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チリ 軍事クーデターから50年の今

1973年9月11日、ピノチェトによる軍事クーデターから今年で50年が経過しました。今回は、この日を迎えるに当たってどのような出来事が起こったのか、いくつかのトピックを取り上げてみたいと思います。

(1)強制失踪被害者に対する真相究明の課題

8月30日、ガブリエル・ボリッチ大統領は、9月11日のピノチェトによる軍事クーデターから50年目を迎える前に、軍事政権下における強制失踪の被害者のための全国捜索計画を正式なものとする法令に署名しました。

8月30日は国連が定めた「強制失踪の被害者のための国際デー」です。2006年に国連総会で「強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約」(強制失踪条約)が採択されたことがその由来になっています。

(注)「強制失踪」とは、「国の機関または国の許可、支援もしくは黙認を得て行動する個人もしくは集団が、逮捕、拘禁、拉致その他のあらゆる形態の自由のはく奪を行う行為」であり、「失踪者の消息もしくは所在を隠蔽することを伴い、かつ、当該失踪者を法の保護の外に置くもの」と定義されています。(同条約第2条より)

「民主主義とは、記憶であり、未来であることを私は確信している。どちらかが欠けても成り立たない。」

ボリッチ大統領は、大統領官邸(モネダ宮殿)で行われたセレモニーの中でこのように発言しました。セレモニーには政治家、人権活動家、被害者の家族などが参加していました。

「政府だけでなく国家として、強制失踪の被害者の失踪と死亡の状況を明らかにするために、あらゆる障壁を動かす責任が我々にはある。」との考えを大統領は示しました。

今回の計画の目的は、国家の責任と国際基準に従って、恒久的かつ体系的な形で強制失踪の被害者の失踪と死亡の状況を明らかにすることにあります。

こうした取り組みは、ボリッチ政権の初年度から「真実と正義のための全国捜索計画」として行われてきましたが、今回の法令はこれを恒久化するものです。

この計画は次の3つを目的にしています。

①強制失踪の被害者の失踪・死亡の状況と所在を明らかにする。
②強制失踪の被害者の捜索プロセスに関して、家族と社会の参加と情報へのアクセスを保障する。
③強制失踪の犯罪に対する賠償措置と再発防止策を実施する。

「この計画は、被害者の失踪経路を追跡し、司法捜査と協力し、記憶の定着と再発防止の保障を支援するものであり、刑事責任の確立を損なうことはない」との考えを政府は明らかにしました。

そのための予算も割当てて、政府全体で取り組むべき政策であることを強調しています。

これまでの様々な司法調査と、国が設置した委員会などの様々な機関の評価によると、ピノチェトが統治していた1973年から90年までの間に、少なくとも3200名の人が殺害または失踪となったことが分かっています。これらの犠牲者のうち、約1500人の遺体はまだ発見されていません。

そして推定ですが、以下の被害者数が明らかにされています。

・強制失踪の被害者:1469人(うち1092人は拘留失踪者に該当)
・遺体が引き渡されずに政治的に処刑された人:377人

政府の出した声明によると、これまでに司法当局は、加害者、共犯者、幇助者として国家公務員や民間職員に有罪判決を下したと述べていますが、その具体的な人数については明らかにしていません。

強制失踪の被害者のうち身元が特定されるに至った人の数は約307人に留まっています。計画では、1100人以上の拘留・失踪者の捜索を進めていくことになっています。

「被害者の家族が懸命に捜索している間、失踪者の妻、息子や娘、母や父、孫や孫娘らに対し、チリ国家からは何の説明も、敬意を表す行為もなかった。」と強制失踪者家族会のギャビー・リベラ会長は述べています。

(2)地下鉄運賃の値上げと、抗議行動の呼びかけ

上記の出来事に先立つ8月21日、首都圏の公共交通機関の運賃値上げ(10ペソ)に抗議して、中高校生たちが、首都サンティアゴの地下鉄での無賃乗車行動に再び立ち上がりました。

「再び」と言うのは、2019年10月に同じ闘争が行われたからです。当時はそれがきっかけとなって、「社会的爆発」と呼ばれる大規模な反政府の社会闘争へ、そして憲法改正プロセスへと発展していきました。この時の値上げ幅は30ペソでしたが、闘争によって値上げは凍結されました。

凍結されていた運賃値上げが8月20日から開始されました。チリの地下鉄運賃は時間帯で変動します。今回はピーク時が800ペソから810ペソに、バスについても700ペソから710ペソと、10ペソの値上がりとなりました。ちなみに地下鉄のピーク時は午前7時~午前8時59分、午後6時~午後7時59分の2回あります。

他に、谷(オフピーク)の時間帯が午前9時~午後5時59分、午後8時~同44分で運賃は730ペソ。また最安値の時間帯が午前6時~同59分、午後8時45分~午後11時で650ペソとなっています。

今回の値上げに当たり、政府(運輸大臣)は、補助金を当てて値上げを半額に抑えたと説明していました。また学生と高齢者については今年いっぱいは値上げが凍結されることもアナウンスされています。

値上げのアナウンスに対して、学生たちは、8月21日(月)から25日(金)までの期間、「逃走、騒乱、妨害週間」というスローガンを掲げて、いくつかの駅で自動改札機を飛び越えたり、改札機を破壊するなどの抗議活動を行いました。これにより駅が部分的に閉鎖されるなどの事態に至りました。

この事態に対して、運営会社と警察は協力して、170名以上のカラビネロス(武装警察)を配置して警戒に当たりました。

学生団体の一つは今回の行動に関連して、「生活の値段が上がっている一方で、最下層にいる人々は、ただ上流階級にのみ奉仕してきた政府のせいで苦しんでいる。」とのメッセージを発しています。

(3)憲法改正第2ラウンドをめぐる動き

続いて、昨年9月の国民投票で新憲法案が否決された後、仕切り直して今年から新たな形のもとで始まっている憲法改正第2ラウンドの状況について見ておきます。

詳細は省きますが、第2ラウンドでは、議会の関与が強化されるとともに、予め草案の前提となる考え方のすり合わせが行われています。

まず3月から成案のたたき台となる草案を作るための専門委員会(24名。主に法律家など。議会で承認)が動き出し、5月30日に草案が作成されました。

メディアの報道によると、草案では、チリ国家を「社会的民主主義の法治国家」と性格づけています。新しい内容としては、「立法過程への市民参加」の仕組みの導入、先住民を単一で不可分の国の一部として承認、政治参加における男女平等、その他、適切な住宅やディーセント・ワークへの権利保障、「環境保護、持続可能性と開発」といった章が含まれています。

この草案を受けて、国民投票にかける成案を作る機関が憲法審議会(現50名。選挙で選出)で、6月7日から議論が始まっています。

選ばれた議員の内訳を見ると、問題は中道を含めた右派の議員が多数を占めていることです。とりわけ、極右の共和党議員が22名(当選は23名でしたが1名不適格で欠員)で最多となっています。この政党は、ピノチェトを賛美する言動を見せたり、現憲法の改正は必要ないと反対の姿勢を示してきました。

憲法審議会の議論において共和党は、草案への追加として中絶の権利を制限する条文(胎児の命と母性は保護される)を提案しています。チリでは現在、3つの条件において中絶の権利が認められています。右派はそれを後退させて保守色を強めようと画策しています。

チリ初の女性大統領となったミチェル・バチェレ氏は「新憲法案が女性の権利で後戻りすれば、賛成票は投じられない」とラジオのインタビューで答えています。

(4)「人権のための大行進」と右派の否認主義への批判

クーデターが起こった前日の9月10日に、首都サンティアゴで被害者団体が主催した「人権のための大行進」に約5000人が結集して行われ、軍事独裁下の拘留失踪者の家族とともにボリッチ大統領も参加しました。

政府は平和的なデモを呼びかけていましたが、一部の参加者が大統領官邸のモネダ宮殿に投石(窓が割られる)、安全柵を破壊するなどして、警察との衝突が発生しました(警察は催涙ガスや放水銃などを使用)。

強制失踪や拷問、政治的に処刑された被害者の家族とのデモ行進について、ボリッチ大統領は「誇りを持って参加した。」とX(旧ツイッター)に投稿しました。「なぜなら、彼らの真実と正義のためのたゆまぬ闘いのおかげで、今日我々はここにいるからである。そう確信している。」と綴っています。

一方で、一連の暴力行為については大統領として「その不寛容さと暴力は、民主主義の中に含まれてはならない。これらの行為に加わった者は法治国家とその法に対立している。」と批判し、あくまでも「平和と対話で社会変革を進めていこう。」と述べています。

ボリッチ大統領は、9月11日に「サンティアゴ合意」という文書にすべての政党が署名するように働きかけましたが、右派政党はこれを拒否しました。

この文書は、権威主義の脅威や不寛容に対して、民主主義を大切にして守り、法治国家の憲法や法律を尊重することを訴えています。また、民主主義の課題にはさらなる民主主義で立ち向かうこと、暴力を非難し、対話と相違点の平和的解決を促進するなど、4つの項目からできています。

保守派のセバスティアン・ピニェラ前大統領は、最終的に文書に署名はしたものの、クーデターの主な責任は、少数でマルクス主義の社会モデルを押し付けようとした当時のアジェンデ率いる人民連合政権にあるとテレビのインタビューで発言しています。

こうした右派の態度に対して、デモ参加者の一人は、「右派の否認主義に我々は反対する。歴史を忘れることはできない。それでは歴史は前進しないからだ。」と声を上げています。

軍事クーデターという国家的暴力とその後のチリ社会を蝕んでいった新自由主義の脅威が、今なお影を落としています。歴史の事実を明らかにし、民主主義を確かなものにする粘り強い闘いが引き続き求められています。

2023年9月23日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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