2023年12月17日(日)、チリで憲法改正の国民投票が実施されました。
結果は次のとおり。賛成44.24% 反対55.76% 投票率は84.48%
反対多数で憲法案は否決され、現行憲法が引き続き有効となりました。
チリではこの4年間で2度にわたって、現在の憲法を改正するために新しい草案を作成し、賛否を問う国民投票を試みてきましたが、いずれも否決されて失敗に終わりました。
そのきっかけは、当時の右派政権の統治や、経済格差と社会的不平等に対する不満が爆発した 2019年10月の大規模な社会的抗議行動でした。この事態を収拾するために議会政党が代替案として憲法改正を提示したことがその後の4年にわたる憲法改正プロセスの始まりでした。
1度目の国民投票は2022年9月に行われましたが、約62%が反対し、進歩的でリベラル色の強い憲法案は承認されませんでした。そして2度目の今回は、現行憲法よりも保守色が濃いと評価された憲法案が否決されました。
同日、ボリッチ大統領は、今回の投票結果に言及して「この結果により、任期中での憲法制定プロセスは終了する」と述べて、3度目はないことを明言しました。ボリッチ大統領の任期は2026年3月までで、残り2年ほどです。
また、「反対」票を投じたチリ共産党のラウタロ・カルモナ党首は、「投票はこの草案に反対したものであり、1980年憲法(現行憲法)を支持するものではない」とするメッセージを発しました。
この間の憲法改正をめぐる出来事を振り返り、現行憲法の何が問題であり、改正の失敗が何を意味しているのかを今一度整理してみることにします。
(1)ピノチェト軍事独裁期の「遺産」
憲法改正が求められてきた主な理由の1つが、この憲法が、1980年に制定されたという起源に関わるものです。
この時の政治体制はアウグスト・ピノチェトを頂点とした軍事独裁であったこと、したがってその下で作られた憲法は当初から正当性を欠いているという批判を受けてきました。
しかしながら、1990年の民政移管を前後して、いくつかの重要な修正が加えられてきたことも事実です。
例えば、民政移管前年の1989 年に実施された憲法改正では、共産党を非合法化していた条項が廃止されるなど、禁じられていたマルクス主義などの特定のイデオロギーを認めるものへと変化しました。
また2005年には、当時のラゴス政権の下で、軍の権益を擁護する条項などが削除される憲法改正が実現しました。その一つが、連続6年在職した大統領を終身上院議員とする規定や、軍の各司令官を任命上院議員とする規定などです。
そのような改善がなされたものの、2010年以降、この憲法を民主主義の下で作られた条文に変えることを求めて、各地域で人々が集まって憲法案について議論する市民運動が次第に現れるようになります。これは文字通り、「下から」の民主主義を組織する憲法制定議会の運動です。
そのような運動の主張は、2019年の抗議活動にも反映されており、多くの参加者が、新憲法が制定されるまでは行動をやめない、新憲法の制定によって「ピノチェトの遺産は終わる」などと主張していました。
(2)憲法の中身に対する改革
憲法改正を訴える理由は、その成立・起源に対するものだけではありません。当然その中身に対しても批判や疑問があるからです。
2019年の大規模な社会運動が訴えていたのは、現在のチリ社会を規定してきた「社会経済モデル」を変革することでした。それは一言で言えば、「新自由主義的モデル」に対する批判です。このモデルは経済成長をもたらしましたが、その一方で格差を拡大させるなどの「社会的公正」に欠ける社会を作り上げたからです。
このモデルの目的は、とくに医療、教育、年金などの分野に「市場原理」「私企業の論理」を導入することでした。そして上記の分野における社会サービスの提供については、公的な制度だけではなく、私企業の運営にも委ねていくことになりました。憲法上、国家は市場をサポートする役割を担うように位置づけられていました。
したがって、現行憲法を批判してきた人々は、基本的な社会サービスの提供における国家の役割を強化して、より積極的なものにすることで経済的不平等を改善しようと訴えてきました。
もちろん、多くの人たちが、憲法を改正すれば、こうした分野における「すべての問題」が解決するわけではないと述べていたことも事実です。
また注意すべきなのは、憲法改正はこの時の運動の1つの要求ではありましたが、あくまでもたくさんある中の「1つ」であったことです。
実際に、運動がピークに達した時の主な要求は、ピニェラ大統領の退陣であり、警察の過剰弾圧と人権侵害に対する告発でした。憲法改正については、与野党を含めた議会勢力から事態を収拾するために合意して出されたもの(共産党は合意せず)であり、それが発表された以降も抗議行動は継続していました。
運動側からは、この合意は、退陣を要求されたピニェラ政権側の「時間稼ぎ」とも見られていました。「時間稼ぎ」というのは、この時合意したのは、まず憲法改正を行うか否かを問うための国民投票を行うとしたからでした。
運動が下火となり落ち着いていったのはその翌年から始まった「新型コロナ・パンデミック」の影響であり、憲法改正を行うか否かを問うための国民投票が行われたのは約1年後の2020年10月でした。
その後、1度目の新憲法案の賛否を問う国民投票が実施されたのは2022年9月でした。先に書いたようにこの時否決された新憲法案は、先の社会運動が求めていた内容を多く含むものでした。これは既存の政党に属していない人々や左派勢力の主導の下に作成された憲法案でした。
反対に、昨年12月に否決された2回目の憲法案は、社会サービスの提供については従来と同じく公・私両方を選択肢とする制度を優遇するものであったため、1980年憲法が規定する国家モデルを強化するものだと批判されることになりました。
2度目の憲法案は、右派勢力が主導して作成されたものでした。とくに、女性の権利に関しては現在の法律(例えば中絶の権利を条件付きで認める)より後退した規定を含んでいたことなどから、より「保守的」だと見られていました。
(3)2度にわたる憲法改正の失敗の原因
ここからは、専門家が今回の事態をどう見ているかについて紹介します。BBCが2023年12月18日に配信したオンライン記事に、チリの政治学者であるフアン・パブロ・ルナ教授(チリ・カトリック大学政治学部)のインタビューが公表されていましたので、それを参照します。
ルナ教授は、「ここには勝者はいない。これはゼロサムゲームであり、(政治家階級)全員が負けた」と述べています。
その上で、チリの政治家階級が2019年の抗議行動の要求を間違って解釈したことに失敗の原因があるとしています。「私たちの問題は、市民のことを理解できない政治家階級にある」ということです。
どういうことかと言いますと、この時の抗議行動にはたくさんのスローガンが掲げられていて、憲法改正の要求は、それらの要求の中で共通項ではあったけれども、すべてではないということです。
憲法改正という問題にすべてを集約してしまうことでその他のことが置き去りにされてしまうのは間違いであったと評価しています。
それとの関連でルナ氏が指摘するもう1つの重要な点が、チリの政党システム、代表制システムと社会との結びつきが以前から弱くなっていることです。
左派、右派ともに、既存の政治家階級が市民感情から大きく乖離していて、言わば「上から」社会を理解しようとし、ある特定の状況を拡大解釈しようとしてきたと分析しています。
具体的には、この間、人々が解決すべき問題と考えていたのは、治安であったり、教育であったり、医療や年金などの個別具体的なテーマであり、憲法改正がそれらを解決する答えだとは思わなかったとルナ教授は述べています。
求められてきたのは、憲法が規定する制度上の規則というよりも、このチリ社会がどう発展するのか、また経済成長が生み出してきた問題の解決と結びついた社会的合意をどう作るかということだと指摘しています。
運動が問題にしていたのは、憲法にある規定の問題というよりも、国家と市場というシムテムに、人々の具体的な生活条件を良くするための実際的な能力があるか、と言うことです。
とは言いつつも、現在の憲法が軍事独裁政権から引き継いだ様々な問題を条文として規定しているところがあり、それが実際の改革を進める上での障害になっていることはルナ教授も認めているように、憲法問題がまったく無関係ではないことに留意する必要があると思います。
さらに、この4年間で変わらないこととして、人々の投票行動が政治権力を握っている勢力を「罷免するもの」になっている点を挙げています。それはつまり、前の選挙で勝った者から権力を奪って、その間の責任を問うもの(罰を与えるようなもの)になっているということです。
そうした視点で見ると、そもそも2019年の抗議行動は当時の右派政権(ピニェラ大統領)の政治に対する反発から起こったのであり、それを受けて2020年10月の憲法改正の是非を問う国民投票では改正に賛成する票が多数を占め、2021年5月の制憲議会の選挙では無所属派や左派系の代議員が多く選ばれたと同時に、2021年12月の大統領選では左派のボリッチ候補が勝利しました。つまり、時の右派政権に対する批判票という側面が強かったと言えます。
しかし、コロナ禍の影響で社会運動が下火になり、経済状況が悪化すると、この左派政権に対する批判が強くなっていきます。
そうした情勢の中で行われた1回目の国民投票(2022年9月)では進歩的内容の憲法案が否決され、2回目の憲法審議会の選挙(2023年5月)では右派が多数を占めるという結果となりました。しかしそこで作成された保守色の濃い憲法案は再び否決された(2023年12月)というのが、この4年間の主な投票行動の流れです。
そうすると、その時々の政党政治の動向を「否認するもの」として選挙が機能していると言うこともできるのではないかと思います。ここでも、政治家が、市民が求めていることに的確に応えるような政治の形になっていないことが読み取れます。
結果として、2つの憲法案は国民投票によって否決されてしまいました。そうだからと言って、短期的にはともかく、将来にわたって「憲法改正」の扉が閉ざされてしまったわけではありません。
今回の事態を見ると、専門家が指摘しているように、この次はどういう社会状況の下で「憲法改正」を求める声が大きくなっていくのかが重要なポイントの1つになると思います。
それと同時に、半世紀が過ぎてなお、チリ社会を規定し、一定の支持基盤が根強く残っている「ピノチェト軍事独裁」の影響力をどれほど払拭できているのかがもう1つの重要なポイントになるのではないかと思われます。
そしていずれにしても、そうした変化する人々の意向(民意)をどのように政治の中に反映させていくことができるかが最も問われているのではないかと思います。
2024年2月29日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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