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チリ 新憲法案が抱えるジレンマ

11月7日(火)、ガブリエル・ボリッチ大統領は任期中に2度目となる新憲法案の受け取りを行いました。

そのセレモニーの中で、ボリッチ大統領は、「この憲法案によって、チリの大きなテーマ、つまり医療、教育、年金、労働、社会保障、環境、女性の権利の進歩、経済発展のモデル、天然資源、政治制度、民主主義の強化、文化的多様性の統合などの分野で私たちが直面している課題について、どのような形で取り組むことができるようになるのかを国民一人ひとりがじっくりと考えなければならない」と指摘しました。

その上で、「チリ国民は、これが我々を団結させる提案であるかどうかを決めなければならない」と落ち着いた様子で述べました。

ボリッチ大統領とその閣僚らは、新しい憲法案に対する自らの立場を明らかにしないように努めてきましたが、左派政党や与党が公表しているように、今回の草案に反対していることは明らかであると各種報道が伝えています。

左派が中心となって起草された前回の憲法案は昨年9月の国民投票で不承認(62%の反対)の結果でした。今回の草案を討議した憲法審議会は、一転して右派が主導権を取る形で進められた結果、保守色の濃い内容の草案となりました。

憲法審議会は6月7日からスタートして、10月30日に最終案を採決・決定しました。最終案は、全50議席のうち、右派からの賛成33票、左派からの反対17票により、承認されました(採決の基準は単純過半数ではなく、5分の3の賛成が必要)。

草案に対して左派が主張している批判点の一つは、チリ国家の性格規定に関するものです。新しい草案の第3条で「チリ国家は社会的で民主的な法治国家」と規定しており、この点については従来の草案と大きな違いはありません。

そもそも「社会的で民主的な法治国家」とは、左派の観点からは、貧困層など所得の少ない人々を支援する連帯の制度を作り出すための法的根拠となる規定です。そしてこれは、2019年10月に始まった広範な社会運動が求めてきたものでもあります。

そして、様々な社会的権利の提供において、これまでは民営部門に重要な役割を与えてきた「補助的国家」と呼ばれてきた現在の体制を変えるための規定でもあります。

しかしながら、医療や年金などの具体的な権利を規定した条文を見ると、現行の「個人資本化モデル」と呼ばれる制度を維持するものだと左派から批判が出されています。

※「個人資本化モデル」とは、例えば年金制度では、労働者が賃金から毎月決まった額の拠出金を積み立てて民間会社がその基金を金融市場で運用するモデルのことを指しています。

草案の条文を見ると、第16条28項-b「各人は自らの年金保険料とそれによって発生する貯蓄に対する所有権を有する。また、国営か民営かに関わらず、それらを管理し投資する機関を自由に選択する権利を有することになる。」と規定しています。

現行の民営による年金制度については、実際に年金の支給額が当初の予想を下回っていることで改革が求められていました。

医療についても、同様に「各人は、国営か民営かに関わらず、保護を受けたい医療制度を選択する権利を有する。」(第16条22項-b)と規定しています。

この規定によれば、医療制度が個々人の所得の程度に左右されてしまい、結果的に社会横断的に支える連帯制度の創設が妨げられることになると批判されています。

さらに今回の草案で大きな争点の一つとなったのが、「中絶の権利」をめぐる問題です。

条文では「命の権利。法律は胎児の命を保護する。」(第16条1項)としています。

チリでは2017年から3つの要因(母体の命の危険、胎児の生存不可能、性暴力による妊娠)に限定して中絶の権利が法的に認められる(非処罰化)ようになっています。

しかしこの条文が追加されたことで、現在の法律(中絶の一部容認)がこの条文に抵触して大きな影響を与える可能性が指摘されています。

この他の条文についても様々な問題点が指摘されていますが、ここでは割愛します。

来月実施される最終的な国民投票の結果に関して、ボリッチ大統領は、新憲法案が承認された場合には、政府がその制定と施行について、必要となる法令の整備を含めて間違いなく保障することを確認しました。

反対に否決された場合に憲法改正プロセスをどうするのかについては直接の言及はなく、政府は「人々の福祉ために、休むことなく、引き続き精力的に働き、政権運営を行うことに専念する」と述べるにとどまっています。事実上、3度目の可能性はないと見られています。

一方、今回の案を主導した右派側の評価を見ておきます。憲法審議会のベアトリス・エビア議長(右派、共和党)は、「この案は、個人が第一に位置し、それに奉仕するのが国家であるという(…)政治、経済、司法制度を導いていくべき原則と価値観を確立するのに必要かつ基本的な土台の上に構成されている」と肯定的に評価しています。

さらに、現在のチリ社会が直面している「大きな道徳的および社会的危機」に対して、この草案には「法の支配と法的な確かさを強化することで、…制度的・政治的に不確かな状況を終わらせる能力が備わっている」と付け加えました。

他方、憲法審議会に先立って草案のたたき台を作成する役割を担った専門委員会のベロニカ・ウンドゥラガ委員長(中道左派)は、今回の案について、「残念ながら、私たちは憲法制定プロセスの目的、つまりチリ国民を団結させ、新しい社会協定の土台を確立する憲法を達成するという目的を多少見失ったと思う」とスペインのエル・パイス紙に述べています。

11月7日に新憲法案が大統領に手渡されたことにより、憲法審査会は解散し、国民投票が行われる日(12月17日)の3日前、つまり12月14日までの間の国民投票の運動期間に入りました。

カデム社による世論調査(11月12日付)では、引き続き新憲法に対する国民の支持は得られていないとの結果を示しています。調査結果では反対が50%(先週と変わらず)、賛成が32%(先週より3ポイント下落)、まだ賛否を決めていない人(無回答を含む)が18%(先週より3ポイント上昇)となっています。

そもそも国民の多くが憲法改正への関心を示していないという別の調査結果もあります。2019年の社会的抗議行動が高揚した時には、新憲法が危機からの出口になりうるという多くの市民の期待があったと言われていますが、その後の社会状況の変化や一度目の改憲プロセスの失敗もあって人々の関心が低下しているのが実情です。国民投票で不承認となった場合は現行憲法が引き続き有効となります。

2023年11月17日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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