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チリ 軍事クーデターから50年、人々の評価

(1)はじめに

今年は1973年の軍事クーデターから50年となります。5月31日に一つの世論調査(タイトルは「ピノチェトの影の下のチリ」)が公表されました。

これは、CERC- MORI(チリの世論調査機関)が、ピノチェトの軍事独裁時代、1973年の軍事クーデターについてのチリ国民の意見を調査する目的で、1987年(独裁政権の末期)から現在まで定期的に実施されてきたものです(コロナ禍のみ中断)。

調査は、チリの有権者を3つの世代に分けた中から代表して対面で行い、約1000件のデータをもとにまとめています(今年の3月に実施)。

3つの世代分けは、①独裁時代を経験している世代(53歳以上)、②民政移管以降(1990年から、ピノチェトが死亡した2006年)の世代(36歳~53歳)、③2006年当時未成年だった世代(18歳~35歳)となっています。

※(補足)歴史的経過

ピノチェトによる軍事クーデターは1973年9月11日に発生。目的は、冷戦対立の下、社会主義を選挙を通じて平和的に実現しようとした当時のサルバドール・アジェンデ政権を打倒することでした。これに伴い重大な人権侵害(殺害、拷問、失踪など)が引き起こされました。

その後ピノチェトを大統領とする軍事独裁が続きますが、1988年10月、憲法の規定により自らの統治期間の延長の是非を問う国民投票が行われ、反対多数で否決されます。ピノチェトへの賛成得票率は44%でした。

1989年の大統領選挙でピノチェト派の候補が敗れ、1990年に民政移管が実現。

その後、「コンセルタシオン・デモクラシア」(民主主義を求める政党連合)と呼ばれる中道から中道左派政党の連合による統治が2010年まで続きました。

ピノチェトは、大統領を辞任したのちも1998年までは陸軍最高司令官に留まりました(退役後、終身上院議員に就任)。同年、病気療養中のロンドンで逮捕されましたが、2000年に帰国。2006年に死去。

今回の記事は、BBCがこの調査結果について、CERC- MORIの創設者であるマルタ・ラゴス氏に行ったインタビュー記事(2023年6月6日付)を参照しながらまとめました。

なお、BBCの記事では、他のラテンアメリカ諸国における権威主義やポピュリズムの問題についても言及されていますが、ここでは割愛します。

(1)ピノチェト軍事独裁に対する人々の評価

今回の調査結果について、「軍事クーデターに正当性があった」と回答した人の割合が36%に達したことが海外メディアでも大きく報じられました。

軍事クーデターの正当性を問う設問は2003年からのデータがありますが、「正当性があった」の割合は、最低だった2013年(16%)からこの10年で20ポイントも増えています。

反対に、「いかなる正当性もない」との回答は41%(10年前は68%)と多いのですが、今回が最低の数値となり、両方の差は5ポイントに縮まっています。

これについて、報告書では「現在の経済的・政治的・社会的危機の下でピノチェト主義(支持)が復活しているようである」と指摘しています。

マルタ・ラゴス氏は、今回の調査結果について「とても驚きました。」「2023年ほど彼のイメージが良かった時はない。」と答えています。

例えば、調査の中で軍事クーデターの主要な責任者を問う設問について、ピノチェトと回答した人の割合の比較を見ると、2003年(24%)、2013年(41%)、2023年(22%)と今年が最も低くなっています。

上記の評価と世代との関係について、ラゴス氏は若い世代による影響を否定した上で、「ピノチェトに傾倒しているのは、旧世代の人々、つまり独裁政権の時代を生き、独裁制が秩序と安全をもたらすという、過去の間違った考えに基づいてノスタルジックな気持ちを抱いている人々」と見ています。

「これと対照的に、ピノチェトに批判的な見方をしているのは若い世代」と述べた上で、「問題なのは、若い世代のほとんどが、クーデターと独裁時代の状況、ピノチェトが行ったことを知らないことです。」「このままの状態が続けば、国民全体が独裁時代について十分に知らなくなる時期が来るでしょう。」と懸念を表明しています。

実際に調査報告を見ると、18歳~35歳の中で、「正当性がない」と答えているのは36%で多数ですが、「正当性があった」を選んでいる人も31%を占めています(残りは無回答)。

また、ピノチェト体制についての評価では、半数近くの47%の人が「良い所もあったし、悪い所もあった」と答えています。

この点について、ラゴス氏は「ピノチェトは純粋に悪いことだけを行ったのではないとする考え方が変わらず存在していることを裏付けている。」と述べ、「これは、民主主義政党の教育・文化上の失敗である。」とも指摘しています。

ラゴス氏は、「過去のデータからその変化について検討してみると、ピノチェトに対する決定的な判断は明確ではなく、その判断は社会的な出来事の影響を受けている。」と述べています。

今は、経済の停滞、移民の増加、治安の悪化などの問題にチリ社会が直面しており、その状況の下で人々の意識がより保守的かつ反動的なポジションになっていることが評価に反映されていると指摘しています。

その一方で、現在の評価がこれからも維持されることを示す証拠はないとも述べています。ドイツのナチズムと比較して、ピノチェト時代とは何であったのかについて、決定的ではっきりした判断(社会的合意)がないことが問題であると結論づけています。

その後の民主化との関係で言えば、ピノチェトは1998年まで陸軍最高司令官に留まり、民主主義体制の内部にピノチェトを支持する多くの代理人が存在し、事実上独裁者の存続を容認していたとラゴス氏は述べています。

「私たちの民主主義はピノチェト主義者によって浸食されており、2006年にピノチェトが亡くなってからも、ピノチェト主義(者)を政党や発言の中から取り除くためのことをしてこなかった。」と厳しい評価をしています。

その上で、「彼を支持した世代が今も生きていて、強く応援し続けている」ことによって、「いまだ、恐怖、胃の痛み、この問題を扱うことに対する抵抗感(ためらい)が残っている。」としています。

73年のクーデターの意味について、36%の人が「チリをマルクス主義から解放した」と答えています。これも2013年(18%)と比べて大きく増えています。一方、「民主主義を破壊した」と答えた人は42%でした(2013年は63%)。

軍事クーデターから50年という節目の年を迎えて、「根本的には私たちは何も前進していないのです。それどころか、我々は後退しており、今日ピノチェト主義者たちは厚かましくも自らを擁護している。」と批判しています。

(2)民主主義の中で生き続けるピノチェト体制との闘い

政治レベルでは、チリにはピノチェト主義を継承する政党がいま2つ存在していると述べています。

一つは、軍事独裁下の1983年に結成された独立民主連合(UDI)です(当初は独立民主連合運動)。

もう一つが、現在支持を伸ばしている極右の共和党(PLR)です。同党は、今年5月7日に実施された憲法審議会議員選挙で最多の議席を獲得しました。その他の右派政党にもピノチェト主義者がいると述べています。

ラゴス氏は、「ピノチェト体制は今も有効性を持っている。」と言います。少なくとも「独裁はOK」という言説を変えなければならないし、「ピノチェトは独裁者だ」と言わなければならないと訴えています。

このことは、この間の憲法改正のプロセスとも関連しています。ピノチェト時代の憲法(80年憲法)を引き継いでいる現行憲法を改正することに2021年の国民投票で国民の多数が賛成した点については、次のように答えています。

得票数を見てみると、そう(多数が賛成した)とも言えません。21年の国民投票は自由投票制で、投票した人の80%が憲法改正に賛成票を投じました。しかし、その時の投票率は50.90%(756万2173票)でした。つまり全有権者の約半分です。言い換えれば、憲法改正に賛成票を投じたチリ人は全有権者の約40%しかいないということになります。

一方、昨年9月4日に行われた国民投票(新しい憲法草案の是非を問う)は義務投票制でした(結果は反対多数で否決)。そのため投票数は1300万超でした(投票率は85.81%)。

この投票数の差が、民主的でリベラルな新憲法案を否決し、再びピノチェト主義を支持する票の掘り起こしにつながっていると考えられています。

では、ホセ・アントニオ・カスト党首が率いる共和党の台頭は、1973年の軍事クーデターに関するこうした意見の変化の結果なのか?という問いかけに対しては、次のように答えています。

「その因果関係を立証するのは非常に困難です。しかしデータを見ると、民主主義体制への移行期間を通じて、民主主義よりも権威主義を支持する人々がかなりの割合で存在していました。」

「そして、右派に位置づけられる人々の増加とともに、独裁体制のモットーである『秩序と安全』という考えが定着していきました。こうした層が、カスト氏と共和党の選挙における支持基盤であるように思えます。」

さらに、「このまま何も起こらなければ、次の大統領選でカスト氏が当選する可能性が高い。」と指摘しています。

この調査が公表された日と同じ5月31日に、ボリッチ大統領が自身のツイッターを通して、共和党の党員で新しい憲法審議会の議員に選出されたルイス・シルバ氏がテレビ番組でピノチェトを政治家として称賛する発言をしたことに対して、次のように発信しました。

「ピノチェトは独裁者であり、本質的に反民主主義者であり、彼の政権は、異なる考えを持つ人々を殺害し、拷問し、追放し、失踪させた。また彼は腐敗しており泥棒でもあった。最後まで卑怯であり、司法の裁きを逃れるために全力を尽くした。決して政治家ではなかった。」

この発言についての評価を問われて、ラゴス氏は、「チリの大統領がそう発言するのは初めてのことです。これがすべてです。これほど明確にこのような発言をした大統領は歴史上いません。」と答えました。

また、自身の言う「教育・文化上の敗北」の意味について、「以前からこうした具体的な形で言われていたならば、おそらくピノチェトのイメージは異なる形で定着していただろう。」と説明を加えています。

「もちろん、彼を擁護するエリート集団はつねに存在するでしょう。それは変えることができません。しかし、世論を変えることはできます。」と述べています。

ボリッチ大統領は、ピノチェト独裁末期の1986年2月に生まれました(調査で言えば、②の世代に該当)。彼を支える与党議員は、軍事政権下で行われた人権侵害の否認を罰する法案を提出し、問題の解決に向けて動き出しました。

こうした状況について、ラゴス氏は、「私たちの民主主義への移行は非常に異例であって、独裁者は国民投票で敗北しましたが、その後も民主主義の中に入り込み、張り付いたままです。したがって、権威主義的な立場が存在しているという意味で、チリ政治の中にピノチェト主義がまん延しているという問題を解決しない限り、不完全な民主主義という問題を解決することはできないでしょう。」と結論づけています。

2023年6月27日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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