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ペルー 大統領の罷免と「政治的危機」

(1)はじめに

 12月7日(水)、ペルー国会は、「恒久的な道徳的能力の欠如」を理由としてカスティージョ大統領の罷免を決議しました。カスティージョ大統領に対する罷免決議は今回が3度目でした(1度目は21年11月、2度目は22年3月でいずれも不成立)。

 ペルー憲法には、「議会によって宣告された、恒久的な道徳的・身体的能力の欠如」による「空位」という規定(憲法113条2項)があります。「空位」とは大統領がその地位を明け渡すことです。これは、法定議員数の3分の2以上の賛成票によって承認されます。

 国会(一院制)の定数は130議席ですので87票以上が条件となります。今回の決定は、賛成101票、反対6票、棄権10票でした。これによってカスティージョ氏は失職することになりました。

(2)罷免決議と逮捕・失職に至る経過

 この日の国会では、事前の申告に基づいて午後から、カスティージョ大統領に対する「恒久的な道徳的能力の欠如」による「空位」(罷免)を審議、決議することになっていました。

 その前日にカスティージョ大統領は、「民主主義の破壊を望んでいる」と野党側を非難するとともに、汚職の告発についても無実を繰り返し表明していました。

 そして罷免の動きを阻止するために、午前11時50分にカスティージョ大統領は、「例外的な緊急政府」の設立を宣言し、国会の一時的な閉鎖、夜間外出禁止(7日午後 10 時から翌日の午前 4 時まで)を命じました。

 さらに、今後9か月以内に憲法改正を目的とした新しい国会選挙の実施、司法権力の再編を行う意向を示しました。新しい国会が選出されるまでは政令を通じて統治を行うことも明らかにしました。

 この発表直後、ベッツィー・チャベス首相、アレハンドロ・サラス労働・雇用促進相、クルト・ブルネオ経済・財政相、セザール・ランダ外相、フェリックス・チェロ法相ら13名の閣僚が、カスティージョ大統領の意向は憲法違反だとして相次いで辞任を表明しました。

 カスティージョ大統領担当弁護士もカスティージョ氏の弁護を放棄せざるを得ないとのコメントを公表しました。

 憲法裁判所長官は、カスティージョ大統領の行為を「国家クーデター」と認定した上で、「いかなる者も、権利を侵害した政府に従う必要はない。」と明言しました。

 さらに、国会議員には「自らの権限と能力に従って行動する」よう促すとともに、ディナ・ボルアルテ副大統領に政府の引き継ぎを行うよう訴えました。

 検察庁・国軍・国家警察に対しても、「法に従って行動すること」、「法を逸脱している者に対処すること」を呼びかけました。

 国軍と国家警察は、文書で共同声明を出し、「現行の憲法秩序を尊重する」と述べました。ペルー憲法の規定(第134条)によると、大統領が国会を解散できるのは、同一政権下で国会が内閣に対する信任決議を2度否決した場合となっています。つまり、今回のカスティージョ大統領の宣言はこの規定に反していることを意味します。

 さらに「現行の憲法秩序に反するどのような行為も憲法違反であり、国軍と国家警察はその行為を遵守しない」意思を明確にしました。また、市民に対しては「平静を保つ」こと、国家機関への信頼を呼びかけました。

 国会での審議中、カスティージョ氏とその家族は車で大統領官邸を後にしたことが確認されましたが、リマにあるメキシコ大使館から亡命する可能性があるということで、その途上でカスティージョ氏は現行犯逮捕されました。罪状は、反逆罪(刑法第346条)、職権乱用(刑法第376条)、憲法違反(第46条)でした。数時間拘留された後、ヘリコプターで警察特殊作戦局の本部にあるバルバディージョ刑務所に移送されました(アルベルト・フジモリ元大統領も収監されています)。

 午後1時15分から国会が開かれ、カスティージョ大統領の罷免に関する審議と投票が行われました。そして午後1時 55 分、賛成101票、反対6票、棄権10票により罷免が可決しました。

 11月29日に提出された動議(67名の議員が署名)によると、「恒久的な道徳的能力の欠如」を示す具体的な内容については、大統領自身が関与したとされる汚職疑惑(収賄)や、「市民の福祉を損ない、大統領とその親族の利益を優先して、深刻な問題を抱えた高官を任命することで国家機関を乗っ取り・解体したこと」などが列挙されています。

 汚職に関しては、10月に、公共工事の不正入札による利益の取得を主導したり、調査を妨害したりしていたとする告発が検察によって国会になされていました。

(3)ボルアルテ新大統領の就任と、長引く「政治的危機」

 カスティージョ氏が失職したことにより、副大統領のディナ・ボルアルテ氏が女性初の大統領に就任しました。ボルアルテ氏は、カスティージョ氏が行った議会閉鎖の決定に対しては、はっきりと距離をおいて「憲法に反する行為」と批判していました。

「私は、議会の閉鎖によって憲法秩序を崩壊させるペドロ・カスティージョの決定を拒否します。これは、政治的・制度的危機を悪化させる国家クーデターであり、ペルー社会は法を厳守してこれを克服しなければならない。」とソーシャルメディアに書き込みました。

 ボルアルテ新大統領の任期は、選挙の前倒しが行われない限り、現在の任期が終了する2026年までとなります。

 大統領就任後の最初のメッセージでボルアルテ氏は、「国家的統一政府を設置するために政治的休戦を求めます。そのための責任はすべての人が負わなければなりません。」と断言しました。

「話し合い、対話し、合意に達することは我々の責任です。」「そのために、議会に代表されているか否かに関わらず、すべての政治勢力の間での幅広い対話のプロセスを求めます。」と述べました。

 さらに、取り組むべき最初の措置として「国家機関における腐敗との闘いを開始すること」を掲げ、検察庁と国家代理人庁(Procuraduría)の支援を要請しました。

 ボルアルテ氏の就任は「ペルー初の女性大統領」として注目を集めていますが、今後の政権運営が安定するかどうかは疑問視する向きもあります。政治を安定させ、政策を前に進めるには、野党議員の支持を取り付けることが必要とされるからです。

 2021年7月に誕生したカスティージョ政権は短命に終わりました。この約1年半の間に5つの内閣、約80名に上る閣僚が任命されたことからも、政権がいかに安定していなかったかがわかります。

 カスティージョ氏が大統領選挙に立候補した時の所属政党は左派の「ペルー・リブレ」でした(2020年9月30日に党員登録)。ボルアルテ氏も副大統領候補として同党から立候補しました。

 しかし、カスティージョ氏は党規約への抵触(党の団結の破壊促進)、実施された政策が選挙公約とは異なっている(「失敗した新自由主義プログラムを実施している」)ことを理由に、党員を辞めるように同党からの勧告を受けて、今年6月末に離党しました。

 ボルアルテ氏も「ペルー・リブレ」に所属していましたが、メディアとのインタビューでの発言(「私はペルー・リブレ党のイデオロギーを受け入れたことはない。」)などが問題視されて、現在は離党しています。

「ペルー・リブレ」は21年の選挙では37議席を獲得して最大勢力となりましたが、その後、党内運営などをめぐる対立から多くの議員が党を離れたため(別の政党グループに分かれる)、現在は15にまで議席を減らしています。現在の最大勢力は右派の「フエルサ・ポプラール」(党首ケイコ・フジモリ氏)で24議席です(ペルーの国会は、無所属を除いて13の政党で構成されています)。

 このような経緯がありましたが、今回のカスティージョ大統領の罷免決議に関して「ペルー・リブレ」は必ずしも賛成の立場には立ちませんでした。実際の投票では、反対の6票、棄権のうち9票は同党の議員が投じています。

 いずれにしても、ボルアルテ新大統領にとっては野党勢力との協力が必要不可欠になっていることに変わりはありません。

 しかし、近年のペルー政治を見渡した時、今回のケースが特別だったとは言い難い面があります。2018年から現在までに大統領の交代が繰り返され、6人が大統領の座についていたことになります。

 まず18年3月にペドロ・パブロ・クチンスキ氏が収賄容疑で辞任、2020年11月に跡を継いだマルティン・ビスカラ氏が収賄容疑で罷免、同年就任後わずか5日でマヌエル・メリノ氏が辞任、フランシスコ・サガスティ氏は21年の任期終了まで、21年7月からはペドロ・カスティージョ氏、現在はディナ・ボルアルテ氏と続いています。

 交代が相次いで起こる要因としては、汚職疑惑が大きいわけですが、その一方で構造上の問題があることも指摘されてきました。

 1つは多党制に見られる政治的な分裂状況です。もう1つは議会と大統領との競合関係であり、憲法上、一方が他方の権限を無効にすることができる制度になっている点です。

 具体的には、議会には大統領を罷免する権限があり、大統領には議会を解散する権限があることです。一院制の議会と大統領の間に対立がある場合、こうした制度が国の統治を難しくすることにつながる可能性があると言われています。

 また、今回適用された「恒久的な道徳的能力の欠如」の中身についても、憲法に細かい規定がないため、「解釈の余地」があることが指摘されています。

 今回の交代劇が、近年続いている「ペルーの政治的危機の終わり」をもたらすかどうかは依然不透明です。というのも、国会は引き続き多党に分裂した状況にあって国民の支持が低いことと、罷免を受けて全国各地で数多くの人々が新しい選挙(国会と大統領の両方)の実施を求めて抗議活動を活発化させているからです。

 ボルアルテ新大統領は、10日(土)、新しい内閣を任命しました。任命した17人の閣僚のうち、8人が女性です。元最高検事のペドロ・アングロ・アラナ氏を首相に任命し、汚職反対の行動を取るように指示しました。

※以下の過去の記事もご参照ください。
ペルー 大統領の辞職と政治的危機の構図(2020年12月1日)
ペルー 大統領選挙から見た政治的課題(2021年4月29日)
ペルー 高まる政治的・社会的危機の中で(2022年4月28日)

2022年12月12日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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ブラジル 大統領選と民主主義の再生

はじめに

 ブラジルの大統領選挙は、10月30日に上位2名による決戦投票が行われ、左派・労働者党(PT)のルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバ候補(77歳)が、現職で右派・自由党(PL)のジャイル・ボルソナーロ候補(67歳)を僅差(1・8ポイント差)で破って勝利しました。

(1)大統領選の結果

 開票結果は次のとおりです(高等選挙裁判所(TSE)のデータ)。投票率は79・4%。

①ルーラ候補、得票率50・9%(6034万5999票)
②ボルソナーロ候補、得票率49・1%(5820万6354票)

 地域別の得票状況を見ると、ルーラ氏は、出身地域でもあり貧困層が多い北東部で票を得ています。

 11名の候補者で争われた10月2日の1回目の選挙(投票率79・1%)では、ルーラ候補が得票率48・4%(1位)、ボルソナーロ候補が43・2%(2位)でした(どの候補も過半数を獲得できなかったため、前述の決選投票に持ち越し)。

 勝利結果が公表されたのち、ルーラ氏は、ツイッターに、ブラジル国旗に自身の左手を載せた画像とともに「デモクラシア(民主主義)」のメッセージを投稿しました。

 ルーラ新政権は来年1月1日に発足します。任期は26年までの4年です。

(2)大統領選出馬までの道のり

 2003年から10年までの2期8年間、大統領を務めた経験を持つルーラ氏が3回目の大統領となるまでの道のりは、自身にとっても、ブラジルの民主主義にとっても平坦ではなかったと左派系のメディアは報じています。

 2016年、ルーラ氏は国営石油会社ペトロブラス絡みの汚職事件への関与(収賄とマネーロンダリング)を疑われ起訴されました。17年に1・2審とも有罪判決となり、18年に収監されました(収監から580日後に釈放)。法律の規定により被選挙権を失ったため、同年10月の大統領選に立候補できませんでした。

 しかし2021年3月8日、エジソン・ファキン判事がルーラ氏の汚職事件に関する1審と2審の有罪判決を無効とする判断を下し、再審理となりました(取り消し理由は、事件との関連で裁判を行った管轄地域が不適切であったため)。

 同年4月に連邦最高裁(STE)がルーラ氏の被選挙権を認める決定を下したことで、今回の大統領選に立候補することが可能となったのです。但し、汚職事件は再審理のため、無罪にはなっていません。

(3)選挙の争点と主な政策について

 今回の大統領選の争点の1つは、ポストコロナの経済と社会の立て直しをどう実現するか、でした。

 結果が公表されたのち、ルーラ氏はサンパウロ市で最初の演説を行いました。そこでも国内の分断の克服と、国の再建、とりわけ貧困との厳しい闘いの必要性を訴えています。

「私たちの闘いは選挙で始まり終わるものではない。 すべてのブラジル人が働き、学び、食べることができるという、公正な国を求める私たちの闘いは、私たちの残りの人生のために続くだろう。ブラジルは私の大義であり、その人民も私の大義である。貧困との闘いこそが命が尽きるまで生きるための理由である。」と述べ、最優先の課題は、飢餓を終わらせることだと繰り返し訴えました。

「2023年1月1日から、私に投票した人たちだけでなく、2億1500万のブラジル人のために政治を行う。ブラジルは2つではない。 私たちは1つのブラジル、1つの国民、1つの偉大な祖国である。」と呼びかけました。

 さらに「家族を再び1つにし、憎しみの許しがたい蔓延によって壊れた絆を作り直す時だ。分断された国に生きることを誰も望んでいない。」と訴えました。

「ブラジルはこれ以上、底なしの巨大な穴、国を分断する見えない不平等とコンクリートの壁とは共存できない。この国は自らを認識し、再発見する必要がある。」と、対立と分断に終止符を打つ必要があるとも述べています。

 ルーラ氏が掲げる新しいブラジルのイメージは「平和、民主主義、チャンスのあるブラジル」です。

 そのために、「ブラジル、世界、人類の主要な問題は、腕ずくではなく、対話によって解決できると信じている。」と言うように、「対話の回復」を強調しています。

 今回の勝利の要因は、「壮大な民主主義運動の勝利」であり、「(その運動は)民主主義が勝者となるために、政党、個人的利害、イデオロギーを超えて形作られた」と説明しています。

 その民主主義とは、「ブラジル人民がよく生き、よく食べ、よく暮らしたいと思うこと」であり、「インフレを上回って常に調整された公正な給与を伴う雇用と質の高い公共政策」のことだとも述べています。

 つまり「法律に書かれたきれいな言葉としてだけではなく、私たちが日々作り出せる、実感できるような何かでもある」、それを「リアルで、具体的な民主主義」と名づけ、「私たちの政府は日々それを作りだしていく」ことを約束しました。

 飢餓の現状に対しては、「私たちは、この国の何百万人もの男性、女性、子どもたちが食べられないでいること、カロリーやタンパク質の摂取量が少ないことを普通のこととして受け入れることはできない。」との認識を示した上で、経済の役割について次のように述べています。

「すべてのブラジル人の間で経済成長を分かち合う、不平等を永続させるためではなく、すべての人の生活を良くするための手段として経済は機能しなければならないからである。」として、食料生産では中小規模の農業生産者への支援、それ以外の分野でも潜在的な創造性を引き出すために零細・小企業に対してできるだけインセンティブを与えることを約束しています。

 また社会的な差別の克服としては、女性に対する暴力と闘うこと、同じ職務での男女同一賃金のための政策を強化する、レイシズム・偏見・差別に反対して不断に取り組んでいくことを約束しました。

 国際関係の分野では、公正な貿易関係に基づいたパートナーシップの再構築、世界的な気候危機に対して積極的に取り組む姿勢を示しています。

 国際的な経済関係では、「より公正な国際貿易」を望むとして、「永久に一次産品の輸出国としての役割をブラジルに負わせるような貿易協定には関心がない。」と主張しました。

 気候危機への取り組みとしては、特に「アマゾン熱帯雨林の保護」を訴えています。気候変動の原因となるガスの排出を大幅に削減するために「アマゾンの森林伐採ゼロ」を掲げています。そのために、違法伐採・採掘などに対する監視・警備を再開するとしています。

 最近の研究では、森林破壊によってこの地域がCO2の排出源になっていると言われています。

 すでに選挙公約としては、「ブラジルの再建と変革プログラムの指針 2023―2026」を公表(全121項目)しています。その中身は、飢餓・貧困対策、労働法の改正、エネルギー・気候変動対策、国営企業の民営化反対など多岐に及びます。決選投票前の10月27日には「明日のブラジルへの手紙」という政策文書を改めて出しました。

 そこに記された飢餓・貧困対策では、最低賃金の引き上げ(インフレ率以上)を実現し購買力の回復を図る、質の良い食料の増産、貧困層向けの雇用創出などの必要性を訴えています。産業政策では、デジタルとグリーンエコノミーへの移行の促進(知識経済へ向けた戦略)を掲げています。

 かつて実施した「ボルサ・ファミリア」(低所得層向け現金給付プログラム)については拡充するとしています。具体的には1世帯当たり月額600レアル(約1万7400円)と6歳未満の子供1人当たり150レアルの支給を考えています。

 ブラジルの飢餓の問題は深刻で、あるデータによると今年の飢餓人口は3310万人(人口比15・5%)、この2年で倍近くに増加しています。失業率も低下しているとは言え、8・7%に達しています。いずれにせよ財源の確保が課題となります。

(4)ボルソナーロ陣営の対応と今後の動向

 敗れたボルソナーロ大統領は、選挙直後に正式に敗北を認めるコメントは出さずに沈黙を守りました。2日後になって「憲法のすべての戒律は尊重する」との発言を行いました。

 一方、ボルソナーロ氏の支持者たち(主にトラック運転手)は、選挙の不当性を訴えて幹線道路を封鎖(全国20州以上で230カ所超の封鎖)し、軍の介入を要求し始めました。

 この道路封鎖についてボルソナーロ大統領は、不当だとする感情に理解を示しながらも、「合法的な」抗議方法ではないとして、他の形で行うように促しました。政権の移行作業については同意し、政権移行チームが立ち上がっています。

 連邦最高裁は封鎖解除の決定を下し、連邦高速道路警察(PRF)が解除に動きました(次第に減少)。

 大統領選とともに行われた議会選挙(総議席、上院は81、下院は513)では、自由党が議席を伸ばして上院14、下院99の第1党となりました。ブラジル議会は多党制なので、他の保守政党との連携次第で過半数を得る可能性があります。

 一方、労働者党は上下両院とも少数議席(上院9、下院68)です。

 このように立法府との関係で見ると、新政権の船出は決して安定優位が確保されているわけではなく、十分に困難が予想されています。

2022年10月22日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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キューバ 改正家族法の成立

先月末の9月25日(日)、家族法の改正案の是非を問う国民投票が行われ、賛成多数で可決しました。翌26日にディアスカネル大統領とエステバン・ラソ人民権力全国議会議長が署名し、27日(火)に官報に掲載されて発効となりました。

今回はこの改正について取り上げます。家族法の改正の動きと内容については、第46回配信記事の「家族法の改正へ向けて」(2022年2月27日)でも取り上げていますので、そちらもご参照ください。

(1)国民投票の結果

国民投票の最終結果は以下のとおりです。データは全国選挙委員会(CEN)10月4日公表。 

有権者数 845万7978人
投票者数 626万9427人 投票率 74.12% 投票は海外からも実施。
有効票数 590万9385票(94.25%)
賛成票 395万288票(66.85%)
反対票 195万9097票(33.15%)
白票 20万2164票(3.22%)
無効票 15万7878票(2.51%)

今回の国民投票の設問は、「あなたは、家族法(改正)に同意しますか?」というものでした。

25日の国民投票のわずか2日後の27日には、キューバの西部にハリケーン「イアン」が上陸、多数の家屋倒壊や全土での停電が発生するなど、大きな被害をもたらしました。国民投票の最終結果の公表が遅れたのもそれが原因と言われています。

(2)改正家族法での大きな変化

国民投票で承認された家族法改正の最終案は25版目に相当し、7月22日に人民権力全国議会(国会)で採択されたものです。

新しい家族法は、全体が11章に分かれ、474条から構成されています。その他に移行措置や最終措置などが含まれています。

法案成立による大きな変化としては、日本のメディアでも報道されていましたが、同性婚が合法化されたことです。キューバは、世界で33番目の同性婚が認められた国・地域となりました(NPO法人EMA日本のサイトより 2022年10月時点)

改正家族法の第2条(家族の承認)2項では、「様々な形の家族組織は、愛情関係に基づいて、姻戚の性質に関わらず姻戚間、配偶者または事実上のカップルの間で作られる。」と規定されています。

「姻戚」については第16条に規定があり、姻戚関係とは「同じ一つの家族の構成員となる2人の間に存在する法的関係」として、結婚や事実婚などを根拠にしています。

他には、LGBTカップルによる子どもの養子縁組の承認、非営利での代理出産の承認などが規定されています。

それ以外にも、離婚に際しての未成年者や祖父母の間の連絡を保護したり、子どもの親権、資産の分配、相続などの面で家族内で権利を侵害する者への罰則を認めるなど、子どもや高齢者の権利保護についても多岐にわたって規定しています。

(3)法改正についての評価

「家族法は、すべての人とすべての家族の権利を広く保障するのに貢献しています。ジェンダー間、世代間の関係をより一層民主化することに寄与しています。」と、国立性教育研究センター所長のマリエラ・カストロさんは、国民投票の前にスペインのEFE通信社にコメントしていました。マリエラさんは、国会議員としてもキューバにおける同性婚の合法化に向けて活動を続けてきました。

キューバの俳優でLGBTの権利擁護の活動を行っているダニエル・トリアナさん(25歳)は、BBCの取材に対して「ついにキューバで、数多くの同性愛者たちの愛、婚姻、人生の正当性が法的に認められたことは、嬉しく、私と私のコミュニティの人々の存在すべてを取り戻すものです。」と答えています。

その一方で、キューバ司教会議(カトリック教会の組織)は、「法案の条文の多くが支持している、いわゆる『ジェンダー・イデオロギー』の内容を法律に導入することはキューバの家族に利益をもたらさない。」とウェブサイトに反対の声明を公表していました。

特に、同性婚、同性カップルによる養子縁組、代理出産に関して、カトリックの信仰や価値観に反すると考えています。

ただし、家庭内暴力を規制したり、高齢者と未成年者の権利の保護に関連する条文については支持する考えを示しています。

また、家族法改正に反対する人々は、ツイッターで「#YoVotoNo」(私は反対に投票する)、「#CodigoNO」(改正法反対)のハッシュタグを付けて「反対」の意を表明していました。その理由の中には、現在のキューバ社会が直面している経済的な苦境に対する不満や国民投票の透明性に対する疑問などが含まれています。

これらは、政府が進める家族法改正「賛成キャンペーン」に対して、政治的意見の表明としてあえて「反対」を掲げている側面があるとされています。

国民投票前には、テレビ・ラジオや新聞などを介して幅広い「賛成」キャンペーンが行われていました。SNSでも「#YoVotoSi」(私は賛成に投票する)、「#CodigoSi」(改正法賛成)のハッシュタグをつけたメッセージが拡散されました。

先のダニエル・トリアナさんは「体制とは意見を異にしている。私たちは家族法改正を支持するが、非常にデリケートな政治的・倫理的立場にある。」と、政府とは一線を画す立場にあることをBBCの記事の中で語っています。

革命後に同性愛者の人権が抑圧されてきたかつての歴史を踏まえれば、今回の法改正はLGBTの人権擁護の観点からは「前進」として評価されるべきだとは思います。その上で、以前から続いている経済面での苦境からいかに脱していくのか、政府の政策の有効性を含めて評価していくことが必要ではないでしょうか。

参照記事 BBC News Mundo配信記事「家族法:キューバでの同性婚の合法化に向けて議論となった規則」(2022年9月23日 同月26日更新)

2022年10月24日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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チリ 新憲法案否認についての左派の見方

 9月4日、新しい憲法案の是非に対する国民投票が行われ、反対多数で否認されたこと、予想される今後の展開などについて、前回の配信記事でお伝えしました。

 今回は、この結果を左派の立場からどう見るかについて、下記の文書を参照しながら考えてみたいと思います。

「驚くべき結果:広範な多数により否認が勝利した。」マリオ・ガルセス・デュラン(チリ・カトリック大学所属の歴史学者、ECO運営スタッフ。※ECOは教育とコミュニケーションについての専門家団体)2022年9月5日執筆、9月8日公表。 

(1)チリ共産党の対応

 その前に、承認派の1つであったチリ共産党の発言を紹介しておきます。

 ギジェルモ・テイリエル(Guillermo Teillier)共産党議長(下院議員)は、9月5日、国民投票後の大きな課題は、進歩的で革新的な新しい憲法のための闘いを継続することであるとコメントしました。

 9月10日には党の中央委員会が行われ、国民投票と憲法改正に関する見通しについてコメントしています。

「いかなる面においても敗北主義は存在せず、今すぐ新しい憲法のための闘いを引き続き進めていく必要がある」と述べています。

 さらに議長は、右派が憲法改正プロセスについて合意するかどうかが一番懸念されることであり、そうならなかった場合、我々は複雑な政治的危機に陥ることになるだろうと指摘しました。

 共産党の立場として、新しい制憲議会をこれまでと同じ形で設置して草案を作り直すことに変わりはないと強調しています。右派が主張する専門家委員会による憲法草案の起草については否定的な見解を示しています。

(2)今回の結果に対する分析

 マリオ・ガルセル氏は、文章の初めに「私が強調したいのは、否認についてのデータがたくさんあったにもかかわらず、私は承認が勝つだろうと思っていたことです。」と率直に述べています。その上で、逆の結果になった要因について考察しています。

①制憲議会と市民社会(民衆)との関係

 制憲議会については、この機関が「代表制」であるがゆえの問題点を持っていたことを挙げています。つまり「直接的な人民主権の行使」との乖離が存在していたということです。

 具体的には、議会が運営規則などを決めるのに最初の数か月間を費やしたこと(内向きの議論)や、民衆との乖離を埋めるための方策の導入(公聴会の実施、無効にするための国民投票、規則についての民衆からの発案など)が弱かった点を挙げています。

 その上で、制憲議会に対する「活発な民衆の支持とその基盤」、制憲議会を支えるために民衆との密接な関係をつくることの必要性を訴えています。これらは「代表制」がつねに抱える原理的な問題とも言えます。

 その一方で、個々バラバラの民衆が継続して「どのようにして集団的な政治的主体になるのか?」という民衆の側の課題についても問題提起をしています。

 2019年10月の大規模な民衆叛乱から今回の国民投票の実施までに3年近くの歳月が経過しています。その間にコロナ禍、昨今の物価高といった生活に直結する問題があり、憲法改正のための国民投票、制憲議会の代議員選挙、大統領選挙などの投票行動が立て続けにあり、重要とは言え、憲法改正だけに関心を持続することが難しい状況にあったと見ることができます。

②右派による情報操作(フェイクニュースなど)とチリ国民の保守的心情

 次に、資金力などで上回る反民主主義的な右派勢力がメディアの利用に関して優位にあった点を挙げています。(注:この点については、否認派がキャンペーンのために集めたお金は、承認派より約200倍も多かったことが7月の時点で報道されていました。)

 そして否認派のキャンペーンの多くは、様々なウソと操作(ごまかし)に基づいていたと批判しています。

 住宅について「セカンドハウスを持っていたら接収される可能性がある」とか、「女性は妊娠9か月まで中絶することができる」、「マプーチェ族はチリ人よりも上級の一等市民となる。さらに国が分割される可能性がある」などが、その代表例です。

 一般的には、「財産権が脅かされる」「(教育や医療などの分野で)選択の自由がなくなる」というタイプのウソが流布されていました。

 その上で、「なぜこれらのウソや情報操作がうまく機能したのか」が根本的な問題であるとも述べています。その理由は1つではなく様々な要因が考えられますが、イデオロギー的な問題として、「(かつてのような)共産主義に対する恐怖」、「新自由主義による文化的(心理的)影響」を指摘しています。

 「財産権の侵害」は、「国家による接収」というかつての社会主義の姿や「(持たない者としての)貧者の夢による介入」としてイメージ化され、それに対する「恐れ」が喚起されたといった具合です。

 「選択の自由」は、新自由主義のイデオロギーそのものであり、個人主義的な心情に訴えるものです。

 その他にも、マプーチェ族を始めとする先住民族や移民に対するレイシズム、国家の統一を強調するナショナリズムなど、一連の背景にあるのは「保守主義的な心情」です。

 このようなチリ国民の保守主義的な心情を背景にして、新しい憲法案が「すべてのことを一度に欲する過激主義」とレッテル貼りされて攻撃されたと説明しています。

 今回否認された憲法案をめぐっては、否認派の中でも現在の憲法がいいという人は少数であり、承認派の中でも今回の憲法案のままでいいという人が少数であることが事前の世論調査などで明らかになっていました。

 今回の憲法案で示された内容と、承認派・否認派を含めたチリの人々との間に「ギャップ」があったことが、①と②の分析の根拠になっていると考えられます。

③左派のユーフォリア(多幸感)

 次に、左派の問題についてです。チリの左派は、すべてがうまくいっている時はつねに多幸感と勝利主義に罹り、その後、様々な問題で紛糾して望んだように事態が進まなくなると、悲観主義と集団的な憂鬱(落ち込み)に陥ると指摘しています。

 これに加えて、世代間の軋轢も取り上げています。闘争の第一線から退いて若い世代に席を譲るのを拒否する古い世代がいる一方で、あらゆる問題に対して答えを持っていると知ったかぶりをする早熟な若者たちがいると述べています。

 多幸感や勝利主義に罹った事例として、2019 年の大規模な民衆叛乱や、2021年の制憲議会選挙で左派・リベラル派が多数派となったことなどを挙げています。そこに一種の「油断」があったと言えるのかもしれません。(注:1つの比較として、1970 年9月4日にサルバドール・アジェンデ氏が大統領選で勝利した時の得票率が36.6 パーセントでした。過半数に届かなかったため議会投票で決定。このように歴史的な左派の得票率はだいたい30%台後半であって傾向的に多数派というわけではないこと、今回の承認派のそれも同様であったことが指摘されています)

 ガルセス氏は、これと連動して、数十年前からチリの左派には「戦略的見通し」が欠けていることを挙げています。「戦略的見通し」というのは、左派の運動の根拠となる価値観や原則(例えば、社会的平等や人民主権など)だけでなく、「資本主義に対するオルタナティブ」を含むものだと言います。

 つまり、新自由主義的資本主義に代わる新しい社会のビジョンを人々の前に説得的に提示できていないことを問題視しています。この点については、チリだけでなく、ラテンアメリカを含めたグローバルなレベルでの再構築が必要であり、さらなる検討が求められます。

(3)今後の展開について

 ここからは、今後の展開に関する問題です。

④もう一回元に戻るのか?:政党の復権か? 無所属派の終わり? 社会運動の後退か?

 新憲法案の否認がもたらす今後の政治的影響として、再び政党がリーダーシップを取り戻すことになると述べています。

 事の始まりであった2019年の民衆叛乱は、これまでの新自由主義的な内容を引き継ぐ国家体制と政党政治に反対するものでした。制憲議会の代議員も既存政党所属よりも無所属派が影響力を持っていました。ですので、これは既存の秩序への逆戻りを意味することになります。

 事態を動かすために、政党が主導権を持って、中庸的な内容による何らかのコンセンサスを作ることが想定されています。それは、変化を生み出すことよりも容易なことだと言います。

 それとともに、社会に変化をもたらす原動力となってきた新しい社会運動、特にフェミニズム、先住民の権利擁護、環境保護運動などの進展に対して「否定的な影響」を与えることになるだろうと指摘しています。

⑤「新しい共通認識」を生み出すことができていない

 ④で述べたような社会運動の進展が、新しい憲法案を生み出した原動力となってきたことは言うまでもないのですが、その一方で、否認派が勝利したことで、これらの運動が提起してきた内容とその根拠となる「新しい知」が、まだ社会の「新しい共通認識」にまでなっていないことが明らかになったと述べています。

 「新しい知」とは、例えば、フェミニズム、脱植民地主義、様々な観点のエコロジーおよび環境保護などです。しかもそれが社会の中で循環し成長することで、政治的変化の土台となる文化的変化が準備されると説明しています。

 それは一種の「予言的な意味合い」(将来社会に対する変化を予示する)をもった活動を展開することで、様々な主体の間で、新しいコミュニケーション、新しいアプローチ、新しい考え方をもたらすだけでなく、新しい社会的実践をも刺激すると指摘しています。

 「人間が立ちむかうのはいつも自分が解決できる課題だけである。」というカール・マルクス(『経済学批判』序言 岩波文庫)の言葉を引用しながら、限界を持ちつつもすでにそうした事態が芽生え、発展してきているとガルセス氏は述べています。

⑥ボリッチ大統領の今後の対応は?

 否認派の勝利は、当然、憲法改正を支持してきた若いボリッチ政権にとって大きな打撃となったことは言うまでもありません。とくに就任以降、支持率を落としてきている中にあって、今回の国民投票の結果はその傾向を後押しするものとなっています。

 実際、世論調査で否認派が勝利する可能性が強まる中、ボリッチ大統領は、9月4日以前から「新しい憲法改正プロセス」を始める可能性について言及していました。

 これについてはまだ確定的ではないものの、右派からも左派からも幅広いコンセンサスができるような新しい憲法案を起草する可能性について、その方向で政党間での合意が図られようとしていると述べています。

(4)最後に

 ガルセル氏は、このテキストの途中で、次のようなある若いカップルの会話(9月5日朝、サンティアゴの地下鉄で)を紹介しています。

「くそったれな国だ…20年も後戻りしたと感じる」

 この言葉が、チリ社会の現状を端的に表現していると言えるのかもしれません。そして新しい希望はそこからしか生まれてこないのだろうということも。新しい憲法、新しい社会を生み出す闘いはまだまだ続いていきます。

2022年9月28日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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チリ 新憲法案を否決

(1)新憲法案は承認されず

 9月4日、新しい憲法案の是非に対する国民投票が行われ、「拒否」が多数(6割超)を占めて否決されました。国民投票の結果は以下のとおりです。

「承認」:486万93票(38.14%) 「拒否」:788万2958票(61.86%) ※開票率:99.99%
投票数: 1302万1063票(投票率:有権者の85.81%)
有効票数:1274万3051票(97.86%)
無効票数:20万722票(1.54%)
白票数:7万7290票(0.59%)

今回の投票は義務制であったため、高い投票率を記録しました。
地域別での結果を見ると、すべての州で「拒否」が「承認」を上回っています(表参照)

州別の結果(%) (チリ選挙管理委員会のサイトより)

全346のコムーナ(最小の行政単位)のうち、「承認」が「拒否」を上回ったのは8つだけでした。

各国からの海外投票では、「承認」(60.92%)が「拒否」(39.08%)を上回りました。
日本からの投票は、「承認」が120票(67.04%)、「拒否」が59票(32.96%)でした。

この結果により、現行憲法が引き続き効力を持つことになります。

(2)国民は憲法改正を望みながら、なぜ新憲法案を拒否したのか

 2020年10月に行われた国民投票では、投票した人の約80%が、選挙で選ばれた制憲議会による憲法改正を望みました。それにもかかわらず、なぜ今回は新しく起草された憲法案を拒否したのでしょうか。

 結果として現行憲法が引き続き有効となり、憲法は改正されないので、それが「パラドックス」に見えるとBBCの記事(「『拒否』の勝利 チリの(見かけ上の)パラドックス」2022年9月5日付)は指摘しています。

 では、なにがこの結果をもたらしたのか、上記の記事を参照してまとめてみます。記事では3つの要因を取り上げています。

①憲法改正の別の選択肢

 新しい憲法案について、与党勢力は「承認」を後押しし、野党勢力は「拒否」を推進していましたが、国民投票の数日前には、両陣営とも、今回の国民投票の結果に関係なく、憲法改正プロセスを継続することを約束していました。

 これは、「拒否」という結果になったとしても、それが憲法改正そのものへの反対ではなくて、今回の改正案だから反対している可能性が十分にあると理解していたことを意味しています。

 野党勢力は、すでに今回の憲法案との違いとして、国家の性格を「社会的な法治国家」と規定すること(新憲法案では「社会的・民主的な法治国家」と規定)、新しく提案されていた地方院(上院は廃止)ではなく現在の上院を維持すること、先住民族の権利を認める「多民族国家」という規定を「多文化国家」にすることなどを提案しています。

 さらに8月には国会(上下院)で、新しい憲法案が承認されなかった場合を見越して、現憲法の条項を修正・廃止するのに必要とされる議席数を引き下げる法案を可決しました(必要な議席数は3分の2から7分の4へ変更)。

 その法律(憲法組織法)では「新しい憲法案が国民に承認されなかった場合、憲法改正プロセスを継続するために必要な多数を構成するのを容易にすることになる」と規定されています。

 ボリッチ大統領も、国民投票の前(8月末)に、新憲法案が否決となった場合は新しく憲法改正の手続きを開始する考えをメディアで明らかにしていました。

「私にとって現在問題なのは、否決が勝った場合に再び最初に戻って、新たな憲法改正プロセスを開始しなければならないかどうかである。」

 事前の世論調査などによって、国民投票の実施前から今回の憲法案が否決される可能性が高いことが想定されており、「プランB」に向けての駆け引きがすでに進行していたことがわかります。

②憲法草案に対する批判

 海外などでは、その革新的な内容が評価されていた今回の憲法案でしたが、国内では様々な批判や疑問が表明されていました。

 その一つが、「多民族国家」の規定についてです。草案では「国の一体性」を強調していましたが、先住民族の領土自治区の承認などが「国の統一を損なう」、先住民族を「特権的な集団」と関連づけて、「法の下の平等に反する」などの意見が「拒否」を訴えるグループから出されていました。

 また「承認」を支持する人たちからは、草案テキストを広く普及させたり、草案を読む必要性などが訴えられていましたが、SNSなどを通じて誤った情報が広まるなど有権者の間で草案の内容に対する疑問などが広がっていったことが言われています(右派によるメディア戦略が一定の「効果」を持ったことが他の分析でも指摘されています)。

③制憲議会の評価

 マイナス面として、制憲議会内で行われた議論やその仕事を市民に伝えることの難しさなどによって、次第に市民と制憲議会の間の溝が大きくなっていったことを挙げています。とくに最初の数か月は議会の規則に関する議論に時間が費やされました。

 ある世論調査でも、国民投票で「拒否」に投票する理由の多くが、制憲議会に対する批判的な評価に関連していることが示されていました。

 社会運動の高まりによって作られた制憲議会と市民社会との関係が、時間の経過とともに次第に疎遠になっていったことがその背景にあると考えられます。

(3)今後の想定されるシナリオ

 別のBBCの記事(「チリでの『拒否』の勝利:可能性のある4つのシナリオ」9月5日付)では、今後の見通しについて、可能性の高い4つのシナリオを挙げています。

①新たな制憲議会の制定。ボリッチ大統領が支持するシナリオ

 先にも述べましたが、ボリッチ大統領は、「拒否」が勝った場合、別の草案を起草するための新しい制憲議会を立ち上げていく考えを明らかにしていました。

 2020年10月の国民投票(この時は憲法改正を行うか否かを問うたもの)では、投票した人の約80%が憲法を改正すること、選挙による制憲議会で草案を起草することに賛成しました。

 ですので、今回の草案が否決されても、制憲議会には合法性(正当性)があると考えられています。しかし、大差がついての否決によって、そうしたシナリオがスムーズに通るかどうかは不透明になったとも伝えています。つまり、再び新しい憲法案を作成するというこのシナリオにはそれなりの紆余曲折が予想されます。

 単純に考えてみても、再度議員を選出し、草案作成のための議論をやり直すのに、それを支持する民衆の熱意が高まるのかどうかは簡単なことではないと言えます。

 また、大統領が新しい制憲議会を招集するには議会の承認が必要ですが、与野党ともそれを進めるのに十分な議席を持っていないため、事前に何らかの合意を取り付ける必要があり、国会の協力が欠かせません。

 ボリッチ大統領もそのことがわかっているため、「国会が大きな主役を担う必要があるだろう」と述べています。

②専門家委員会による改憲

 今後の事態の打開についてメディアなどで意見表明されていることの一つに、専門家委員会の設置があります。これは、新たな制憲議会の選挙や議論のやり直しを回避して、委員会が新しい憲法草案の起草を担うとするものです。

 今回の憲法草案が多くのチリ国民が期待していたものとはならなかったことから、政治や学術分野からそれにふさわしい人物に担ってもらう方がいいと考える人たちが出てきています。

 これによって、今回否決された憲法案の条項のうち、「多民族国家」の規定など、大きな議論を呼んだ条項について何らかの変更や制限がかかることが十分予想されます。

 事実、ボリッチ大統領自身が今回の憲法案が承認されたとしてもその後、何らかの修正が必要と約束していたほどで、左派の中でも憂慮せざるをえない事態になっていました。

 ただし当然のことですが、少数の専門家グループによるシナリオが、すべての人を納得させるわけではないですし、こうした専門家委員会の設置が、制憲議会の設置による憲法改正という国民の選択とは正反対の道のりでもあり、その実現は疑問視されていることも記事は伝えています。

③1980年憲法の部分的改正

 いずれにしても事態を打開する上で主導的な役割を担うのが国会になります。与野党間、左派・右派(中道派も含めて)の間での意見の相違が埋まらない場合、現憲法の部分的な改正を求めることが選択される可能性もあります。

 チリの歴史では、リカルド・ラゴス大統領時代の2005年の憲法改正がそれに相当すると言われています。この時ラゴス大統領は、「権威主義の遺産(enclaves autoritarios)」と呼ばれた、軍や軍政支持者の権益擁護を目的とした一連の憲法条項を廃止するために、議会の野党勢力と交渉・修正を重ねて、憲法改正法案の成立に必要な議席数を確保してこれを実現しました。

 ただこれについても、必要な議席数を確保するために何をどう修正するかについての合意を得ることが左派内部でも簡単ではないこと、さらには右派との間ではさらに困難な仕事になることが指摘されています。

 また、国民投票で多くの国民が、現憲法の改正ではなく、あくまで新しい憲法の制定を望んでいることも考慮する必要があります。

④すべてが同じまま

 新しい憲法の実現は、ボリッチ氏を大統領に押し上げた旗(公約)の1つでしたが、今回の大差での否決は政権にとって大きな打撃となりました。この以前から大統領の支持率も低下しています。

 しかも、上がり続ける物価高や、犯罪の増加、南部地域(ラ・アラウカニア)での先住民族との領土紛争などの問題が山積しており、政策課題としての憲法改正の順位が低下して後回しにされる可能性も指摘されています。

 右派政党の中には、否決されたことで新しい憲法の必要性を問題にしない勢力も存在しています。特に大統領選挙でボリッチ大統領のライバル候補であったホセ・アントニオ・カスト氏の共和党は、1980年憲法の維持を望んでいると言われています。

 とはいえ、反対票を投じた人でも新しい憲法を望んでいるという世論調査もあるように、どの政党も現在の憲法をそのまま維持することをはっきりと打ち出すことはできないというのが実際のところです。

 専門家も言うように、「拒否」が勝ったことで、今後の憲法改正プロセスの不透明さが深まり、さらに長引くことになったことだけがはっきりしたように見えます。

 この行き詰った状況を新たに切り開くのは、今回の憲法改正プロセスのきっかけとなった、新たな民衆の社会運動の進展でしかないのかもしれません。

 次回の配信記事では、チリの左派の立場から今回の「否決」という事態をどう見るのかについて少しまとめてみたいと思います。

2022年9月13日 西尾幸治(アジェンダ編集員)
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