、物資の不足、サービスの悪さ、観光地でのレクリエーション活動や娯楽の不足、施設のメンテナンスの悪さ、インターネットサービスの不安定さ」により、一連の品質上の問題があったことを認めています。

その他に構造的な問題として指摘されているのが、ホテルの部屋の「故障」についてです。具体的には、空調設備(エアコン)が正常に機能していない、シャワーが水漏れするなど、宿泊客の快適さを損ねる部屋が一定数存在していることです。

これについては年ごとの正確なデータは公表されていないようですが、新しくホテルが建設されたとしても、このような実際に機能不全にある部屋の改善がなされていかなければ、限られた投資資金の一定額が「無駄」になってしまうのではないかと懸念されます。

ホテルの年間の平均稼働率の推移を振り返ってみても、新型コロナ・パンデミック以前の2019年でさえ、48.2%、2017年でも56.9%です。先に見たように「ハイシーズン」でも稼働率が30%に届いていない現状で新たな宿泊施設の建設に資金を投じることの是非が客観的なデータをもとに議論される必要があります。

前述したペドロ・モンレアル氏は以前から、国民生活に直結する食料供給に不安がある状況下で新しいホテルの建設への投資を進めることに疑義を呈しています。その上で「現在の投資パターンを変える」ことを訴えています。

その他にも観光業との関連で言えば、リゾート地以外のインフラ設備の脆弱性などを観光業の不振の原因として指摘している専門家もいます。

国家資金が限られている中で、どの政策分野に優先的に資金を投じていくのか、全体のバランスを図りながら決めていくのは、まさに生活と直結した政治の課題であり、投資結果の検証と評価を踏まえた上での政府の姿勢が問われているのではないかと思います。

2025年5月27日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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キューバ 回復の兆しが不透明な経済状況

(1)政府による今年の経済予測

昨年12月に開かれた人民権力全国議会(国会)において、ホアキン・アロンソ・バスケス経済計画相が、今年(2025年)の経済見通しについて報告し、国内総生産(GDP)の成長率に関しては約1%のプラス成長を見込んでいると述べました。

キューバ経済は、2023年がマイナス1.9%、2024年については正式なデータが公表されていませんが、マイナスだったとして、2年連続のマイナス成長であったことを政府が認めています。

※従来は12月の国会でその年のGDP成長率(速報値)が報告されていましたが、昨年は具体的な数字について言及がありませんでした。

マイナス成長が続いている主な要因として挙げられているのが、①燃料不足と電力インフラの劣化による停電の長期化、②高いインフレ率の継続、などです。

とくに①は生産活動の低下を招くとともに、市民の日常生活にも悪影響を及ぼしています。さらに住民にとっては、②の長引く物価高がこれに追い打ちをかける形となっています。

政府は、今年のプラス成長の根拠に、観光業の回復、輸出収入の増加、国家電力システム(SEN)の安定化などを挙げています。しかしその根拠がうまく機能するかどうかについては疑問視する声が少なくありません。これと合わせて市民の生活にとっては、今後のインフレ動向も気になるところだと言えます。

今年に入ってすでに第1四半期(1~3月)が過ぎましたが、今回は現在のインフレがどうなっているのか、それと合わせて働く人の賃金がどうなっているのかについて、わかる範囲で見ていきたいと思います。

(2)長引くインフレに変化の兆し?

今年3月のインフレ率について、前年同月比で20.62%であったことが、国家統計情報局(ONEI)によって報告されました。この数字は過去数年間の中で最も低く、7カ月連続でインフレ率(前年比)が30%を下回る状況になっていると報じられています。

このようにインフレ率の伸びには一定の緩和傾向が見られるものの、依然として高い水準にあることには変わりがなく、市民生活への悪影響が引き続き懸念されています。つまり、政府のインフレ対策がこの状況を十分にコントロールできていない現状が見えてきます。

3月のインフレ率の変化を前の月(今年2月)と比較してみると、1.22%の上昇幅でした。2月の上昇幅(今年1月との比較)が2.75%でしたので、幾分下がっていることがわかります。3月までの6か月間(半年)で、前の月より上昇幅が小さかったのは3月が初めてだということです。

これが傾向的なものかどうかは、今後の動向を注視する必要があります。物価高のペースが緩和されてきているとは言っても、2020年以降で見ると、キューバの物価水準は3倍になっていると報じられています。

実際、ONEIの報告では、国民の収入の9割以上が、消費者物価指数(CPI)の算出基準となる基本的な財とサービスの品目を消費する部分にあてられていると述べています。つまり、国民が日常生活を送る上で必要なモノやサービスを手に入れるので精いっぱいといった状況にあることがわかります。

(3)賃上げでも基本的な生活水準をカバーできていない

同じく、ONEIが4月18日(金)に公表したデータによると、キューバの国営部門で働く労働者の平均月給が2024年に25.6%アップしたことが報告されています。国営部門の平均給与は5,839キューバ・ペソでした。

ただし、この賃上げだけでは、キューバの平均的な家庭の必需品の費用をカバーするのには十分ではないと言われています。

というのも、このアップ率は、フォーマルな市場で記録された2024年の年間インフレ率(前年比で24.88% 推計値)をわずかに上回ってはいますが、先に見たようにインフレによる生活費の高騰によってほぼ相殺されてしまうことは明らかだからです。

しかも、公式のインフレ率には、商品の供給が豊富と言われるインフォーマルな市場での価格上昇は反映されていないので、実際のインフレ率はこれ以上に高く(3ケタに達する可能性があるとも言われる)、統計データと日常生活の現実との間にはかなりのギャップが生じているとも指摘されています。

スペインのEFE通信社によると、賃上げによる実際の購買力の増加は、年1%にも届いていないとしています。

また、キューバ人経済学者のオマール・エベルレニ・ペレス氏によると、配給制度で補助される食料品を考慮に入れたとしても、2人世帯が生活に必要とされる基本的な食料品(17品目)を賄うには、平均月収の4倍以上が必要だということです。

続いて、部門別、県別の給与格差についても見ておきます。

ONEIのデータによると、最も給与の高い部門はガス、水道、電気供給部門で、平均給与は9,317ペソとなっています。反対に低い部門は、清掃業務などのコミュニティ・サービスなどで、平均給与が4,033ペソとなっています。

別の報道では、コミュニティ・サービス部門では、人手不足や業務に必要な資材不足などから作業環境が一段と厳しくなっていることが伝えられています。

その他では、医療従事者と教育従事者の平均給与はそれぞれ6,154ペソ、5,451ペソとなっています。

県別では、最も高いのはハバナ県の月平均6,449ペソ、最も低いのは東部のサンチャゴ・デ・クーバ県の5,123ペソと報告されています。

ここまで非常に簡単ではありますが、最近のインフレと賃上げの動向について概観してみました。

キューバは近年、食料品だけでなく、医薬品や燃料(ガソリンなど)といった基本物資が不足し、長期にわたる停電が続くなど、4年以上にわたって複合的な経済・エネルギー危機に直面しています。外貨不足により基本物資を海外から調達することも困難です。

その要因としては、新型コロナ・パンデミックによる影響の長期化、第1次トランプ政権時から続いている米国政府による対キューバ経済制裁の強化、さらにキューバ政府による経済政策がうまく機能していないことなどがあり、それら複合的な要因が絡まり合っていて、キューバ経済の構造的な問題がより深刻化していると言われています。

その解決が一筋縄でいかないことは容易に想像できます。しかし、実態を反映した、より正確な現状分析に基づいて、地に足の着いた経済政策を実行しながら、住民の信頼を回復していくことが何よりも必要なことではないかと思います。

2025年4月27日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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アルゼンチン 退職した年金生活者の闘い

数か月前から毎週水曜日、退職した年金生活者のグループが国会前で抗議活動を続けています。それはミレイ政権の財政緊縮政策による生活水準の低下に対する抗議であり、生存権の保障を求める闘いです。

(1)3月12日、デモ隊と警官隊の衝突が発生

そうした中、3月12日(水)の行動には、退職した年金生活者の行動を支援するために、数百人のサッカークラブのサポーターたちが参加しました。他にも労働組合なども参加していました。

この日の行動では、投石などを行うサポーターや国会議事堂周辺の道路を占拠した抗議者たちと、これを追い払う目的で、放水砲、催涙ガス、ゴム弾、警棒を使用した治安部隊との間で激しい暴力を伴う衝突事件が発生しました。

その中で、フリーランスの写真ジャーナリストであるパブロ・グリロさんが最もひどい重傷を負ったことが報じられています。

父親のファビアン・グリロさんによると、衝突の最中に警官の写真を撮影していたところ、催涙ガス弾が頭に当たり、頭蓋骨を骨折したということでした。そのため、パブロさんは緊急入院を余儀なくされました(3月13日の報道)。

パブロさんを警官が撃つ瞬間の動画がソーシャルメディアで共有されたほかにも、杖で身を守ろうとした女性の年金生活者に対して、警官が催涙ガスを発射する瞬間をとらえた動画も拡散されており、警官隊による過剰な弾圧の実態が明らかにされています。

今回の事件に対してパトリシア・ブルリッチ治安相は、抗議者の中には、サッカークラブの最も暴力的なファン層(フーリガン)が含まれていると述べ、「デモに参加した人の多くは、人を殺す覚悟で来ていた」と一方的に非難し、警察による弾圧行為を正当化しました。

当局の公式発表によると、当日は124人以上の人が逮捕され(うち90人以上がすでに釈放済み)、警察官26人を含む少なくとも46人が負傷したと報告されています。また、警察車両2台も放火され、数十個のゴミ箱も放火されるなどの被害が発生しています。

(2)抗議行動が続いている背景について

アルゼンチンのハビエル・ミレイ大統領は、政権発足以降、インフレ抑制を目的として、過去に前例のないほどの公共支出削減策を実施しています(「財政赤字ゼロ」計画。「チェーンソー」政策と呼ばれている)。これにより、最も大きな悪影響を受けているのが、退職した年金生活者たちです。

とくに高齢者は、実際にかかる生活費の負担が増える中で、購買力の損失を被っただけでなく、これまで無料であったり、割引が適用されていた医薬品の購入についてもその条件が変更されたことで、入手することができなくなる事態に至っています。

さらに、昨年3月から政府は、これまでは退職者が受け取ることのできた年金のボーナス支給を凍結しました(一定の所得条件付きの下で最低年金から段階的に支給される形に変更)。

報道によると、アルゼンチンでは、定年年齢が女性60歳、男性65歳となっており、退職者の人数は約740万人で、総人口の15.7%を占めています。また、退職者の63.5%が最低年金を受給しています。

問題は、この最低年金額(基準をもとに額を算出)では日々にかかる基本的な生活費を賄うことができないということです。

法律で保障された独立組織であるブエノスアイレス市オンブズマン機関の調査によると、上記のボーナス支給を含めた最低年金額では、生きていくのに必要な収入額の3分の1にも満たないことが公表されています。

インフレ率の伸びは鈍化しているとは言え、上昇し続けていることには変わりないため、算出される年金支給額の伸び率が上がっても、インフレ率よりも低いために実質的な所得は減っているのが実際のところです。

※このデータは高齢者の住宅費を含めたもので、ブエノスアイレス周辺の高齢者が多い地区をサンプルとしています。

さらに、今年の3月23日以降、年金制度への拠出期間(30年)を満たしていない労働者に対して、法的に認められてきた支払い猶予期間の終了が決定されたため、これらの労働者たちは退職年金を受け取ることができなくなります。

この人たちの中で「社会的に脆弱」とされる人たち(証明が必要)は、高齢者向け国民年金(非拠出型)の受給資格を得ることができますが、この年金の支給開始年齢は65歳以上となっているため、とくに定年年齢60歳となっている女性たちに与える「影響が大きい」と指摘されています。

そのため、高齢になっても働き続ける必要があり、しかも見つけられたとしても低所得の仕事に就かざるを得ない状況がつくられています。

(3)過剰な弾圧を貫く政府の姿勢

このような「人道上の危機」とも言われる、ミレイ政権による「生存権の侵害」に反対し、十分な生存権の保障を求めて、2024年半ば以降、先の国会前の抗議行動が続けられてきたわけです。

その中で、抗議行動にサッカークラブのサポーターたちが参加するきっかけとなる事件が起こりました。それは、アルゼンチンのサッカークラブである「CAチャカリタ・ジュニアーズ」のシャツを着た一人の退職した高齢男性が、警察の警棒と催涙スプレーの使用によって負傷させられたという事件でした。

事件発生の翌週には、弾圧を受けた当人に伴ってそのクラブのサポーターたちのグループが抗議行動に参加しましたが、ここでも再び警察による弾圧を受けました。

こうした事態に対して、様々なサッカークラブのサポーターたちに抗議デモへの参加を呼びかけるアピールが広がりました。今回の衝突が発生した3月12日のデモに対しても、全てのサッカークラブのサポーターの参加を促す呼びかけがソーシャルメディアを通じて広まり、注目を集めていました。

サッカークラブのサポーターたちが抗議行動に参加している背景として、ソーシャルメディア上では、かつてのアルゼンチン・サッカーのスーパースターであったマラドーナ氏の言葉が引用されていることが報じられています。

それは、1992年当時、国家最高司法裁判所前(マラドーナ氏がそこにいた)で行われた退職者たちの抗議活動について尋ねられた際に、マラドーナ氏が答えた発言内容です。

「私は退職者を擁護する。どうして彼らを擁護しないでいられようか? 退職者を擁護しないのは憶病者でしかない。」

ソーシャルメディア上では、このマラドーナ氏の言葉を引用しながら、抗議行動に賛同するコメントが多く寄せられている一方で、行動には暴力沙汰や犯罪行為を行うフーリガンもいるとして非難するコメントも上がっています(BBCの2025年3月12日付配信記事より)。

先述したように、パトリシア・ブルリッチ治安相は、この日の抗議行動を「フーリガンが参加している」とした上で、「今日のことは異常で深刻だ」とコメントしました。

さらに「政府を打倒するために政治的に団結したこれらの人々は、今回、人を殺す覚悟でやって来た」とも述べています。

12日の朝には、公道でのデモ中に暴力行為に参加した者はサッカースタジアムへの入場を禁止するとの新たな決議を政府が承認したと警告を発していました。

ブルリッチ治安相は、退職者とその支援者に抗議する権利はあると認めていますが、道路を封鎖する権利はないとして、この行為を禁じています。

アルゼンチンでは、長年にわたり抗議活動の一つの方法として「ピケ」と呼ばれる「道路封鎖」が実施されてきましたが、ミレイ政権はこれを許さないとして徹底的に弾圧しています。それを評価する声がある一方で、デモ参加者に対する過剰な弾圧を非難する声も強く上がっています。

強大な権力を行使できる側が、たとえその力によって一時的には抗議の声を押さえつけることができたとしても、その抗議が沸き起こる原因を解決するための努力を続けなければ、その声が止むことはないと言わざるを得ないと思います。

2025年3月23日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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アルゼンチン ミレイ大統領と「投資詐欺」疑惑

現在、仮想通貨「$LIBRA(リブラ)」を使った「投資詐欺」疑惑にミレイ大統領が関与したか否かに関して、連邦判事の調査が開始されています。今年2月に突如起こったこのスキャンダルについてまとめてみます。
なお、事態が現在進行中なので情報が古くなっている可能性がありますが、最初の概要ということでご理解ください。

(1)事件の概要

2月14日金曜日19時1分、ハビエル・ミレイ大統領が、自身のXアカウントに1つのメッセージを投稿しました。その内容は「$LIBRA(リブラ)」と呼ばれる新しい仮想通貨を宣伝する以下のような内容でした。

「リベラルなアルゼンチンは成長する!!! この民間プロジェクト(「$LIBRA(リブラ)」の発行)は、アルゼンチンの経済成長を促進し、アルゼンチンの中小企業や新規事業に資金を提供することに寄与します。世界はアルゼンチンに投資したいと考えています。」と書き、その下に「Viva La Libertad」プロジェクト(※)のリンク(vivalalibertadproject.com.)を貼り付け、最後に「$LIBRA」の文字で締めくくっています。

ミレイ大統領は、以前から「トークンエコノミー」(※)の推進を熱烈に支持してきました。

(※)「Viva La Libertad」プロジェクトは、アルゼンチンの経済成長を支援するプロジェクトのことで、仮想通貨「$LIBRA(リブラ)」はその1つとして導入されました。

「Viva la libertad」(自由万歳)という名称は、ミレイ大統領が演説の締めくくりに使うフレーズ(Viva la libertad, carajo!)に由来しています。

(※) トークンエコノミーとは、仮想通貨やブロックチェーン技術を基盤とした新しい経済圏のことを意味します。トークンとは「代替通貨」のことを指しています。仮想通貨はデジタル通貨、暗号資産などとも呼ばれています。

専門家によると、この投稿のあと、約4万人が購入を申し込んだことで「$LIBRA」の価値が急騰し、時価総額が40億ドルを超える事態となりました。

しかしそのわずか数時間のうちに、「$LIBRA」の価値は急落することになりました。それは、「$LIBRA」の初期保有者たちのグループが、約9000万ドル(「流動性プール」に預けられた資産の80%以上)を引き出した後に起こりました。要するに価値が上がったところで「$LIBRA」を売却して莫大な利益を得たことで暴落したということです。

※こうした行為は「ラグプル」と呼ばれています。「ラグプル」(英語名「ラグプリング」)とは、開発した暗号資産を宣伝・販売し、投資家などからお金を集めて価値を急騰させたところで売り抜け、資金が引き出された後の投資家には価値のない資産が残るという「出口詐欺」の一種です。

地元の報道によると、「$LIBRA」の最高値は4978ドルに達しましたが、数時間以内に0.99159ドルにまで急落したと書かれています。

こうした中、深夜0時過ぎにミレイ大統領は、先の投稿を削除し、Xに以下のような新しいメッセージを投稿しました。

「数時間前に、これまで何度もそうしてきたように、明らかに私とは何の関係もないと思われる民間プロジェクトを支持するツイートを投稿した。私はそのプロジェクトの詳細を知らなかったが、それを知った後、これ以上情報を広めないことに決めた(それで、ツイートを削除した)。」

しかしこの説明では「火消し」にはならず、今や大きな政治汚職事件に発展する可能性が出てきています。

翌週の月曜(17日)、ミレイ大統領は、地元のテレビ局TNとのインタビューの中で、この件に関する自らの責任を回避した上で、その仮想通貨の購入を宣伝したのではなくて情報を広めたと主張しました。

「もし君がカジノに行ってお金をすった場合、カジノとはそうした性質のものだということがわかっていたなら、どんなクレームをつけるだろうか?」と釈明しました。

「参加した人たちは自発的にそれを行った。これは私人間の問題であり、政府は何の役割も果たしていない」とも述べています。

今や、この案件は「巨大な仮想通貨詐欺」とも呼ばれています。BBCは3つの観点からこの事件について考察しています(2025年2月17日付のVeronica Smink記者の記事)。

(2)事件をめぐる背景と疑惑

まずは、「$LIBRA」を開発した関係者と、大統領との関係についてです。

「$LIBRA」立ち上げの推進者の一人が、ケルセン・ベンチャーズ社(米国に拠点を置く)のCEOである米国人起業家のヘイデン・マーク・デイビス氏です。

デイビス氏は、16日(日曜)、ソーシャルメディアに声明と動画を投稿し、自らがミレイ大統領のアドバイザーであり、アルゼンチンの資産のトークン化プロジェクトの中で「大統領とそのチームとともに働いている」と述べました。

今年の1月30日、デイビス氏は大統領官邸のカサ・ロサーダにおいてミレイ大統領と会談していました。会談後に大統領自身が、「アルゼンチンの技術開発を加速し、アルゼンチンを世界的な技術大国にする」ことが会談の目的だったと投稿しました。

デイビス氏は、「$LIBRA」の「主な支援者(スポンサー)」はシンガポールの技術起業家でKIPプロトコルの創設者であるジュリアン・ペ氏であると明言しました。ペ氏も昨年10月にミレイ大統領と会談しており、この新しい仮想通貨の失敗についてはケルセン・ベンチャーズ社に責任があるとしています。

デイビス氏は、「$LIBRA」の開始について「確かに計画通りにはいかなかった」との考えを明らかにしましたが、この仮想通貨に関して沸き起こった主要な非難の1つ、つまり、この仮想通貨が、「ラグプル」と呼ばれる手法を通した単なる詐欺ではないかという非難については否定しました。

デイビス氏は、手数料で得た資金を含む約1億ドルの資金を再投資することで、「$LIBRA」の「流動性」を回復させると述べ、「$LIBRA」を提供しているすべての仮想通貨プラットフォームに同様の対応を求めました。

「$LIBRA」の突然の崩壊に関して、デイビス氏は、ミレイ大統領がプロジェクトに対する支持を撤回し、その信頼性を損なったことに責任があると非難しています。

「パートナーたちは、(仮想通貨の)立ち上げについて公的な支持を獲得してきたし、今後も支援が続くと私に保証していた」と述べています。

ここでデイビス氏が述べている「パートナー」とは、マウリシオ・ノヴェッリ氏とマヌエル・テロネス・ゴドイ氏だと見られています。両名は、ミレイ大統領が政界入りする前に一緒に働いていたトレーダーだということです。

次に政治的および法的な影響についてです。

この事件が明らかになるとすぐに、野党勢力は、大統領に対する訴訟を起こすとともに、「巨大詐欺」への関与の疑いで議会での弾劾を求めています。

マリア・ロミルダ・セルビニ連邦判事の下に17日(月曜)に提出された刑事告訴状によると、ミレイ大統領が、「4万人以上を」だまして、「40億ドル以上の損害を与えた」「違法な団体」に加わっていたようであるとされています。

セルビニ判事によると、裁判は、詐欺容疑の告訴状に加えて、15~16日の週末にかけて大統領に対して提出された他の告訴状(公務倫理法違反の容疑など)も合わせて行われる見通しになっています。

その一方で、「祖国と社会主義のための同盟」(中道左派の野党)は、議会への弾劾要請を進めることを発表しました。この措置はまず委員会で検討されたのち、弾劾を進めるには下院で3分の2の賛成票を得る必要があります。

また他の野党勢力は、特別調査委員会の設置を要求すると発表しました。設置には単純過半数の賛成が必要となります。

「祖国と社会主義のための同盟」所属のイタイ・ハグマン議員は、「大統領は数百万ドル規模の詐欺に必要不可欠な関わりをした」とラジオ番組の中で指摘しました。

さらに、「そのお金が何に使われたのか、誰が利益を得たのか、そしてそのお金が『自由前進』(ミレイ大統領率いる与党)の選挙運動と何らかの関係があるのかどうかを調べるには徹底的な調査が求められる」とも発言しました。

こうした事態に対して政府の方は、「$LIBRA」とのつながりについて正式に否定するとともに、今回のスキャンダルに対応して2つの措置を講じました。

1つは、大統領府の声明によると、「大統領自身を含む国家政府のメンバーによる不適切な行為があったかどうかを判断するため、汚職防止局(OA)に直ちに介入を要請した」としています。

もう1つは、ミレイ大統領が特別捜査ユニット(UTI)の創設を発表したことです。UTIは大統領府(大統領の妹で右腕のカリーナ・ミレイ氏が率いる)の管轄下で活動し、事件の分析を担当する予定です。UTIは、暗号資産、金融活動、マネーロンダリングに関連する組織の代表者で構成されることになります。

最後に、ミレイ大統領と仮想通貨とのつながりについてです。

ハビエル・ミレイ氏は、大統領になる以前から長年にわたり、新しいデジタル通貨を支持していました。

しかもミレイ氏が暗号資産を宣伝したのは今回が初めてでないばかりか、そのトークン(仮想通貨)がスキャンダルに巻き込まれるのも今回が初めてのことではないと述べられています。

2022年2月、当時国会議員であったミレイ氏は自身のネットワーク上で、マウリシオ・ノヴェリ氏(現在は「$LIBRA」と関連している)の別のベンチャーであるビデオゲーム会社Vulcanoのデジタル資産を称賛しました。

「Vulcano game NFTgamingプロジェクトは非常に興味深い。大多数のプロジェクトとは異なり、長期的に持続可能な経済ダイアグラム(モデル化)である」とミレイ氏は語っていました。

(※)NFTとは、デジタル上にある無形の価値を証明するための仕組みで、デジタル資産管理データのこと。

しかし、このメッセージの発信から数週間後に、このプロジェクトに関連したトークン(仮想通貨)である「$VULC」の価値が暴落し大きな損失が発生しました。

また同じ年に、ミレイ氏は、あるラジオのインタビューの中で、投資プラットフォームである「CoinX」の宣伝で報酬を受け取っていたことを認めています。このプラットフォームは、「ねずみ講」による詐欺の疑いで非難され、同年、国家証券委員会はこのプラットフォームに対して投資助言活動を停止するように命じました(関連して4名が逮捕)。

ミレイ氏は当時、「CoinX Worldとそのチームのオフィスを訪問する機会に恵まれました。彼らはアルゼンチン人がインフレから逃れられるように、投資方法に革命を起こしています。ペソ、ドル、暗号通貨への投資をシミュレーションして利益を上げることができます。私に代わってCoinX Worldにメールを書いてください。そうすれば最善のアドバイスをしてくれます」とインスタグラムに投稿していました。

この時も、「だまされた」と感じた人々に対する責任について問われると、ミレイ氏は、これは詐欺ではなく、ただ自分の「意見」を述べただけと釈明しました。しかも、「ビジネスはよく組織化されていた」と明言していました。

このように、今回だけでなく、過去にわたって同じようなことが繰り返されてきたことがわかります。

今回のスキャンダルの事実関係の解明と責任追及が、どのような形で推移していくのか、その中でミレイ大統領の責任は認められるのかなど、まだまだ不明な点はありますが、少なくともミレイ大統領の政治的影響力に大きなダメージを与えるのは必至と思われます。事実関係を含めて、今後の展開を注視していきたいと思います。

2025年2月24日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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メキシコ 「トランプ2.0」に備える経済発展プラン

1月12日、メキシコのクラウディア・シェインバウム大統領は、昨年10月1日に就任してから100日が過ぎたのを記念して首都メキシコシティのソカロ広場で式典を行いました。

政権発足から100日についてのシェインバウム大統領に対する国民の評価ですが、世論調査(De Las Heras Demotecnia社が実施)では、「支持する」が80%と高い人気を示しています。

そして翌13日には集まったメキシコの高官や主要企業の幹部たちを前にして、政府が新たに策定した包括的な目標である「プラン・メキシコ」についてプレゼンテーションを行いました。この「プラン」は、その一週間後の1月20日に誕生する「トランプ2.0」(第2次トランプ政権)を前にして、メキシコ政府がどのように立ち向かっていくのかを示すための指針となっています。

米国のトランプ大統領は、昨年11月の時点で、メキシコとカナダからの輸入品に対して25%の関税を課す考えであることを明らかにしていました。また選挙戦では移民政策の1つとして、米国南部の国境を事実上「閉鎖」するなどの意向も示していました。

このように「トランプ2.0」の発足によりメキシコを取り巻く環境の不確実さが強まる状況において、シェインバウム大統領は、今回かなり野心的な経済発展計画を打ち出したと言われています。

(1)「プラン・メキシコ」の主な内容

この「プラン」について、メキシコ政府のホームページでは次のように説明されています。

国の発展に関する現在と将来のビジョンであり、13の目標から構成されています。その目的は、貧困と不平等をなくしていくことによって我が国を世界で最良の国にすることです。そのために総額2770億ドルにのぼる2000件の国内外からの投資計画の構成について検討しています。

13の目標というのは、以下のとおりです。

1. 国内総生産(GDP)を現在の世界12位から10位へ押し上げる。

2. GDPに対する投資の割合を25%以上に引き上げる。

3. 150 万人の新規雇用を創出する。

4. 「戦略的分野」(繊維・履物・家具・玩具)について、供給と消費の50%はメキシコ国内で行われるようにする。

5. 世界でメキシコ産品を15%増やす。

6. 公共の調達品の50%は国内生産品にする。

7. メキシコ製ワクチンをつくる。

8. メキシコでの投資手続きの期間を2.6年から1年に短縮する。

9. すでに創出されている者に加えて、毎年 15 万人の専門家と技術者を増やす。

10. 企業による環境サステナビリティを促進する。

11. 中小企業の30%が融資を受けられるようにする。

12. 世界で最も訪問される国のトップ5に入る。

13. 貧困と不平等を減らす。

さらにシェインバウム大統領は、今年1月から4月にかけて新たな行動を実施するための日程一覧を提示しました。

•1月15日から民間投資計画と100の工業団地(地区)創出の進捗状況を追跡する推移表が月ごとに作成される。

•1月6日から15日までに、企業・大学・政府の間で戦略的技術および科学開発プロジェクトに関する作業が開始される。

•1月17日、我が国の企業の移転に関する法令が公布される。そして手続きの簡素化とデジタル化に関する国内法案が連邦議会に提出される。

•1月20日から24日までに、国内のサプライヤー(仕入れ先)開発のための作業部会が始まる。部門ごとの輸入品、国内での生産品、奨励金などについて検討する。

•2月3日から7日までに、中小企業向けの開発銀行基金が発足するとともに、エネルギー消費のルールも開始される。

•2月17日から21日までに、「メイド・イン・メキシコ(Hecho en México)」ブランドがリニューアルオープンする。

•4月18日から19日にかけて、メキシコ銀行(中央銀行)・メキシコ銀行協会・連邦政府の間で中小企業の融資利用を年間3.5%増加させる協定を締結する。

シェインバウム大統領は、「メキシコ人一人一人に、計画があり発展すると知ってほしいし、近い将来に起こるかもしれない不確実性を前にしても、メキシコには計画があり、団結して前に進んでいくことを知ってほしい。」と述べています。

「近い将来に起こるかもしれない不確実性」というのは、直接の言及はありませんが、「トランプ2.0」の始まりを指しています。

また自身の任期である6年を超えても継続していく長期的なプランであることを望んでいるとも説明しています。

同じ政権を支えるマルセロ・エブラルド経済相は、この計画について「メキシコがこれから直面する新時代の航海図」であると述べました。

その上で、シェインバウム大統領とこの計画文書の作成に参加したことは「とても素晴らしい経験であった」と述べ、大統領と同じように、「当面は不確実性があるが、我々は互いに結び付いて、国家としての方向性を持っていれば、我々は前進していくだろう。」と発言しています。

(2)専門家の「評価」

次にこのプランを専門家たちはどう評価しているのかを見ていきたいと思います。

2025年1月15日付のBBCのウェブ記事に2人の専門家のコメントが載っていましたので紹介しておきます。

1人目は経済アナリストのマリオ・カンパ氏です。

まずこのプランについて、「少なくとも文章の上では、メキシコの過去40~50年間で最も大胆な産業政策である」と語っています。

もう1人は経済学者のカルロス・ペレス・リカルト氏です。

「今直面している不確かな状況に対しては良い反応」であると評価する一方で、どのように対処していくのかが明確にはなっていないとも指摘しています。

両者とも、このプランが中期的には期待できるという点で一致した評価を与えています。またカンパ氏は、この政策はかつてラテンアメリカで採用されていた「輸入代替工業化政策」とは異なるものであること、主に国内市場向けに焦点をあてたものであることを強調しています。

※「輸入代替工業化政策」は、ラテンアメリカ諸国では1950~60年代に採用されていた経済政策。一次産品の輸出に依存していた従属的な経済構造から脱却するため、この政策の下、海外から輸入していた工業製品を国産化することで経済発展を進めようとした。しかし産業育成のための財政負担や経済効率が低下するなど、うまくいかなくなり、放棄されるようになった。

そのことは、シェインバウム政権のプランの目的が、あくまでメキシコが米国の主要な貿易相手国であり、米国市場向けのサプライヤー(供給先)としての地位を維持することにあることからも明らかです。

また、メキシコにとっては、これまで中国から輸入していた品目を国内生産に切り替えることで中国の経済的影響力を低下させるという意味では対中国政策という側面も備えています。

※閣僚の説明では、現在の中国の輸出の10%はメキシコ向けであると述べています。

さらに、カンパ氏はこのプランが先に見たように非常に包括的なものであると評価しながらも、これに社会政策が伴うことの必要性を指摘しています。

例えば、専門的な技術を備えた労働者の育成についても、定着させるには職場の近くに住宅を備えることが重要であること、こうしたことが時に軽視されていると述べています。

他方、ペレス・リカルト氏は、このプランを実現するための巨額の予算を確保できるかどうか明確になっていないと疑問を呈しています。

ペレス氏は、トランプ大統領の任期が憲法上4年に限定されているため、1次政権の時とは違って、かなり攻撃的な性格の政策を実施する可能性があることを指摘しています。

「ドナルド・トランプに対して適切な対応や処方箋はない」とした上で、シェインバウム大統領が現在の環境の中であり得る最善を尽くしている」と評価しています。

この点について、カンパ氏も「プラン・メキシコ」が想定しているように進んでいく保証はないけれども、それでも関税引き上げなどの圧力に対する「交渉と防御の手段」としては「良い」という見方を示しています。

結局、このプランをこの時に発表したことの意味は、経済的なことだけではなく、「トランプ2.0」の始まりと厳しく向き合わなければならない状況の中で、先に国民に対して政府としての明確な姿勢を示し、国民の団結を呼びかけるという意味での効果をもたらすことにあったと言えるのではないでしょうか。

その上で、財政的な裏付けもそうですが、メキシコに生活する人々の声や認識を政策により反映させていくような働きかけが今後とも必要になってくるように思います。

2025年1月27日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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