(1)大統領選挙の結果
11月19日(日)、アルゼンチンで大統領選の決戦投票が行われ、1回目の時は2位だったハビエル・ミレイ候補が逆転で中道左派のセルヒオ・マッサ候補(現職の経済相)に勝利しました。
ミレイ候補の得票率は55.65%、敗れたマッサ候補は44.35%でした。投票率は76.32%。
ミレイ候補は決戦投票での自らの勝利を「奇跡」と評価し、当選後の最初の演説で「アルゼンチンを変革し、リベラル・リバタリアン(自由至上主義)の大統領を誕生させる奇跡を成し遂げるために2年間活動してきたチームに感謝する」と述べました。
ミレイ氏は、「自由前進」という新興政党のリーダー(下院議員)として、数十年にわたってアルゼンチン政治を支配してきたペロン主義勢力を押さえて大統領の座を射止めることになりました。
インフレ、貧困、対外債務に象徴されるように、衰退を続けるアルゼンチン経済の再建を掲げるミレイ候補の主な経済政策は、米ドルの法定通貨化、国家の縮小(歳出削減、省庁の統廃合)、中央銀行の廃止、国営企業の民営化、解雇補償金の打ち切りなど新自由主義的な性格を鮮明にするものです。
逆転でミレイ候補が勝てた背景はどこにあったのか、BBC(2023年11月20日配信記事)は次の3つの要因を挙げています。
①経済の危機的現状
現在の深刻な状況を表しているのが、貧困とインフレです。貧困については5人に2人が貧困状態にあること(40%超とも言われる貧困率の高さ)、インフレについては、今年10月に年率143%を記録しました。
今回の危機的状況は、アルゼンチンが軍政から民主主義を回復して40年の間で3回目のことと言われています。一度目が1989年、軍政から移行したラウル・アルフォンシン政権の末期にハイパー・インフレに見舞われた(この時は一時月間200%)時。二度目が2001年の債務不履行が宣言された時で、フェルナンド・デ・ラ・ルア政権が崩壊しました。
経済危機が続く現状に対する不満や閉塞感の高まりによって有権者の多くが劇的な変化を望む中、既成の政治勢力とは一線を画した経済政策を掲げるミレイ候補への支持につながったことは否定できず、多くのアナリストも、ミレイ氏はこうした悪化している経済・社会の状況に対する一つのオルタナティブになっていると指摘しています。
②既存体制との断絶を強調する演説
その上で、ミレイ氏の歯に衣を着せぬ演説や、チェーンソーを使った派手なパフォーマンスなどが有権者の「心」をとらえた面も強調されています。
ミレイ氏の言説の特徴は、自らが「政治カースト」と呼ぶエスタブリッシュメント(既成の特権階層、体制)を厳しく批判する内容の発言をSNSを通じて繰り返し行ってきたことにあります。
この点については、「ミレイは候補に選出されて公の場に登場して以来、体制と対峙し、全く異なる政治的物語を差別化することに成功した」とアルゼンチンの政治学者であるセルヒオ・ベレンステイン氏は述べています。
ミレイ氏の極端に新自由主義的な政策が多くの人にとって将来に対する不安と怖れの感情を生み出しているにもかかわらず、その一方で、対決的で過去との断絶を強調した演説によって既存の政治家階級と政府にうんざりしている有権者の心情に訴えることができたこと、とくに将来に希望を見いだせない若年層からの支持が高かったことが勝利の要因になったと指摘されています。
③反ペロン主義の中道右派による支持
最後が中道右派の支持を受けることができたことです。これが決選投票での勝利を確実なものにしたと言えます。
具体的には、中道右派連合「変化のためにともに」のマウリシオ・マクリ元大統領とパトリシア・ブルリッチ氏(元治安相)の支持を受けたことです。ブルリッチ氏は1回目の投票で3位に付けた大統領候補でした。
これにより、決戦投票に向けてのキャンペーンではミレイ氏は「政治カースト」全般への批判はトーンダウンさせて、左派(ペロン主義左派)への批判を強めていきました。
(2)大統領就任式での最初の演説
12月10日(日)、大統領就任式に臨んだミレイ氏は、約30分間、大統領として最初の演説を行いました。そこで強調されたのは「調整策以外に選択肢はない」ということでした。ここでは演説の中身についてBBC(2023年12月10日配信記事)が報じた5つのポイントをまとめてみたいと思います。
就任挨拶の演説は通常議会内で行われますが、ミレイ大統領は議会前の階段上から支持者に向けて演説を行いました。
①「調整策以外に選択肢はない。ショック療法以外に選択肢はない。」
まず、公共部門における歳出削減については段階的な措置をとらずに断行すると明言しました。調整の規模については国内総生産(GDP)の5%分に相当するとした上で、その負担(削減)についてはこれまでとは異なり、民間部門ではなくほぼ全面的に国家の部門で行うことになると述べています。
「調整策以外に可能な選択肢はなく、ショック療法と段階的なやり方(漸進主義)との間で議論する余地はない」とも述べ、この国で段階的なやり方で進められたすべての計画は「ひどい結果に終わった」と主張しました。
また、「段階的なやり方を取るためには資金が必要であるが、残念なことにもう一度言わなければならないがそのお金はない」と指摘しました。
②「短期的には状況が悪化することはわかっているが、その後は成果が見られるだろう。」
これから行う予定の政策については、「難しい決断」には多大なコストがかかること、それは避けられないものであると述べています。
特に調整策は「経済活動の水準、雇用、実質賃金、貧困層や生活困窮者の数にマイナスの影響を与えるだろう」と指摘し、景気後退とインフレが同時に発生する「スタグフレーションが起こる」可能性を示唆しました。
しかしそれについても、アルゼンチンで「過去12年間に起こったこととそれほど変わるものではない」として、その間に「一人あたりのGDPは15%減少した」と説明しました。
詳細は述べられませんでしたが、調整策の中身は、国家予算の大幅削減、規制緩和、税制変更、国営企業の民営化などが含まれると言われています。
「これはアルゼンチンの再建を始めるための最後のつらい出来事(最後の一杯)である」が、「この道の先には光があるだろう」と訴えました。
③「我々が受け取っているものよりもひどい遺産を受け取った政府はない。」
このようにミレイ新大統領は、就任演説の大部分を国の暗い現状についての説明に費やしました。
例えば、現在の「双子の赤字」(財政赤字と国際収支赤字)について、ペロン主義左派(退任したクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル副大統領がそのリーダー)は当初、財政黒字と対外黒字を誇っていたが、今やGDPの17%に相当する規模の財政赤字と対外赤字(国際収支赤字)を残したと述べました。
このうちの15%が財務省と中央銀行の連結赤字に相当し、さらにその5%が財務省、10%が中央銀行の赤字分に当たることから、この財務省分の5%を削減することは避けられないとしています。
通貨政策については、これ以上の通貨発行を停止する計画を示した上で、「退陣する政府による金融混乱の代償」は18~24か月続くだろうとも警告しました。
公式統計によると、アルゼンチンでは貧困率が40%を超え、インフレ率は140%となっていますが、ミレイ大統領はこれらの数字についても急増するリスクがあると述べています。
「退陣する政府により、我々はハイパーインフレの前に立たされている。我々の最優先事項は、90%を超える貧困率の上昇につながるような大惨事を回避するためにあらゆる努力を払うことである」と述べました。
しかしその一方で、ミレイ大統領が選挙の中心公約として掲げていた米ドルの法定通貨化と中央銀行の廃止については言及しませんでした。
④「変革を妨害するために暴力やたかりを利用しようとする者たちに対しては、揺るぎない信念を持った大統領に出会うことになると言おう。」
新政権は議会内や街頭での強い反対に直面することになると様々なアナリストが予想していることについて、ミレイ大統領は断固たる姿勢で臨むことを約束し、「変革を進めるために国家のあらゆる手段を活用する」、「我々アルゼンチン人が選んだ変化を妨害する偽善や不正行為、あるいは権力への野心を容認するつもりはない」と述べました。
特に「ピケテロス」グループ(1990年代以降に顕著になった道路封鎖などを戦術とする失業労働者らの社会運動)について言及しました。
今後は「同胞の権利を侵害して道路を封鎖する者は社会から援助を受けられなくなる。言い換えると、遮断する者は恩恵を受け取れないということだ」と言い放ち、対決する姿勢を示しています。
同時に、「新生アルゼンチンへの参加を望むすべての政治家、労働組合、企業家たちは」「両手を広げて」歓迎するとも述べて分断を強調しています。
議会については、ミレイ大統領が率いる与党の「自由前進」党は、下院では定数257のうち38名、上院では定数72のうち8名しかおらず、実際にどのように改革案を通すことができるのかについては確かな状況にないことが指摘されています。
⑤「今日、アルゼンチンで新しい時代が始まる。」
ミレイ大統領は、自らの政権がスタートすることによって「衰退の長い歴史」に終止符が打たれ、「再建」の時代が始まると述べています。「ベルリンの壁の崩壊が世界にとって悲劇的な時代の終わりを告げたのと同じように、今回の選挙が我々の歴史の転換点を示した」と主張しました。
最後に、社会運動側の動きについても触れておきます。
ミレイ政権の誕生とその極端な新自由主義政策に反対する行動への取り組みが始まっています。ピケテロ闘争戦線などの社会運動グループは会議を開いて、12月19、20日に大規模なデモ行動を実施する予定を決めています。「一歩も引かない」、「誰も屈しない」という2つのスローガンが掲げられています。
2023年12月12日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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