10月22日(日曜)、アルゼンチンで総選挙が実施されました。この選挙では、正副大統領が選出される他、下院議席の半数、上院議席の3分の1が改選されます。この記事では大統領選挙についてまとめています。
各種報道によると、与党連合のセルヒオ・マッサ候補(現経済大臣、51歳)と、リバタリアン(自由至上主義)で右派のハビエル・ミレイ候補(下院議員、53歳)の上位2名が11月19日(日曜)に予定されている決選投票に進む結果となりました。
開票率98.51%の段階で、マッサ候補の得票率が36.68%、ミレイ候補が29.98%、3位のパトリシア・ブルリッチ候補が23.83となっています。ブリッチ候補は元国家安全保障大臣で右派の候補です。
アルゼンチンの大統領選では本選の前に候補者を選定する予備選挙が行われます。今回本選に進んだのは5名でしたが、事実上上記3名の争いと見られていました。
ちなみに、左派の政党連合「左翼と労働者戦線ー団結」のミリアム・ブレグマン候補の得票率は2.7%でした。投票率は77.65%でした(前回2019年と比べると約3.7%低い)。
1回目の投票で勝利するには、得票率が有効票の45%以上に達するか、得票率が40%を超えてかつ2位の候補と10%以上の差をつけることが条件となっています。今回はこの条件に該当する候補がいなかったため、上位2名による二回目の選挙(決戦投票)を行うことになりました。
アルゼンチンの政党政治は、歴史的に「ペロニズム」と「アンチペロニズム」という対立構造の下で展開されてきました。
「ペロニズム」についての詳しい説明については省略するとして、簡単に触れておきます。
1943年に発足した軍事政権において労働福祉庁長官に就任したフアン・ペロン(軍人)が労働者寄りの政策を推進し、第二次大戦後は大統領として中道左派的な政策を実行したことから、一般的に「ペロニズム」とは、ラテンアメリカの左派的「ポピュリズム」の代名詞として語られてきました。
現在でも、ペロンが結成した「正義党」(ペロン党とも呼ばれる)が最大政党として大きな影響力を持ち続けています。
今回の選挙で1位となったマッサ候補は、政党連合「祖国のための連合」から出馬しています。この政党連合は正義党を中心に左派の政党で構成されており、政治的傾向としては進歩派ないしは中道左派と言われています。マッサ候補はこの連合を構成する政党の一つである「刷新戦線」の党首です。また、現在のアルベルト・フェルナンデス政権(正義党所属)では経済大臣を担当しています。
今回の大統領選挙が国内だけでなく、衝撃を持って広く世界に知られるようになったのは、8月に行われた予備選挙の結果でした。
そもそも現職のフェルナンデス大統領は、経済の危機的状況(高いインフレと対外債務負担)の影響による支持率の低迷と、正義党内の対立が相まって今回の立候補を断念していました(大統領の連続再選は一回のみ可能)。
その結果、正義党からは候補者が立てられない事態となり、与党連合からセルヒオ・マッサ経済大臣が立候補して選挙を争うことになりました。
その中で行われた8月の予備選(8名で争った)で、まったく予想されていなかったハビエル・ミレイ候補がトップの得票率29.86%を獲得したことが大きなニュースとなりました。次点がマッサ候補の21.43%、投票率は70.43%でした。
ミレイ候補は、「自由前進」(自由は前進する)党の党首で、2021年から下院議員を務めています。それ以前は経済学者として活動していました。
ミレイ候補は自らを「アナルコ・キャピタリスタ」(無政府資本主義者)と称しています。思想的には自由市場を重視する考えを提唱しており、右派リバタリアン(自由至上主義)と見られています。今回の選挙での象徴的な公約が、国内経済のドル化(通貨ペソをなくす)と中央銀行の廃止です。
また、自らが「政治カースト」と呼んでいるもの(体制)に対する攻撃的な主張を繰り返し、ブラジルのボルソナーロ元大統領、米国のトランプ元大統領を称賛する発言を行っていることから「極右派」と見られています。
これまでにも、同国で合法と承認されている場合であっても中絶の権利は認めない(「殺人」と主張)、気候変動(地球温暖化)に対しては「ウソである」と主張しています。
彼を主に支持して票を入れているのは、30歳未満の男性で現状に不満を抱えている層であると専門家は分析しています。
今回の選挙の大きな争点は、危機的な状況にある経済をどう立て直すのか、です。
その一つが、対外債務問題です。現在アルゼンチンは国際通貨基金(IMF)に対して、約450億ドル(約6兆5000億円)規模の債務を抱えています。
これについては2018年に受けた融資の返済が期限までにできず、IMFとの交渉を行った結果、新たな信用許与による分割払いという形で支払うことで合意しています。
その代わりとして、合意した経済政策プログラムを実行しなければならず、IMFが定期的(四半期ごと)に行う「実施レビュー」をクリアーすることが必要です。政策プログラムの中身は、財政赤字の削減、輸出の奨励と輸入の抑制、通貨ペソの信用を高める(政策金利の引上げ)などです。
もう一つが高いインフレ率です。具体的に見ますと、アルゼンチン国家統計局(INDEC)が今月12日に発表した今年9月の消費者物価指数は、前年同月比138.3%の上昇となっています(前月比では12.7%の上昇)。インフレ(ペソの価値下落)を抑えるために中央銀行は利上げを続けていて、今では政策金利が133%に達しています。
こうした中で、貧困率(貧困ライン以下で生活している国民の割合)が引き続き40%台で推移しています(22年のデータは43.1%)。
中央銀行の外貨準備高も非常に厳しい状況にあります。今年8月のIMFのレビューによると、外貨準備高の純増(2021年末比)については、目標の65億ドルに対してマイナス47億ドルと報告されています。
(ジェトロ・ビジネス短信cc0707820a9e5ba0 2023年8月30日)
このような現状に対する不満の高まりが、8月の予備選において、極端な主張で現体制批判を繰り返すミレイ候補の押し上げにつながったと見られています。
その一方で、現在の経済状況を考えれば、今回の投票で現職の経済大臣が「逆転」してトップの票を得たことも大きな「驚き」だとして報じられています。
マッサ候補が経済大臣に就任にしたのは昨年7月末でした。ちなみにフェルナンデス政権がスタートしたのは2019年12月です。
同候補は、経済政策としては、ペソを防衛するための財政赤字の削減、国家介入型の経済モデルの堅持を打ち出しています。具体的には、「経済の安定化」を前提として、所得分配の拡大、公教育の拡大、大学への投資の拡大を進めていくことを謳っています。
こうしたアルゼンチンの政治状況について、ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領(左派)は、「アルゼンチンは解読不可能である」「アルゼンチンのようなインフレを抱えている国の経済大臣が大統領選を争うのをどう説明するのか?」と選挙前に語っていました。つまり、経済大臣こそが現在の事態の責任を問われるべきであって、その人物が次の大統領になろうとしているのが「不可解だ」ということです。
これは一つの「矛盾」とも言えます。BBCのニュース記事では、マッサ候補は、「彼が所属する政府の代表であると同時にオルタナティブ(別の選択肢)」としても自らを示さないといけないので、そのバランスをとるのが難しいと指摘しています。
そのためか、マッサ候補は大統領になれば、「現在の閣僚の少なくとも半分は変わることになるだろう」とテレビ番組で述べています。
11月の決選投票では、今回3位につけたパトリシア・ブルリッチ候補に集まった票の行方が影響すると見られます。この1ヵ月弱の間で世論がどう動くのか、注目していきたいと思います。
2023年10月25日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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